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日本海国の理由
日本は実のところどういった意図で開国したのでしょうか。 もちろん朝鮮オランダ中国というつながりはありましたが、全般的な市場主義へと移行しようとしたわけは。 一般には欧米の恫喝によってという認識があるようですが、それだけではない気がします。島国を要塞化して、なんとか西欧の兵器を輸入鋳造して防備すればなんとかなるのではないかと。それを輸入するため開国が必要だったのか? どういう考え方をしたら、開国の意図がわかってくるでしょうか?
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#2様のおっしゃる通りに思えます。 アヘン戦争での結末を見れば攘夷など夢物語です。 「下関砲撃」で負けて、 「薩英戦争」で負けて、 「神戸事件」で神戸を占領されればもう分かると思います。 孝明天皇の言う事聞いていたら日本が破滅する「ことは。」
- cse_ri2
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実際のところ、これはペリーの砲艦外交の勝利だと思います。 江戸時代、幕府は欧米諸国のうちオランダとのみ貿易してきましたが、実は他の国も参入を狙っていました。 たとえば、シベリアへの進出を果たしたロシアが、江戸時代後期に幕府に幾度か接触しています。 しかし、幕府というのは基本的に頭の固い組織で、家康から家光にかけて作られた仕組みを根本から変えることが、なかなかできませんでした。 ある意味紳士的だったロシアは、「長崎までくれば、貿易について検討してもよい」という幕府の言うことを素直に信じ、長崎にまで船を派遣しますが、幕府は親書こそ受け取ったものの、結局はロシアの申し出を断りました。 ペリーは日本に来る前、そういう幕府の手口について綿密に研究していたので、長崎でちまちま交渉せずに、いきなり東京湾に踏み込むという手段をとったのです。 当時、最新鋭だった蒸気船に幕府首脳陣が度肝を抜かれたこともあり、ペリーの強硬路線が勝利を収めました。
お礼
失礼しました。 「開国」です。お恥ずかしい限りで。 おっしゃるとおり、ロシアも18世紀からたびたび交易を迫りますが、撥ね付けました。というか非常に警戒してたんじゃないでしょうか。 長崎でという条件で煙に巻いたという話は初めて聞きました。アメリカは強固な意志でやってきたということなんでしょうかね。
- minatoyato
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鎖国というと、まったく諸外国と交流がなかったように教えられていますが、長崎出島ではオランダとの交流はあったわけですし、医学などでは蘭学を学ぶとそれまでの権威主義的な医学とはぜんぜん違って効果がある、と分かってきたからではないでしょうか? 日本人ってのは、結構、実利を重んじる民族なので、役に立つ学問(知識)がある、それを導入したい、という熱望があったと思うのですが。
お礼
すみませんででした。「開国」です。 お粗末過ぎました。 鎖国というと誤解しますけども、ちゃんとアジア欧とつながりはあったわけです。しかし、外来文化は一部の人間たちの特権でしかなかったデスね。
お礼
やっぱり恐れが大きかったでしょうかね。