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周恩来
検索すると、たくさんのご回答が出てきました。でも、周恩来に好感というか、思う方の言葉には、よく「ナンバー2にありて」などというフレーズがでます。 この場合の「ナンバー2」そして周恩来が身を処した「ナンバー2」ということは、なぜに評価の項目になりうるのでしょう。 福田さんの「影の人」という言い方(本日の新聞の記事で、ご本人は自分を評して表現しているそうです。)に通じるのでしょうか。 近藤勇に一歩退いている、土方歳三等の生き方を評価しているのでしょうか。どうしてそれを評価するのでしょう。 朝廷に対する、藤原氏などの処し方を、いいとしているのでしょうか。 賢明ではありましょうが、それが評価されるのでしょうか。
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周恩来については、日本では好意的な評価が多いです。 ただこれについては、私はかなりの情報操作が日中両国の関係者によって、なされた結果だと、今では思っています。 今、あらためて周恩来の実像を調べてみますと、実に「しぶとい」政治家としての姿が見えています。 周恩来がNo.2に留まった理由ですが、あれは毛沢東という良い意味でも悪い意味でも強烈な存在を前にして、その位置に留まらざるを得なかったということです。 むしろ、立場的に毛沢東と一致していなかったにも関わらず、あの文化大革命すら失脚せずに生き延びて、国務総理という座で国益のために(おそらく共産党の党益を越えて)政治の実務を取りつづけたことは、驚くべき強靭さと政治手腕だったと思います。 私も周恩来について、なんとなく徳のある人だなと思っていたのですが、それらがマスコミ等によって情報操作された虚像であることを知りました。 しかし、今あらためて実像を調べてみると、中国共産党のあらゆる権力闘争を生き抜いてきた、別の意味で驚異的な人物像が見えてきます。 参考までに、下記のサイトの記事を紹介いたします。 『マルコおいちゃんのシナにつける薬』-『誤解されつづける周恩来』 http://marco-germany.at.webry.info/200708/article_8.html
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- komes
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私は20年ほど前に中国の理系の知識人に聞いたのですが彼らは異口同音に周恩来を崇拝して京都嵐山にある周恩来ゆかりの碑に参拝することを一つの予定に組んでいました。 彼らが文化大革命では恐らく犠牲者であった為なのかとも考えましたが少なくとも知識人の中では周恩来は熱烈な支持をうけているという感想でした。 その後興味を持って調べてみたのですが、私の理解出来た所では彼は希代の実務家であり遠い将来の見通しの利く点とそれに対して適格な布石を打つ事については代わりうる人はいなかったと思います。 晩年の毛沢東は既にカリスマだけに頼る人であり権力も弱体化していたので雲の上の存在となっていましたから政治の実態は周恩来に頼らざるを得なかった為、周恩来を憎みつつ重用せざるをえなかったのです。 文化大革命は毛沢東に再起のチャンスとなり、江青ら四人組は周恩来の失脚を最大の目標にしたのですが、毛沢東は時期尚早と抑えざるをえませんでした。 周恩来は既に健康に不安を感じ、失敗した文化大革命の路線の転換のため陶小兵らを復帰させる行動に出ていました。 彼のお陰で紅軍は生き延び、今日の中国があるのだと思います。 彼は実質No2の地位に留まることで権力闘争の外にいることで政治生命を長く維持できました。 No1になろうとした林彪を反面教師として。 彼は自分をNo2とは考えていなかったと思います。 そんな事を度外視して行動する程偉大な人物と私は評価しています。 それが死後国民的且つ自発的な周恩来礼賛の運動に結集したのが天安門事件でした。 その他の例にあげられた人物と同列に論ずべき人ではありません。
お礼
有難う御座います。 No.2 とは美学という意味よりも、そういう越えた選択の生き方でも あるわけですね。 どちらがNo.xにしろ、毛沢東は周恩来との確執を持っていたのですね。 歴史には疎いし、当事者たちとの知り合いもおりませんので、自分なりに、更に勉強を重ねたいとと存じます。 重ねて御礼申しあげます。
補足
No.2ということの意味についての質問でありましたが、東アジアの大国の政治中枢の方の行動、生き方に関することで、当然とはいえ評価の分かれている状況を知り、正直、当惑しております。 しかし、No.2ということが、No.1やNo.2も越えたところに処していることであるという意味もあるのだという、理解もでき、このことの意味ももっと知りたいと存じております。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
No.2の補足。 続きについては、No.2で紹介したサイトの、テーマ「周恩来」から探してください。 http://marco-germany.at.webry.info/theme/21e2145284.html
お礼
ありがとう御座います。いろんなことが新たにわかってきてしまい、 とても混乱してます。 平静乱る。そんな平静でもないが。
補足
はい、訪問しております。読書してます。有難う御座います。
- questman
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「おれがおれが」と言って他人を押しのけてでも前にでしゃばる人よりも、控えめなのが日本人の琴線に触れるのではないでしょうか。 諸葛孔明のように後ろから助言や諫言を与え、相手をトップへのし上げるのも才能のひとつですから。特に都市部のサラリーマンにとっては、わが身に置き換えて感情移入しやすい対象になりえます。 しかしご当地中国では「周恩来は策士のようで陰険な感じがイヤだ。毛沢東の方が良くも悪くもはっきりしてて良い」という人もいます。この辺りは評価する人の性格もからみ、まさに「人それぞれ」ということでしょう。
お礼
当地というお言葉で、或は、孔子、老荘、白楽天、屈原、周恩来の、聖地、大陸にご滞在かと拝察。遠く、お便りのご回答に一入(ひとしお)の感。 ーーー皆、私が、私の中のイメージで好きな方々。たくさんおられるの ですが。--- 厚く御礼申しあげます。
補足
中国の方からは確かに、控えめという処しの仕方は理解や評価は、私達日本人の理解や評価とはずれるかも知れませんね。 私も理解や評価がなかなかできないのです。つまり日本的な位相での精神発達が遅滞しています。古希だというのに。 貴兄様の仰せの、控えめという価値性とともに、もう一つというべきか、少し角度や表現のずれた、「ナンバー2」というものの美を愛ずる(めずる)美的観念や美意識を言っているようなのですが、どうも難しくて、そのあたりも共感したくて、質問を出させていただきました。 倅が高校のときだったか、「ヤクルトさ。巨人や阪神なんか。ヤクルトに一番になってくれなんて、いやしない。二番でいいのさ。一番なんて野暮くさい。」と、か朝飯のときにいってまして、この親にわからない事をいいやがって、と悔しかったのです。もう十有六、八年前ですが、記憶が消せなくて。 福田さんが自ら、影の人なんて、いうのと共通するのかななどと、連想もあり、いろんな二番手の中で、近藤勇と土方歳三、朝廷と藤原氏などを思いました。 通とか、粋とか大人っていう感覚なんでしょうかね。 私はやはり巨人だと思っていますが、これは野暮なのでしょうかね。 やはり一番がいいと思うけれども、田舎くさいのかな。そこらが判らないのです。どうか更なるコメントがありましたら、ぜひお願いします。 周恩来のナンバー2の相手はやはり、毛沢東ですね。 この大きな創造界の隠れた二番手、本物はなんなのでしょう。 葉隠れは武士の倫理にして、極意、そして美意識なのですが、これもさわさわ、風に小うるさい、青々と派手に枝葉、葉っぱを伸ばして、ということも含んでいたのでしょうかね。希薄な世界に自分を処す、そういう美意識もあるのでしょうか。
お礼
HPを拝読しております。有難う御座います。
補足
対象存在は、厚みと、多面性と、内部的、そしてそのもの生成までの経緯いきさつというものがあるとしても、周恩来の実像というか、異なる側面でもあるわけですね。 歴史や対象存在の評価と認識も難しさ、介在する事象や手たち。 これらを勘案していくと、不可知論という極論ではないが、おのれが認識したものこそが真理である。真理とは事実の存在ではなく、事実たるべき当為である。その当為とはどの程度、どんな通用性が有るかである。説得性と、時の何かへの有益性があるかである。というような独断へ持っていかれそうな気がします。 そういう仮に見方から物をいうなら、多分歴史の当事者本人も、本人のことを認識しえないでいる。ということにもなりかねない。 それにしても、歴史での一般的評価くらい、鵜呑みは気をつけないといけないと存じました。 身近というか、今の皇室の起源や歴史に今更ここでとやかくは控えるとしても、服ろわぬ、蝦夷は蝦とかに、土蜘蛛、熊襲、あいぬ、隼人は鳥ですか。出雲や三輪など伝説神話の話は検討できれば、人間という宿命が除けるかもしれませんね。小さな大学に45年以上いましたが、付き合いの少ない、無口の人を悪人に仕上げていた、説得力あるレディのいうことの真偽を判断できてきたのは、退職して8年経った、今になってです。 「しぶとい」は時として、悪・強いの仲間的フィーリングをもたせますし、言葉というのも、作用しているのでしょうね。 ことほどそんなもので、悪人として伝わっているのが、善人かもしれない。ここは小塚原の近くですが、何人が悪人だったのか。 考えれば、聖者や英雄というのも得てして暗殺や処刑で終わるのが多い。 周恩来を評価する方も、しぶとい、、、、云々が付いて回ります。 周恩来の実像は興味を新たにしますが、ナンバー2主義は、それとは別に考える事項としてみます。