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花押を据えるという行為

花押を据えるという行為はどの程度の労力と時間を要する行為なのでしょうか。 山室恭子さんの『中世のなかに生まれた近世』を読んで上記の疑問が湧きました。 自らの筆運びで花押を据えるという行為に比べて印判で済ませるのが薄礼であり、当主個人の人格を感じさせない印判状が事務的な文書の大量発給により適合的であるという論理はよく分かるのですが、前掲書の中で、印判状の導入によって文書の大量発給の“物理的条件”が整ったかのような書き方をされていたのが気になったのです。 素人目には、花押(それも書き慣れた自分の花押)を据えるという行為が、印判を押すという行為に比べて大量発給の妨げになる程労力や時間のかかる行為とは思えないのです。 どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示頂ければ幸いです。 もしくは、前掲書に対する私の理解が誤っているようでしたらご指摘下さい。

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  • buchi-dog
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回答No.1

「風林火山」の余波で最近出た本 武田信玄と勝頼 文書にみる戦国大名の実像 岩波新書 新赤版 1065 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31863126 で、武田信玄と武田勝頼の花押を書き順まで詳細に分析しています。 ※ この本、非常な良書と思います。「風林火山」様様ですね。 結論から言うと、「信玄や勝頼の花押は、書くのに相当な時間と労力を要した」ようです。厳密な順番で筆を動かし、真ん中を塗り潰し…と、なかなか大変です。そのため、花押の代用として龍の印判、名前を刻んだ印判が使われることが多くありました。これらの複数の印判の使い方も、上記の本に詳細に書かれています。 一方、サラサラと筆を走らせるだけの花押の代表として豊臣秀吉の花押が挙げられています。天下人ですから花押を書く量も半端でなく、なるべく早く書ける花押を研究したのかもしれません。

stkin1164
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 ご教示を受けて武田信玄の花押を確認してみたのですが、これを書くのは確かに大変そうですね。 源頼朝・足利尊氏・徳川家康らの花押が強く印象に残っており、この程度なら慣れれば簡単に書けるのではないかと考えていました。 印判状を積極的に導入した武田氏が複雑な花押を用いていたというのは興味深いところです。 ご教示頂いた本も読んでみようと思います。 有り難うございました。

その他の回答 (2)

noname#49020
noname#49020
回答No.3

 山室恭子『中世のなかに生まれた近世』を読んだことはありません(インターネットであらすじだけ調べてみました)。  まあ、印判状というものの出現は、行政事務作業効率化の一つなんだろうと思います。時代によって次のように変わっていったと思います。 (1)大昔は殿様(最高責任者)が文書の中身も自分で書き、署名していた。 ↓ (2)そのうち、文書の中身や差出人の名前は、事務方の役人が書き、殿様は花押だけになった。 ↓ (3)内容が軽易で数が多く出るものについては、殿様がいちいち花押を書くのは面倒で、馬鹿馬鹿しいと思うようになった。そこでハンコを自分でつく、または事務方につかせるようになった。 ↓ (4)現在の国や地方の行政の発給文書は全部ハンコで、しかも発信人の大臣や知事はその中身をほとんど承知していない。課長級がやってるんでしょうね(しかも実際にハンコをつくのはもっと下役)。 >「印判状の導入によって文書の大量発給の“物理的条件”が整ったか 」・・・このことについてですが、印判状の発明?OR出現?によって、行政事務作業が殿様にとっても事務方役人にとっても、楽になったことは事実だと思います。  それと、今でもそうですが、書類に立派なハンコがついてあると、「この書類は本物だ」と人々は信じ込む傾向があります。  今もし、都知事から何かの認可書を貰ったとして、ハンコがなく石原慎太郎のサインだけだったら、本物かどうか怪しみます。石原慎太郎のサインの本物を見たことが無いのでそういうことになります(慎太郎はギッチョで悪筆らしい(笑))。  一方デッカイ立派な都知事印があると、こんなハンコの偽物を作る人はそういないだろうと思って信用します。  ですから、昔の印判状のハンコも結構権威があり、ありがたがられたものと想像します。なにせ殿様の本物の花押を見たことが無い人にとっては、花押が本物かどうかわかりません。    やっぱり、花押を書く殿様にとっても、花押を貰う必要がある事務方役人にとってもハンコの方が楽でしょうね。公文書の立派なハンコというのはそれなりに権威があるように見えます。

stkin1164
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 ご回答有り難うございます。 確かに、責任者本人でなければ書けない花押や署名に対して、 差出の名義人でなくとも押せるハンコは現代の行政には不可欠ですね。 ハンコの権威のお話も興味深いところです。 戦国大名の印判にしても、複雑な形状や選ばれた文言などからして、 権威付けの意図というのは充分考えられると思います。

  • rczd
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回答No.2

『中世のなかに生まれた近世』は面白かったですね。 ところで、こうは考えられませんか?  「印判は本人でなくとも押せる」 いかがでしょうか。薄礼とは思えませんか?

stkin1164
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 そうですね。 いつの間にかサインは捺印に取って代わられ、現代では捺印こそが正式な承諾意思の手続きとされていますが、そこら辺の文具屋で売っており誰が押したのかも分からないハンコが何故本人の意思表示の証拠たりうるのか普段から疑問に思っています。 それはそうと、この本を読んで、冗談めかして語られる「後北条は戦国大名じゃない」との言葉の真意がやっと理解できました。

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