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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人は首狩り族か)

日本人は首狩り族か

このQ&Aのポイント
  • 日本人は源平の時代から戦のたびに、敵将の首を狩って褒美をもらってました。
  • 明治時代でも、敵将の首を狩る風習は残っていたようです。
  • 倒した敵兵の首を公然とさらす発想や習慣は、ヨーロッパやアラブでも日本の明治ごろまでなされていたのでしょうか。それとも日本だけなのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tanuki4u
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回答No.1

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Heads_on_pikes.jpg フランス革命時代の絵画です。 http://en.wikipedia.org/wiki/Decapitation からの抜き出しです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E9%96%8B%E5%87%A6%E5%88%91 公開処刑はフランスでは1939年までやられていたようです。 新約聖書ですと、サロメとヨハネの話が有名ですね。踊りの褒美にヨハネの生首を所望したというヤツです。 現在は普通名詞になっている リンチはアメリカ独立戦争の時に独立派のリンチが、独立反対派を私刑で、首つりにして曝した故事からきています。 ビリーホリディのうたに奇妙な果実という曲があります。 1930年代、黒人をさらし首にしていたというもの。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E6%9E%9C%E5%AE%9F 上記の英文にもあるのですが、斬首は名誉の死刑とされていましたので、斬首自体はけっこうあったようです。 死体を曝すという行為は、アメリカでは終わってからまだ100年たっていないようですね。 アラブ圏ではまだ公開死刑があるところもあるようですし、日本人だけがということはないようです。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。フランス革命の絵はびっくりしました。また奇妙な果実もよんで怖くなりました、ちょっと不気味すぎです。ただ、回答者様と自分の質問は趣旨がずれているようです。アメリカの人種差別の残虐さやアラブの公開処刑のことでなく、「倒した敵の首を公にさらす習慣が、近代まで残っていた日本人は特異な民族かどうか」を御教授いただきたいので、そちらをお願いします。回答のURLはとても興味深いと思いました、ありがとうございます。

その他の回答 (13)

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.4

合戦で敵を討ち取っても証拠がないと褒賞はもらえません。 かと言って、体ごと運んでいては、一人討ち取ったら、そのあとは合戦に参加できません。 足や手では、名のある武将を討ち取ったとしても誰かわかりません。 なので、首です。 その時代に、写メがあったら、首は狩らなかったと思います。 証拠の写真を撮って、本陣で待つ大将に送信したでしょう。 首をさらすのは、「敵=悪」が滅んだ事を民衆に報告するためです。 現在、犯人の写真が新聞に載るのと同じです。 どちらも、首を狩って喜んでいたわけではないと思います。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。要するに首は証拠なんですね。首の重要さはわかったのですがたとえばヨーロッパの騎士達も、戦争で支配者が変われば日本の侍のように敵の将の首を公にさらしていたのでしょうか。

  • hotsquer
  • ベストアンサー率11% (17/142)
回答No.3

中世とかそれ以前の神話の騎士でも相手の首を取るというのが映画の中 で出てきませんでしたか?300で、ギリシャの使いが王達の首を 持ってきたくだりがありました。 普通に今日がありますが、歴史上地球上で流された男の血はすさまじい量だと思います。覚悟の上でやっていたわけですから、普通の兵士でも 相手に切れらたり、銃撃されると分かっている中に進むわけで、 手を切り落とされり、目を付かれたり、腹部を刺されたり、そうゆう時代があって今ですから、彼らの偉業は忘れてはならないと思います。 第二次世界大戦でも、アメリカ兵は硫黄島で日本兵のすねの骨を 煮込んで骨だけにして首飾りにしていました。インディアンも相手の 頭の皮を生きたままはぎます。 普通の生活をしていたら分かりませんが、そうゆう生死を分ける 状況に常に身をおいて、戦うときは雄たけびを上げ高揚させ、会った 相手を殺す。という任務を遂行するわけですから、それをイメージすると単純に残酷というより、儀式を楽しむという事、であると確信しますが。 現代の感覚で良い悪いの問題じゃないと思います。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。たしかに戦場での兵士の心理は、現代の日本人には考えられないことだと思います。「第二次世界大戦でも、アメリカ兵は硫黄島で日本兵のすねの骨を煮込んで骨だけにして首飾りにしていました。」とは 恐ろしいことです、その人は復員してきちんと社会復帰できたか疑問ですね。 http://www.asyura.com/0601/bd45/msg/595.html 「ところで日本人も首への執着が強いように思う。中世の合戦は相互の大将の首取りゲームの要素があった。獄門という死刑にした上になおかつその首を晒すという刑罰には単なる“死”以外のものを首に価値づけているからである。江戸時代の赤穂浪士の討ち入りも吉良上野介を殺すことではない、首をとることに復讐の意義がある。吉良上野介の首を下げた行列を誇示して復讐のセレモニーが終了する。  桜田門において水戸浪士によって井伊大老は暗殺された。水戸浪士が求めたのは井伊大老の死そのものではなくこれもまた首である。明治になっても西南戦争で敗れた鹿児島軍は大将である西郷隆盛の首をとられないように隠した。  日本とカリマンタン島の中間になる台湾の高砂族も20世紀まで首狩りを慣行とした。日本人の首へのこだわりもその延長にあるような気がするが、民俗学の泰斗(たいと)柳田国男先生の膨大な著作にも日本人の首への執着についての言及は残念ながら一言もない。」 を読んでの疑問でした。こうした日本人の首狩りへの執着した理由はなんなんでしょうね。

  • Scull
  • ベストアンサー率26% (248/951)
回答No.2

日本に限った習俗ではないでしょうね。 何故なら「刈り取った頚」というのは敵兵を倒したという「何にも勝る証拠」だからです。また、「素顔」を晒す事で斬首された者の素性を明らかにする効果もあります。斬首された者の知り合いが見れば、生前の面影を見る事も出来、より威圧効果が高い事でしょう。 敵兵の頚を晒さなくなったのは、戦死者が増えた近・現代戦が行われる様になってからではないでしょうか。

noname#70507
質問者

お礼

回答ありがとうございます。たしかに斬首にはそうした効果があるのですね。 やはり、日本以外でも敵の敗将の首を狩る風習は近代までのこっていたのでしょうか。

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