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光市母子殺人事件について
議論を呼んでいる事件ですが、私が思うにあれはそもそも被告の元少年が犯行時「未成年なら、どうせ何をしても死刑にはならないさ」という意識があったのではないでしょうか。だから恐ろしいことに、軽い気持ちで「ついでに」乳児までも殺害したと考えるのが、自然のような気がします。少なくとも私は当初からそのような見方をしています。 そして裁判所での審理を続けているうちに、その大前提となる「年齢制限」が実は20歳ではなくて18歳であることがわかり、その可能性を感じてあせり始め、やっと真剣になったというのが実際なのではないでしょうか(だから友人宛にけしからない内容の手紙を出していたし、公判冒頭でも「どうせ死刑にはならないんでしょ」と発言していた)。だとすればそれこそが許しがたい甘えであり、その一点をもって死刑に値する事件ではないかと思います(見せしめというより、一罰百戒という意味も含めて)。 かくして差し戻し審の高等裁判所では、いかにも精神的に未成熟な少年だったように見せかけて死刑を免れようとしていると思えて仕方がありません(もちろん、弁護団の入れ知恵というか作戦でしょうが)。 このあたりのことは、私の勘ぐりが過ぎているのでしょうか。皆様方の忌憚のないご意見をお聞かせいただければ幸いです。
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誰が考えても、あなたと同じ考えだろうと思います。 つまり特別な「見解」や「勘ぐり」ではなく、極まっとうな考えです。 ただ、裁判ですから、「あなた、こんなふうに甘く考えていたでしょう。今になって精神的に未成熟な少年だったように見せかけているでしょう。」といくら責め立てたところで、本人が「そのとおり」といわない限り、その見解は「正しい判断(判決)」と言えるものにならないだけのことです。 本人が「私は殺意をもって二人を殺しました」と言わないので(言うわけないが)、裁判が長引いているのです。
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- gaisei
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大多数の人は、あなたと同じ意見だと思います。わたしは、この事件について意見を言いたかったんです。まず、確か弁護士が変わったのと22名になった時点で、被告の自供が変わったと思います。弁護士は、被告の権利や不利にならないようにすることが仕事なのに、死刑廃止の弁護士は、なにか被告の行った罪のない主婦と赤ちゃんの娘の2人を殺した事実が大きいことを、死刑廃止の中に包み込んで法廷内で闘うおうとしています。22名の弁護士は、被害者の悲痛の叫びと被告の性格からくるここから早く逃げようとする言動を比較して本来の弁護活動に戻ったほうが良いと思う。
お礼
そうですね。自分の親族が一方的に殺害されたとき、同じことを言い続けることができない弁護士ならば、即刻この事件から手を引くべきだと思います。
- sapporo30
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> 軽い気持ちで「ついでに」乳児までも殺害したと考えるのが、 > 自然のような気 元少年が犯行時にどういう心境だったかまではわかりません。 死刑にならない=犯罪を犯してもいい は、まともな考えとも 思えませんし。 殺害後、強姦するというのも、正常な精神ではないと思います。 そこまで計算高いのであれば、犯行は行われていなかったとも 思います。 彼の行為は、許されることではないですし、弁護する気も ありませんが、死刑にならないから、犯罪を犯した は、 いささか短絡的な気がします。 > その一点をもって死刑に値する事件ではないかと思います これには、同意できません。 命を奪うということが、取り返しの付かない大変な犯罪である ことは、言うまでもないことです。 そして、彼の命も ひとつの命です。 その命を合法的に奪うのが死刑ですから、一罰百戒というような 意識でそれをしていいとは思いません。 その犯行が、どれだけ凶悪、残忍だったものか?などを 慎重に検討したうえで、下すべきものと思います。 法治国家ですから・・・ > かくして差し戻し審の高等裁判所では、・・・ 現在の裁判については、最高裁で 死刑を回避する理由はない として 差し戻しされているので、あたらに 死刑を回避する 理由を示さなければ、死刑になることが決まっています。 その意味で、彼と彼の弁護士は、駄目もとというか、 なんでもやっているのだと思います。 そういう意味で、死刑逃れの為になんでもやっているというのは その通りだと思います。 そしてこれを言うと、非難されてしまいますが 死刑逃れの為に、法で許されている範囲で抵抗をするのは、 私は許容できます。 法の元で、彼を死刑にしようという裁判をやってますから 法の範囲内で、抵抗するのは、アンフェアだとは思いません。 また、死刑にされそうな側は、抵抗をするのは、自然であると 思います。 死刑になりたくない、死にたくない という気もちが出てきた ことで、自分の犯した罪の重さを本当の意味で認識できるように なったのではないかと思います。 この事件について、マスコミの報道の仕方には疑問があります。 最後の悪あがきをまともに取り上げて、どうするんでしょうね。
お礼
> そして、彼の命も ひとつの命です。 > その命を合法的に奪うのが死刑ですから、一罰百戒というような意識でそれをしていいとは思いません。 確かに短絡的な発想で死刑に処するのは禁物です。しかしあなたが主張するような理屈で、被害者の感情がいかに無視されてきたかも考えなければならないことなのです。被害者は罪のないまま、既に「死刑」に処されているのですから。 それが偶発的に生じたことならば被害者もまだ許せることでしょうが、犯意をもって殺害したことは許しがたいことだと思います。 他の殺人事件では、遺族が「これではまるで殺され損だ」と言っているとのことです。その言葉の重みもまた、十分に考慮されるべきことでしょう。
- sally37
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少なくとも弁護団は死刑廃止論をうたっている方たちばかりが集まっています。死刑にならないために色んな手段を講じているとしか思えず、例え殺意がなかったとして、過失を主張したとしても二人の命がどうして絶たれなければならなかったかを考えれば、不自然なのは明白です。 にもかかわらず二人の尊い命を落とす行為をしたことには違いないのに、それに対する謝罪や反省が全くない。 けしからん手紙の存在がすべてを物語っているように思います。 先日の記者会見における弁護士の涙にはあぜんとしました。
お礼
同感です。死刑廃止論が全く理解できないわけではありませんが、被害者が「殺され損」ということになることにも納得がいきません。 仮にこの元少年が死刑を免れたとしたならば、その後どうするつもりなのでしょうか。また刑務所の中でどうするつもりなのでしょうか。 せいぜい模範囚として刑期を全うするだけでは、遺族及び殺された被害者の気持ちは晴れないことでしょう。自分たちは不当に殺されたのに、加害者の命だけは保証されるのではどうしても納得できないでしょう。 殺されたのが自分の好きな親族だったとしたら、弁護団もはたして同じことを言い続けることができるのでしょうか。
同感ですね。 逆に最初から強姦目的ではずみで殺した。申し訳ありませんでした。と やっていれば、これほど世論の死刑熱望論はでなかったでしょうね。 過去の事例からみても死刑にはならなかったかも。
お礼
その通りですね。最初から下手に出ていることこそが、死刑を免れる最も強力で有効な手段だったように思います。 ここまで来れば、もはやその手は使えないでしょう。どのような判決が下されるか、今後とも注目していきたいと思います。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 他の方々からも同様の意見をいただき、私だけの見解ではないことがわかってある意味で安心しました。 この裁判は適正に裁かれ、適正な判決が下されることを望みます。