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沼城の石垣
岡山城を見学してきました。 城内展示物のなかに宇喜多直家の舅、中山信正の居城「沼城(亀山城)」のことについて少し触れていました。 質問は「沼に囲まれた城」であることです。 沼地(湿地)に城を建築する時、石垣や基礎にあたる部分はどのように設置されたのでしょうか?普通に考えると地盤が緩く脆弱になりそうなのですがどうやって基礎部分を構築したのでしょうか。 また、同じような建築構造を持つ沼城(ぬまじろ)はありますか?
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- yakyutuku
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少し誤解を招いたかもしれないので補足します。 あえて城の回りを沼にすることはありませんが、沼に城を作ることを否定するわけではありません。ただ、後から沼にするのは意味がありません。沼を作るとなると、川をせき止め一面水浸しにするしかないでしょう。そこまでしても沼になるとは限りません。そして城の回りを一面水浸しにするほど川をせき止めるとなると大工事です。そこまでするなら普通に堀を作ったほうが、防御力が高く確実ですし、街づくりの障害になりません。 水田というと普通乾田を想像しますが、中世は多くが湿田でした。いつも水につかってる沼みたいな土地です。あぜ道くらいは可能なら土を盛って作りますが、水路もさかいもありません。そして戦国時代には、広大な水田の真ん中に砦を築くことや、それが発展して城となることがあります。なぜかというと、戦国時代は国取りの戦ばかりでなく、青田刈りや刈田といった、直接稲を刈り取ったりそれを盗むような戦争もあったのです。そういったものに対する防備や監視として水田の真ん中に作った砦が、やがては城となったようなものが、多くの沼白が持つ歴史かもしれません。そうまではいかなくても、地域の中心がたまたま沼だったから、そこに城を築いたということもあるでしょう。逆に城を丘に作るとなると、地域によっては水の確保ができませんから。
- komes
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私は専門家ではありませんが、石垣のある城はまず石を集めるのにはかなりの財力、権力が必要と思われます。 さらに石組みの技術者集団がいなければなりません。 だれでも出来ることではありませんから。 織田信長が築いた城の石組に墓石や地蔵などが混入しているのもこのような理由からだと思います。 沼城のような石組みのない城は立地を慎重に選ぶ必要があり、敵の軍勢を接近させないようにする必要から河川や沼を利用したのだと思います。 土塀、木柵、等で囲む位の基礎工事は普通の基礎工事で耐えられる位でしょう。 橋梁工事でも当時、基礎は岩盤までとどかなくともかなりの強度さえあれば可能です。 基礎工事は上に乗る構造物の重量を支えればよいので高地や小山でも可能です。 当時は耐震などの知識は殆ど少なかったとおもわれます。
お礼
岡山の沼城に関しては先の回答者様の中に小山の上にもともとあった、地盤に関して問題なかったとの回答を頂いています。その他の「ぬまじろ」に関しては建築法に要石を置く、犬走りと呼ばれる杭を打つなどの工法があがっていました。komes様考察は別観点からですが、これはこれでとてもおっしゃることがよく分かります。財力と権力も技術者集団も必要ですね。 基礎は問題無しとのことと、先の回答者様のおっしゃる石垣がない城であったことを総合すると「後からの沼化」も可能ということでしょう。 ただし基礎になりうる立地が条件であること。で良いでしょうか? >織田信長が築いた城の石組に墓石や地蔵などが混入・・・ 神仏の嫌いな信長らしい話ですね。 回答ありがとうございました。
- yakyutuku
- ベストアンサー率14% (267/1890)
素人の一般論です。 岩盤に杭を打ち込むのが一番ですが、それができないときはまず大きな石を置きます。時間に余裕があるときは(普通はそんな暇ないです。)その石の上にさらに石を積み上げてしばらくほっとき、最初に沈められるだけ沈めます。その後その石の上に柱を立てて建物を作ります。 まあ一種の要石ですね。 ですが実際には地盤沈下を続ける城なんてものは、珍しくもありません。太平の世に作られたいくつかの城を除き、城なんてものは戦時に急ごしらえで作った砦や、それが拡張されたものばかりです。十分な基礎工事を行っているもののほうが少ないでしょう。 川を捻じ曲げ堀とするのは城の常套手段です。城なんてものは要塞の一種ですから、多くは交通の要衝に建てられます。(まさに要地を塞ぐです。)日本の場合その交通の要地は川が多く、防御と水の確保を考えると川のほとり(中洲がベスト)に建てられます。そのため城にあわせて川の流れを捻じ曲げるのはよくある話です。ただし流れを変えるだけで、沼にする必要はありません。また石垣は実は防御よりも水害や水攻め対策のために城の基盤を高くすることのほうが、意味合いが大きかったりします。
お礼
中世の城はおっしゃるようにまさに戦時の城ですので時間的余裕は無く、墨俣一夜城や小田原付城(これも一夜城などと伝説化されていますね)などをみても急につくるものが多かったのではと考えられますね。 そこまで切羽詰った理由がなくても、じっくり造るのはやはり難かしそうです。 地盤沈下は急ごしらえのため仕方なかったのかも知れません。それに当時の土木技術も考慮しなくてはいけないでしょうね。 少しズレますが、「沖田畷の合戦」の「畷」は田などの湿地だったのですよね。つまり少し畦道からそれると、ズブズブと足を取られる。「ぬまじろ」もそういった利点があると思われます。 が、城を沼地に造るとなると先の時間の問題、地盤の問題など多くあります。城を造ってから周囲を沼化するのも手ではないかとも思いましたが、それでは堀の方が良さそうですね。想像すると思考が「泥沼」にはまりそうです。 回答ありがとうございました。
築城の専門家様がまだ来ないので。 ベネチアの水上都市は、岩盤まで杭を打ち込んでその上に家屋を建てています。現在の基礎工事も、岩盤層まで杭を打ち込む工事が最初になります。 つまり、岩盤さえあれば、水の上でも家は立つのです。 松の杭を打ち込む。犬走りで補強をしたと記載にはあります。 #2様の城の周りを細工したと言うのが犬走りではないでしょうか? 石垣城は最先端技術でしたので、豊臣秀吉以降の時代です。 それ以前に築城に着手しているのかどうか、良く調べてみて下さい。 後は専門家様の詳しい解説に期待しましょう。 (実は、「基礎工事」まで専門的に調べてはいないのです。^_^;)
お礼
>築城の専門家様 お知り合いなのでしょうか?私も待った方がよいのでしょうか(笑) 「犬走り」とは初めて知りました。それを使うとかなりの補強になるのでしょうか? 岩盤層まで杭を打つ=これは現在のマンションの基礎建築技術に似ているような気がします。 ただ沼地での築城であればかなりの労力と時間を要したのではないでしょうか?やはり沼地が先か、城が先か考えてしまいます。 回答ありがとうございました。
補足
沼城(亀山城)はその後の調べで「天文元年」1532年築城であることが分かりました。石垣技術隆盛以前の城でした。
- beato2
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沼城(亀山城)は周りは沼地ですが、城自体は小高い山の上にあります。 よって、地盤に問題はなかったと思います。 「沼城」は他に備中高松城、撫川城、忍城があります。 No.2の方が城ができた後に沼地を作ったとありますが、それはないです。もともと山も沼地もないところに城を作るメリットがありませんから。
お礼
つまり元々地盤に関しては問題なかったのですか。 「ぬまじろ」は備中高松城、忍城、撫川城(これは初めて知りました) ですか。備中高松城は沼化するために川から水でも引いたのでしょうか?それが清水宗治のときに仇になったとか・・・ 工法に関しては決定打がありませんね。沼が先か、城が先か。 話はズレますが、沼を後から作るのなら堀でも良かったのではと、ふと思いました。どうなのでしょうか? 回答ありがとうございました。
- monday0862
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同じ岡山にある「備中高松城」はご覧になりましたか?やはりお城の周りは湿地です。ですが、基礎周りはしっかりした地盤の上にあります。 つまりは、お城を立てた後、周りを「沼地」にしたのでしょう。 岡山城を見てもわかるとおり、あの岡山城は「岡山」と呼ばれていた小高い山の上に(丘の上?)立てられています。そして、そのお城を取り囲むように「旭川」を曲げて付け替えています。いわば「川に囲まれた城」です。 基礎部分を作ってから、城の周りを細工した。ということです。
お礼
なるほど、基礎をつくってから沼地に加工したということですね。 岡山城は川を上手く利用していました。戦災で月見櫓以外は焼失した、とのことでした。天然のお堀ですね。 ありがとうございました。備中高松城は時間の都合上行けませんでした。次回行きたいです。
- beato2
- ベストアンサー率0% (0/1)
岡山の沼城(亀山城)に行ったことがありますが、その沼城について言えば石垣はなかったように思います。
お礼
そうなのですか。石垣はなかったのですね。小山のようなものだったということですね。 基礎は深く杭をうったのでしょうか? ありがとうございました。
お礼
そうなのです。あえて沼にするぐらいなら堀を作ったほうが良いとの考えは私も持っています。砂地は極端な例としても、水を入れても水はけの良い土地ならすぐに乾いてしまい意味はないでしょうから。 水田地帯に城を造る利点はおっしゃるようにあります。大事な田を守るのは侍の一番の仕事だと思っています。水田には用水路(もしくは天然の小川など)があり、水の確保という意味合いでも重要ですね。 回答ありがとうございました。