• 締切済み

自分の世界観をより実り多く豊かにしたいのですが

 最近自分の世界観を広げたくて、哲学に関心を持ったのですが、 ただ何もせず日々思ったことや考えたことを書き連ねるだけでは、あまり世界観が深くなるとは思えない。 全くならないことはないと思うけど、歩みが非常に遅い。 さらに一人で考えてばかりだと煮詰まって妄想同然のような考えになりかねない。  そういう時のために人間読書をしたり他人と意思疎通したりして外部から情報を入手して哲学をより広く深く普遍的にしていく、 と個人的には思うのですが、 ひょっとしたら哲学書だけ読むのではなく、哲学書以外のものを読んだり体験したり したほうが四六時中哲学書に向かい合っているより、より豊かな世界観になるかもしれない、とも思うのです。  実際、思想の科学研究会さんの出版している「哲学・論理用語辞典」の哲学への手びきの項の紹介で文学や科学者の書いた随筆文 や講談社さんの「哲学の木」の序文での紹介で中世神学の神の存在証明などを説いた本を読んだときのほうが、 まだ最近哲学書を読み始めたばかりなので哲学の奥深さを理解していないせいもあるかと思いますが、 哲学書だけを読んでいる時よりも実り多かった気がします。  哲学をやると言っても、人それぞれ好みがあって進む方向が違ってくるのが当然だからどの方向が実り多いものになるかは わかる訳がないし自覚していないので (漠然と難しい数式や化学式よりは文で知ったほうが楽しいと思えるので 大まかには文系嗜好だとは思いますが)どうしたらより実り多く豊かな哲学が育まれるのかわかりません。 そこでご覧の皆さまにお伺いしたいのですが、どうしたら豊かな哲学が作れるでしょうか? 右も左もわからない自分にこんなことを紹介している本があるよ、こんな風に考えて物事に取り組めば良いよ、こんな世界があるよ というようなアドバイスがあったら教えて下さい。一人で興味があることだけを追っていっても それだけでは学習と興味の範囲に限界があると思ったからです。個人的に実り多かった本or体験だったと思うことでも構いません。 教えて下さい。宜しくお願いしますm(__)m

みんなの回答

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.5

質問者さんと私の哲学に対する考え方はまるっきり違うんですね。 哲学を勉強しようと一瞬(3秒くらい)考えたこともありますが、哲学を学問とはとても思えませんでした。 入り口が違うんでしょうね。私にとっては苦痛に満ちた自分の人生の理由、原因が知りたいという衝動が動機でした。 豊かな哲学なんて考えたこともなかったです。 そういう側面も哲学にはあるんですね。 十分に哲学を楽しんでください。 いつか彼の本を読んだら感想を聞かせてください。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3
cleanair4
質問者

お礼

う~ん、確かに哲学は所謂お勉強とは一線を画すものだとは自分も思います。学問と違って生き方に直結していると言いますか ただ、現状の生活に心から満足している人が哲学をやるということはあまり考えられない気がします。 自分の場合も、自分の中でアイデンティティの危機から(これを詳しく書くと大変お見苦しい内容になってしまうので省きますが) 現状を打破したいという気持ちから始めたとも言えるし、より豊かな世界観(哲学)を築きたいと思ったから始めたとも言えます。 論理的思考の応用で哲学をやり始める方もいらっしゃるようなので一括りに哲学と言っても動機や目的が人によって大きく変わるところが哲学は時代が進んでも普及している所以ではないですかね? 紹介して下さったジッドゥ・クリシュナムルティという方、初めて知りました。timeにとり上げられたらしいのですがtimeはほとんど読めないので…でもこれから先の時代英語は必須のスキルになるでしょうねぇ… マザーテレサを含む他の覚者4名も近いうちに本屋で立ち読みしてみます。情報提供、ありがとうございました。

回答No.4

思ったことを書き連ねるのではなく、何かの疑問について書くのはどうでしょうか。 普通、哲学者には解決したい疑問、見極めたい限界というものがあります。 「なぜ」と思うことは科学の基本といわれますが、哲学も同じです。 とにかく、まずは「自分なりにやってみる」ことが大切だと思います。 哲学書の理解は、自分でその問題について考えたことがないと、 なかなか実感の持ちにくい部分がありますから。 ただまあ、あんまり難しいのを選ぶと大変ですので、 親しみやすい倫理上の問題を考えてみることをオススメします。 例えば、「人は死んでも生き返るか?」で中学生の2割が「はい」と答えたことが最近問題になりましたね。なぜ中学生たちはそう考えたのか?そして、「はい」という答えは「ほんとうに」間違いなのか? 大切なのは、「どっちかの答えにしたい」などとは思わないことです。 (これがめちゃくちゃ難しい。ついつい「耳障りのいい」意見にしようとしがちです) 自分の意見を有利にするがために、論理上の問題点に目をつぶってしまったり、逆に不利になるからといって特定の情報を無視したりしないように。(自戒の念もこもってます) 哲学書は、作者が問題にしているだろうことを、一通り考えてから読み始めるといいかもしれません。自分の意見と逆なら、「なんで?」と批判的に読めるでしょうし、「そうなんだよ」と思えば、さらに自分の意見を補強する情報が得られるでしょう。まあ、よく考えて負けたなぁと思えば素直に受け入れるもよし、いや断固拒否すると思えば、頑張って論理的に対抗してみるのも一つです。思考停止(とにかくこうなんだ)にはならないように頑張ってください。 まあ、私も全然素人なわけですが…

cleanair4
質問者

お礼

難解な哲学の問いより中学生でも疑問に思うようなわかりやすい問題提起から入るというのは非常に理に適っていますね。 自分の高校は倫理の授業がほとんどなかったので(高校倫理に出てくる哲学者や教祖なんかは一般教養の範囲で知っていますが) 参考書を改めて買ってまずは倫理問題あたりから思索を深めていったほうが哲学初心者にはよいかもしれませんね。 自分で思索して導き出した答えのほうが読書で得た知識より血となり肉となると思想家も本の中で言っていました。 しかし導き出した世界観が別の人からは批判をあびるようになることは 社会生活を営んでいてもよくあることですよね? かと言って常に中立の立場をとっていけば良いというわけでもない。 できるだけ色々な世界観を自分の中に持って、多角的に物事をとらえる。 こういう効果も期待して哲学を学びたいとも思いました。意見、参考にさせて頂きます。ありがとうございました。

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.3

著書「ユーザーイリュージョン」をオススメします。好みかわかりませんが… 「正しい哲学」などありません。哲学は「正しい」すら内包しなくてはならないのです。 愚者より

cleanair4
質問者

お礼

「ユーザーイリュージョン」amazonで内容を確認してみましたが研究内容がとても幅広いですね。 紹介されるまでこの本の存在すら知りませんでした。 意識について論究している内容ですから18世紀以降、つまり近代哲学ですね。(意識に該当する概念自体はデカルト以降からあったらしいですが) 近代哲学は複雑で流派もいろいろあるので、今読んでも内容を把握することすら難しいかもしれません。心理学なんかは少しかじったことがあるので ちょっとはわかるかもしれませんが、他の学問からの引用はちょっと理解することが困難そうです。しかし、現代は本当に色々な学問がありますね。 これがベストセラーになるなんてやっぱり西洋の先進国の知的水準は進んでますね。どんだけ~ 補足要求といっても補足できるほど哲学に精通していないのでお礼の返事しかできませんが…ありがとうございました。

cleanair4
質問者

補足

大事な感想言うの書き忘れてました。 「正しい」すら内包する…哲学は奥が深いですね(むしろ倫理か?) 何かとても大事なことを教えて頂いた気がしました。

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.2

まだ哲学を分かってらっしゃらないようですね! 「哲学」とは、「智を愛する」という意味です。我々の範疇のものではなく、それをも超越するものです。 哲学者は何れ「忘却」に至り、新しき「ミーム」という名の果実を実らせる。 まぁ、現在の哲学は……

cleanair4
質問者

お礼

う~ん、まだ哲学を読みだして日が浅いのでちゃんと哲学しているかは お察しの通り疑わしい限りです。(ある学者によれば人は物心がついた ときから哲学を始めている、らしいですが) 現代哲学、その筋の専門家に言わせると違うのでしょうが、木でいえば 枝葉にばかりこだわり過ぎていて枝葉末節な気がします。中世以前の哲学を ほとんど理解することですら大変時間を要することなのに… ちゃんと哲学と定義されている哲学をしていないとは自分でも思っている(辞書によって哲学の意味の定義がバラバラなせいもあると思うのですが) ので、正しい哲学ができるようになりたいです。 しっかり理解する方法をご存知でしたら、是非教えて頂きたいなあ…なんて思ったりしてます。 アドバイスありがとうございました。

noname#80116
noname#80116
回答No.1

和を以って貴しと為す国では 人との共通性を見つけ これを和の基礎とするようですが これでは ゆたかになるとは限りません。 人との差異を きちんと認識し これを貴しとしつつ 進むのが お勧めです。その上での和を以って・・・です。 差異を認識するのには 人の文章を まづは 正しいと見なすこと その限りで信じて読み進むことが よいはづです。欺かれる心配はないかというおそれは 皆無です。むしろ そのようにすることによって 違いがわかります。まったくの同感という場合は 稀でしょうし まったくの同感であるのなら それでいいわけですから。 共感・共鳴するという場合は どこか別のところで違っていることに 早晩 気づきます。おかしいと思った場合には しっかりと批判しておくことも大事だと考えますが そこのところは お任せします。 さらに言えば その著者と同じようになること 同じようになりきって読み解いていくのがよいとも考えます。

cleanair4
質問者

お礼

人との差異を きちんと認識し これを貴しとしつつ 進む… 何となく人間関係にも置き換えられますね。 哲学書や文学書の究極の目的は創作者の世界観を共有することでよね。 書き手と読み手という人生経験や価値観が違う人同士が全く同じ 世界観になるということは無理な話だと思いますが、なりきる。 と思って理解していくことが読解の基本ですね。それで何となく世界観を シェアする。そういうことですよね? アドバイス、ありがとうございました。

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