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番狂わせに終わった過去の戦争の例

 第三国から見て『番狂わせ』に終わった戦争には、どんな戦争がありますか、教えてください(負けるだろうと思われていた国が勝った例)。  日清、日露もそうだと言われていますが・・・。

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回答No.4

こんにちは、第三国というよりも、私個人から見ての『番狂わせ』ですが、 【1】先ず私は、ペルシア戦争あたりの時代にアテナイが直接民主制になってからの、ポリスとしての急成長ぶりに驚きました。 それまで弱小国だった国が直接民主制を手に入れるや、「自由のため」というだけの理由で(生まれながらに、民主主義にの国に生まれていると、ありがたみが分かりません)突然戦争に勝ち始めた事です。 (1)そこで、やはり番狂わせだった戦争は、『ペルシア戦争でした』 自由の為に戦い、ペルシア軍を挟み撃ちにしたとはいえ陸地での多勢に無勢を相手に、、、まさかの『マラソンの戦い』で勝利するとは思いませんでした。 逆に、その後の「サラミス海戦」では泳げないペルシア人相手に、相手方の船をぶっ潰す戦法で、戦いに勝っちましたが、これはなんとなく予想できました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%88%A6%E4%BA%89 (2)しかし、なによりも一番驚いたのが、「ペロポネソス戦争」です。 民主主義の為、自由の為に戦い、「貴族制の国相手に無敵の強さを誇っていた」ように見えたアテナイが、スパルタに負けた事です。 何故、旧来の寡頭政のスパルタ兵が、自由と民主制を背負い精神力で無敵の強さを手に入れたアテナイ兵に勝てたのか、未だに不思議です。 もちろん精神力だけで、戦争は勝てるものではありませんが、、、ペルシア戦争なんて、精神力だけでペルシア相手に勝ったようなものだと私は思いますし、、、本当に不思議です。 それにしてもスパルタ人は何故あんなに強かった、、、。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%8D%E3%82%BD%E3%82%B9%E6%88%A6%E4%BA%89 【2】戦争といえるかどうか分かりませんが、やっぱり「ええ??」と驚いた軍隊は、「アナバシス」に出てくる「ギリシア傭兵団」です。 クナクサの戦いで雇い主のキュロスがあっさり戦死してから、帰国するまでの間に、沢山の襲撃受けたり、戦いをしながら帰国するのですが、、、よくもまあ、全滅しなかったなぁ~。 と感心せずにはいられません。 誰も生きて帰って来るとは思わなかったでは、、、と個人的には思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B9 では、失礼します。

noname#49020
質問者

お礼

 古代ギリシャがお得意だったんですね。当方はまるで不案内、大変勉強になりました。

その他の回答 (5)

回答No.6

個別の会戦や戦争での「番狂わせ」はいろいろあり、日露戦争の日本海海戦は、今でも世界中の海軍学校で教材にされていると聞きますが、その後の世界史を変えた、という意味では、私もANo.4の方が書かれているように、ギリシャ戦争だと思います。 もし、ギリシャがペルシャに負けて、壊滅していれば、その後地中海沿岸のギリシャの植民地はできなかったでしょうし、ローマ帝国は成立ししなかったかもしれませんし、その影響は東洋まで及んで、世界はまったく別なものになったでしょう。 戦後の世界にこれほど影響を与えた戦争で、かつ、100万円馬券級の大番狂わせとなると、他にちょっと思い浮かびません。 たとえば、桶狭間で信長が死んでいれば、日本は別な国になったでしょうが、世界はあまり変わり映えしなかったと思います。 アメリカがベトナムに負けた時、 「ペルシャは小国ギリシャに負けても、軽い怪我をした、くらいの感覚だっただろうが、それがきっかけでゆっくり没落していった。アメリカもベトナムに負けてもたいした影響はないように見えるが、これから没落してゆくだろう」 なんてことが、まことしやかにささやかれました。 余談ですが、ギリシャ戦争のことは、世界最古の歴史書である「ヘロドトスの歴史」に詳しく書かれています。 たいへんおもしろい本で、前半はギリシャ戦争にいたる背景と各地の地誌風俗が、ゴシップ話をちりばめて書かれていて、後半は壮大な戦争絵巻になります。 ゴシップをひとつだけ紹介すると、ギリシャ戦争前の話ですが、 あるヘンタイのペルシャの王様が、寝室に若い近衛兵を隠し、寵愛しているお妃と、しているところを、見せました。 お妃は近衛兵がいることに気付いたのですが、その場は知らないふりをして、後からその近衛兵を呼び出しました。 お妃は、近衛兵の前に剣を置き、「おまえはこの剣で私に刺し殺されるほうがいいか、それとも王を殺して自分が王になり、私を妃とするか」と迫りました。 近衛兵は、お妃の手引きで王様を殺し、自分が王となって、ペルシャはますます栄えました。 この話なども、最近の研究では、脚色はあるにしても骨格は史実だろう、と言われているようです。

noname#49020
質問者

お礼

 面白いお話ありがとうございました。勉強になりました。

  • ZAZOU
  • ベストアンサー率41% (52/126)
回答No.5

ボーア戦争もそうと言えばそうかもしれません。 イギリス対ボーア人の戦争で、最終的にはイギリスが勝ちますが、政治的目的を達しただけで戦闘だけを見れば負け戦です。 このせいで極東に手が回らなくなり、日英同盟を結ぶことになりました。 世界の海を制した大英帝国の没落を如実に語っている戦争といえるでしょう。

noname#49020
質問者

お礼

>大英帝国の没落を如実に・・・ たしかに、ここいらへんからという感じが致します。ありがとうございました。

回答No.3

国内ですが、『関が原の戦い』・・・ 外国人も含めてどんな軍事専門家でも、『西軍の勝ち』、と推定するそうです。

noname#49020
質問者

お礼

 お雇い顧問もたしか西軍有利と断言したらしいですね。ありがとうございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

一時期のプロイセンが、強国にケンカを売って勝ってました。 七年戦争・普墺戦争・普仏戦争 いずれも戦う前にはプロイセン不利との下馬評だったようです。

noname#49020
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。おおせの通りと存じます。

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