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なぜ人は人のカラダを気持ち悪いと思うのか
先日歯列矯正のため、健康な歯をひとつ抜きました。 無残に抜かれて血がこびりついた歯を見て、「あー、自分のカラダって気持ち悪い」と思いました。なんとなく愛着も湧いたのでとってますけど。しかし普段見えない自分の体の”なかみ”を想像するとなんか苦しいし気持ち悪いしコワいです。血液とか筋肉の繊維とか内臓とか、見たくはないものです。なぜそう感じるんでしょうか? 人は、交通事故でぐちゃぐちゃになった人の死体を見るとショックを受けると思います。えぐい、グロい、残酷。しかし例えば、犬が犬のむごい死体や生首を見てショックを受けるでしょうか。興味は示すが怖がったり気味悪がったりはしないんじゃないかと思います。実験したことがないのでわかりませんが。 なぜ人は人のカラダを気味悪がったりするんでしょうか?
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なかなか興味深い質問です。 感じるというのがミソですね。自分が感じることが全ての人に共通に感じる感覚なのか?例えば私は、自分の体の中を想像しても大してきもちわるいと感じない人間。他人の内蔵も見ていると痛そうと感じることはあっても、見たくないとは感じなかったりする。医療関係者及びその家族などには多いかもしれない。 人の感性は、幼年期~学童期に決まるとされます。その間にいろいろな経験をして、好き嫌いを判断するのです。例えば身近なところで言えば、食べ物の好き嫌いは幼児期にトラウマのある食べ物と言われます。大人になっても継続して嫌いになるケースが多いようですよ。 また、イメージとしてこれは不味そう、嫌いな臭いがする、食べると熱いかも、痛いかもなどのマイナスのイメージを持つとそれだけで実際に食わず嫌いにもなるとされます。芋虫なんて食べられないが、食べた後に教えられると食べられるというのも芋虫=ダメというイメージです。 それを、体に当てはめれば分かりやすいかもしれません。 怪我をして血が出ると痛いですよね。酷ければ涙が出る。それは、良い経験ですか?それとも辛い経験ですか?人はそこから連想をします。それが悪い方向なのか、それとも興味などの好奇心から来るものなのかで考え方は変わります。 いやいや、皆子供の頃から痛がるのだから、興味など・・・と思うでしょうが、実際には親や周りがどう接するかで子供は痛みを苦痛以外に感じることもある。子供に「いたいのいたいの遠くのお山に飛んでいけ」とか、「おかあさんに飛んでいけ」というのをすると泣きやむことがあります。 実際に痛いのですが、だからそれが辛い思い出とは限りません。自分より幼い兄弟がいて親がいつも笑って慰めてくれるのが、この瞬間なら思い出は良い物になりますからね。痛みを、我慢することもできるかもしれません。興味がそこから湧くかもしれない。本当に些細な違いで変わる。 感じるという感性は、コオロギやバッタとゴキブリの関係です。ごきぶりは大きく分けてバッタの仲間です。それなのに嫌われ者。でもバッタは大丈夫。ゴキブリは病原菌を持つなどの理由があるが、実際には菌がない無菌と言われても嫌いな人は嫌いです。それは、そういう嫌な物として育てられた結果です。多くの人が同じように感じるゴキブリなどは社会性(社会での常識)の一つと言えます。大多数の人が感じる、血を見て痛そうや目を背けるほど残忍だという感覚もその人間としての社会性です。もし、凶暴なゴリラに育てられれば・・・また違う感覚になるかもしれない。また、生死を争うような状況になると変わります。戦争などがそうです。犯罪者が、そういう犯罪を起こすのは、そういう事もあるでしょう。 犬猫の場合は、分かりませんが、高度な教育を受けそれに見合う知能と生きるための争いや食物獲得のための競争がなければ、多少は出てくるかもしれません。 ということです。結論はそのように育ったということです。 好き嫌いは誰にでもある。後は、それが少数派か多数派かの違いです。 人によっては、自分の命でさえも軽く見る人もいますし、重く見ている人もいます。
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他人が死ぬことと自分が死ぬこととの関係に似てはいないでしょうか。ごく親しい人だったら悲しいですが敵であったら大喜びすることです。しかし自分の死は想像だけしかできませんがその恐怖は格段に大きいです。自分の身に降りかかることは死ぬことだけではなく特別な意味があることが多いと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 確かに他人の死と自分の死は全く違うことですね。
通常生活をしている中で、皮下組織や内臓を見る機会はありません。そういう状況があるとすれば、それはケガをするか敵に襲われるような場面でしょう。 自然界で傷を負えば、その程度によっては命を落とすことになります。 話は少しそれますが、動物の中には警戒色というもので、他の動物を牽制するものがあります。 ヘビの毒々しい色遣いやヒョウモンダコの模様など、いずれも自分に近づいたら危険だということをアピールしています。 自分の躰の傷を気持ちが悪く思うのも、それが命に関わる重要な視覚情報だからではないでしょうか。 もし内臓などが、見て小気味いいほど美しかったら、場合によっては自分で切り開いてしまうおそれだってあります。(痛みさえ我慢できれば) 結局、避けるに越したことはない事柄だからだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 なるほど、普通に生活していて皮膚が裂けたり血が見えたりするときは大抵ケガなど命に関わる場合ですね。つまりは、痛みを感じるのと同様、人間にも元々本能的に備わっている感覚なんでしょうか。体の中が見たくなるほど美しかったら・・・それも恐ろしいことですね。
- marlborough
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カラスよけに、カラスの死体やそれを模した模型が効果があると聞きます。 一般に、動物は同族の死体や死を連想させるもの(損壊した身体など)に 恐怖感を抱くように本能的に条件付けられているのではないでしょうか? ある程度知能のある動物なら示すだろう反応で、人間だけに限った話では ないと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 昔飼っていた犬が出産したとき、そのうちの一匹が死んでしまったんですが母犬はその死骸を食べてしまったのでびっくりしました。我が子を食べれるのか・・・と。 カラスがカラスの死体を避けるのは、死体そのものに対する恐怖というより自身にも降りかかる可能性のある危険を察知して、ですよね。自己防衛本能ですよね。人間が自分の体や死体を気味悪がるのもそこからつながってるんでしょうか・・・???
お礼
回答ありがとうございます。 お礼が遅くなって申し訳ありません。 ”そのように育った”ということは、つまりは生まれ落ちてからの経験や思い込みによる刷り込みということでしょうか。例えば私は元来体が強くてめったに熱を出さないのですがたまに出すと親や周りが親切にしてくれた。だから今でも熱を出すとなんか嬉しい。みたいなことでしょうか。興味深いですね。