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歴史学の社会あるいは国家への貢献、ならびに仮定
歴史学は、たとえば日本史にしろ東洋・西洋史にしろ、社会あるいは、国家へどのような貢献をしているのでしょうか。 あるいはもし、著しく、歴史研究が日本で衰えたときに、国家レベルで困る具体的な、影響とは何でしょうか。
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素人であることをお断りしたうえで、私なりに考えてみたことを書いてみます。 基本的に即物的、直接的な貢献や影響は小さいと思います。どちらかというと精神的、間接的な貢献や影響が大きそうです。 1.見栄・自己満足 こう書くと冗談のようですが、歴史のあるものは無いものに比べて明らかに尊敬を受けます。国の歴史で考えると、外交などの面で決定的ではないにせよ確実に影響してきます。 また、自己の歴史を知ることは自国(民族)に対する誇りを呼び起こし、結果的に結束力を高めます。現在のアメリカのようにときめいている国にはほとんど意味のない要素ですが、国力が衰退してくるとアイデンティティに乏しい国(民族)はその衰退の速度を加速させると考えられます。 この他、歴史は文化および技術力の一要素として考えられ人々の知識欲を刺激して文化・学問レベルを引き上げ、また知識欲を満足させることで幸福感を与えると考えられます。 2.材料 そもそも学問そのものがその分野の歴史とも言えますが、特に政治や法律などの分野においては一般に言う歴史が重要な材料であると考えられます。歴史を無視した行政・立法は何度でも同じ過ちを繰り返すことになります。また、結果物である法律の実際の運用・修正にはその成立の歴史的背景を知ることがしばしば重要です。そのほか、歴史の密度は加速度的に高まっているため昔に比べるとその重要性は下がっていますが、行き詰まりの打開策を歴史に習う方法もあります。 う~ん、こんなところだろうか? 次に仮定についてですが、今の日本では直ぐに大きな影響は出ないでしょう。しかし、これは単に有史以来の歴史研究の成果が存在しているからです。これらを捨てることはすなわち原始時代に戻ることを意味します。 また、現在起きていることを整理して歴史として残すことも歴史研究の重要な要素ですが、これを放棄することは一切の技術の停滞を意味します。
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歴史とは「人類の統計学」であり、傾向性です。 天気は完全には予測できないですが、統計によって 傾向性はわかります。 同じように、人間の心も、悠久の歴史を通してその 傾向性がわかります。 「歴史」の研究は「人間」の研究といえます。 誰もが歴史書を読み、歴史を学ぶべきです。 そうすることでものごとを大きく見ることができ、 時代の方向性が見えて、その時代をどのように もっていくべきかがわかってきます。 ゲーテも次のような格言を残しています。 「三千年の歴史から 学ぶことを知らぬ者は 知ることもなく、やみの中にいよ その日その日を生きるとも」 歴史を知ることは、結局汝自身を知ることでは ないでしょうか? 過去に目を閉ざす者は、結局のところ 現在にも未来にも盲目となります。
- jyab
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bobさん 大変失礼しました。 私の国語力の問題でした、謝。
- bob
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>jyabさん >bobsは客観的な歴史があるように主張されているように見えますが これってもしかしてわたしのことでしょうか (^_^; もしそうだとしたらもう一度お読み直しください。全く正反対です。 (この書き込みに対するレスは特に必要ありません)
- jyab
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なんか熱いですね。 素人ですが、私なりの見解を述べさせていただきます。 1、歴史とは政治'外交'軍事など結果不確実で実験ができない分野での判断材料を提供するものだと思います。最近では、朝鮮半島南北首脳会談について、1930年代(?)のミュンヘン会議などが引き合いに出され、会談の有効性について問われていました。 otukisanがおしゃっるように、歴史には規則性はないのかも知れませんが、豊富な類題を提供してくれるものだと思います。 仮に軍事的な判断が必要な場合、判断材料として軍事研究が必要とされますが、研究のために実際に戦争をおこしたら本末転倒(笑)。やはり戦史を当たるのが普通。 2、自己の正当性確保するために必要。 3、現在の当事者の立場を類推するためだと思います。bobsは客観的な歴史があるように主張されているように見えますが、私はその様なモノは端からないと思います。あるのは、今現在の当事者の立場だけだと思います。観る者の立場によって、同一の事象でも、見え方が異なりますから。他国史の研究は、やっている研究者は好きでやっていると思いますが、社会的な意義からすればこうでしょう。 相手の立場がわかるとそんなに物事が悪化しないで済むのは世間でも通用すると思います。 補足、nutsさんの「妄言」というのは、「とるに足らない小人のいうこと」など差別的ニュアンスを含んでいます。かりにも自国の閣僚の発言に対して、このような表現を使うのはいかがなものでしょうか。納得のいかない発言を指すときには「暴言」と言ってあげてください。 こう言うと韓国政府のスタンスがわかるでしょ。
- otukisan
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歴史は学んでも意味がない、は、レヴィ・ストロースでしたっけ、 構造主義という新しいものの考え方を示したひとです。 私は、「歴史は振り返らないと意味がない」という旨を発言して、 歴史学の教授にエラク誉められた経験がありますが、 「過去がなければ今はない」ということを知らしめる点では、 歴史は重要な役割を果たしていると思います。 過去を知らないと、例えば失言問題が起きるのでしょうし、 イスラエルが荒れる理由がさっぱり理解できないことになるわけです。 国がこういうところにお金を出すのは、 重ねた時間を壊せないからでしょうね、良くも悪くも。 一方で、「こうなればああなる」という決まった歴史法則はありません。 「今までこういう規則性があるけど、将来は分からない」ということです。 そういう点では、統計学なんかもその中に入ります。 レヴィ・ストロースの「意味がない」は、多分こっちの方を指してるんでしょう。 ちなみに、大学の地理の教授は、世界地図を書けない学生を前に、 「世界地図もかけんで地理を学ぶな!」と一喝なさいました。 大局も知っていませんとね、言葉だけじゃ意味ないって事です。 学校の歴史は、そういう点で、意味ない部分が大きいです。 自作「日本の歴史」を作れば、 自分の「言葉だけ知ってる度」を痛感できます。 余談。 かの有名な経済学者にて革命家(?)、マルクス関連の文献が一番揃っているのは どこだと思いますか? 彼は、生誕地はドイツ、その後イギリスに住んだ人です。 なんと。彼の原稿やら関連資料やらが最も豊富なのは、 日本なんです。高千穂商科大学が世界一です。 (何でそうしようとしたかは分かりませんが、他がやらなかったんでしょうか) 現地が一番という学問ばかりでもないんですよー! あと、その人が興味を持ったことがよその国のことだったとしても、 その興味を奪う権利は誰にもないですからねえ。 日本人で西洋史に興味を持ったら、ハンディは覚悟で研究してますよ。 そういう研究者は、若い頃に留学したり、教鞭を執ったりして、 現地とのコネクションを強くしていますし。(エジプトと吉村先生とか) あとは、どこに住んでいても、発想の勝負です、最後は、ね!
- bob
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私も高校の頃学校で教えられる歴史について非常に反発を持ち、特に世界史などは平気で赤点をとってました。反発を持ったというのは、学校で教える歴史があまりにも中身の無いものだと感じていたからです。歴史が得意だという人と話をすると多くはただ名詞を羅列するだけで、「なぜ?」を聞くとろくに答えられない連中ばかりだった、しかもそういう連中が試験で高得点をとる、つまり歴史の試験の得点に意味はないという判断でした。結局、学校で教える歴史はか細い骨組みに過ぎないと私は考えていました。 今でも歴史は「なに(What)」よりも「なぜ(Why,How)」が大事だと考えています。「なに」を「なぜ」の材料として使えなければほとんど意味がありません。 ただ、最近になって学校で学ぶ歴史が「なに」に偏っていることについてはやむを得ないことかと感じるようになりました。これはmatekiさんとnutsさんの議論にも、私が最初の書き込みの1で「敢えて」見栄などやや卑下的な言葉を選んで学問の一般的な目的である真理の追究に関わる内容を避けたことにも関連するかと思います。 私の考えでは、歴史研究に力を入れることは必ずしも真実追究にはつながらないと考えています。はっきりとした資料が得られればそれ自体は真実であると考えることができますが、結局過去の歴史というのは推定無しには考えられません。また、歴史というのはそれを見る立場によって大きくその解釈が「矛盾なしに」変わると考えています。要するに「正しい歴史」というのが私には定義できないということで、これらはおそらく歴史学という学問の本質的な性質だと考えるようになったということです。 このような状況で学校で歴史の「なぜ」を教えることは非常に危険です。要するに教える側の教えたいことを強制することになるだけです。これはmatekiさんの指摘する中国の歴史教育の問題にも顕れています。結局、学校では客観的事実として認められる「なに」を伝えるに留めて、それ以降は個人に任せるというのは無難な方針でしょう。節頭のやむを得ないというのはこういう意味です。 これらを踏まえたうえで、matekiさんの新たな疑問について私なりの考えを書いてみます。 A.諸外国の歴史を学ぶこと まず1.見栄~の観点から見ると、相手の歴史を知ることは相手の共感を呼び、また思想を知ることで相手そのものを理解することにつながり、結果として外交や交易について有利に働くと考えられます。2.材料の観点から見ると、特に西欧の中世の歴史などは法律や政治において諸権利の発生の理由などを知るうえで非常に重要だと考えられます。また、諸外国の歴史から自国の歴史を類推したり、対照させて理解を深めることはしばしば有効です。 B.趣味的な分野の歴史を学ぶこと まず、1.はそのままで問題ないかと思います。また、2.で指摘した通り、そもそも学問というのはそれ自体が歴史です。諸学問はそれぞれが互いに絡み合って発展していきます。単純に応用研究と基礎研究の違いとして考えてみると分かりやすいかも知れません。数学や物理学の研究の大部分は即実生活に役立つということのあり得ない内容です。しかし、数学や物理学無しには工学の発展はあり得ません。1.2.双方の観点から見て意義の薄い歴史研究にはやはり国もそれほど力を入れずに民間に任せているはずです。 C.学校で習う歴史の一般生活への貢献 以上に書いたことをご賛同いただければ概ね解決すると思いますが、学校で学んだ歴史を試験の得点そのもので満足しているのならば自己満足以外には「何も役立たない」というのが私の考えです。
- nuts
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アカデミズムの場で歴史への議論がいかに深まっても、それが実社会に波及しなければ、「社会あるいは国家に貢献している」とは言えません。従来の、妄言とされ外国から抗議された閣僚の発言は、ニュートラルな立場から歴史学の成果を踏まえたものばかりだったでしょうか? なんらかの意図を持って学問の成果をつまみ食いされることが、歴史学の国家への貢献とは思えません。 また同時に、抗議する側の外国でも歴史学が発展し社会に波及していなければ、揚げ足取りの抗議が続く可能性があります。そういう意味も含めて影響があるとしたのですが、その点言葉足らずだったかもしれません。 ただ、前回までのわたしの回答は、質問の意図を捉えそこねていたかもしれません。まさに「認識不足による妄言」に相当します。その点は深謝します。 # 質問に対する回答ではないので、「アドバイス」とします。
- nuts
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補足拝見しました。が。 ここはそういう議論をするための掲示板ではないので、内容についての反論はしません。前回のわたしの回答にmatekiさんが納得されないなら、それはそれだけの話だと思います。 ともあれ、閣僚辞任というのは国家にとって非常な重大事であり、その理由に歴史学・歴史認識が関わっていることだけ、質問への回答として指摘しておきます。
お礼
史実に関する議論はしません。 そしてもちろんイデオロギー関係なく、近代史に関してよく日本人学者は研究し盛んな議論になっているとも思います。 それと閣僚の妄言が、どういうふうに、つながっているとおっしゃるのか。その点を教えてください。
- nuts
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日本では、第二次世界大戦に関するいわゆる「妄言」で、何人もの閣僚がその席を失っています。それがプラスであれマイナスであれ、これは歴史学が国家に及ぼした大きな影響ではないでしょうか。 bobさんの回答と一部重複しますが、現在の国力に自信を持てなくなったとき、歴史上の出来事に国家(民族)のプライドを委ねる事例はたくさんあります。第二次大戦中の日本における「神風」信仰、最近の北朝鮮における檀神君信仰など。 日本で歴史研究が衰え、正しい歴史認識ができなくなっていったら、上記のような妄言が増えて近隣諸国との摩擦が増加するでしょう。第二次大戦のみならず、秀吉の朝鮮侵略や元寇など、妄言が発生しやすいポイントはたくさんあります。また日本に限らず、これはどこの国についても言えることです。
補足
あなたのいっていることはおかしいです。 第二次世界大戦に関して研究している人は、日本にいっぱいいます。 そして今もさまざまな点において議論が行われています。 いわゆる「南京大虐殺」、いわゆる「従軍慰安婦」の問題、また天皇は当時どのような形で戦争に関与していたのか、これらはいずれも現在も多数の論文が発表されて議論中なのです。決してそれぞれの史実が確定したわけではなく、南京に関していえばどんどん結論が不明になってます。 そのアカデミズムのどちらかの意見を信じる閣僚がいてももちろん言い訳です。 またそれを公共の場で発表してもぜんぜん悪くないわけです。(極端に過激な意見をのぞいて:ホロコーストはなかったなど) 具体的になにが「妄言」だとお考えですか。戦後の閣僚発言で。 従軍慰安府も南京も、事実不確定なのに、どちらかの意見を発表したら、妄言とされるのですか。 今客観的に見て、アジアの国では、むしろ中国での歴史教育の方が歪んでいるように思います。 中国の歴史教育ご存知ですか?。中国の小学生、こんなんおしえられてんの??ってびっくりするないようです。
補足
わたしもいろいろ言葉足らずで、ほんとうに思っているところの疑問をうまく説明できないのですが、 たとえば、 「日本人がフランスイギリスの中世の歴史を研究しても、現地レベルに追いつくのは甚だ困難なのに、あえて研究する意義は何か?」 「例えば日本の美術史とか文学史とか、趣味的にさえ思われる分野で国からお金がでて研究させているというのは、結局どういうことか?」 「ふつうに社会人として暮らしている人にとって、中学高校までで習った日本史世界史の知識というのはどのような点で役立っているか?」 こんなことをいろいろ考えています。 すいません。話をミスリードさせて。