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美の哲学

人類が誕生して以来、様々な哲学、思想、宗教がありますが、美しい、または整合性がとれていると思われるものは何でしょうか?教えてください。 私は自己中心的で、醜いです。そういう自分が大嫌いです。 純粋且つ理想的な美を探究し、それを支えにしたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • aster
  • ベストアンサー率70% (374/533)
回答No.3

  正面から考えるとたいへん難しい問題で、簡単に考えを述べたいと思います。 「美」とは何かということは古代から考えられてきました。プラトンは、真の美は、この世界にはなく、それはイデアー界にあり、この世の「美しいもの」は、美のイデアーを分有して美しいのだと考えました。 どれだけ美のイデアーを分有しているかで、美しさの大きさも変るのです。プラトンは、美のもっとも低いものは、例えば、「美人の美」とか「美しい品物の美」だと考えました。人の身体(容貌容姿)やものが美しいというのは、美の初歩なのです。 プラトンは、それよりも高い美として、「行為の美」というものを考えました。美人が美しいのは、偶然に綺麗だったということです。美人が顔に火傷をして、醜くなれば、多くの人が無視します。 それに対し、例えば、愛する人のために命を危険にしてもあることをする、または、祖国のために命を投げ出して戦い死ぬ……このような「行為の美」の方が、より美としては次元が高いとしました。 それはたまたま美しい容貌などに生まれたのではなく、その人の心・魂が、行為を決断するからで、たまたまではなく、意志の選択があるからです。 人間の魂は、本来調和が取れた完全なもので、美しいものなのだ、という考えがあります。ピタゴラスやその教えの人々は、数学の美というものを考えました。また音楽の美というものを考えました。数学の美や音楽の美は、本来、人間の魂に備わっていたもので、それをこの世で知り、聞いて、本来の完全な魂の状態が思い起こされるので、美しく思えるのだという考えがありました。 色々な考えがありますが、「本来の人間の魂・霊は、調和が取れた、美しいものだった」という考えが、とりあえずの答えとしてあります。 人は、イデアーの世界では、完全なもので美しいものだった、とも言えます。それは「魂」の話です。そして、人の魂は、実は、大いなる魂から分かれでたもので、この世の多くの魂は、元々が、同じものであったという考えもあります。 人に魂・心がなければ、美人だとかそうでないとかの判断もできません。美しい衣装だとか、宝石も、人の心が美しいと感じるのです。 そして人の心・魂は、この世に生まれ、生きて行くにおいて、段段濁って来たり、醜くなってくるのだとも言えます。生まれたばかりの赤ちゃんの心がもっとも美しいといっているのではありません。それはまだ、心として未熟な状態です。 この世界でもっとも美しいものは、「その本来性に近づいた人間の心・魂」なのです。 美しい行為は、美しい魂があって、行われることです。美しい宝石とか衣装とか、絵画、風景、音楽、芸術品などは、所有欲とか利益とか、社会的見栄などを離れてみれば、それらの美しさはやはり、魂に響き、魂に「美」を感受させるから美しいのです。 >私は自己中心的で、醜いです。そういう自分が大嫌いです。 人が自己中心的であることは、間違ったことでも醜いことでもないのです。「ただ自己中心だけしかない場合」が醜いことといえるでしょう。 100%自己中心的な人というのは、この世にはいないのです。例えば、見栄で献血にでかけたとして、動機は見栄であったとしても、その行為で、献血の血液は誰かの為になっているのです。 自分と他人を比較すると、自分を優先させるというのは、人はすべてそうであるといえるでしょう。 宗教ではなく、神話とでも呼ぶべきですが、他の人の魂は、実は、別の肉体や境遇、育成にあったあなた自身の魂だということも言えるのです。そしてこれはある意味,真実なのです。 他の人が困っているとき、あなたに余裕があれば、何かをするというのは、実は、神話的には、あなた自身を助けていることにもなるのです。 人は色々な境遇にあり、他の人の心を思いやる、「心の余裕」というのはなかなか持てません。しかし、先に言ったように、完全に利他的な人などこの世にいないのです。同様に、完全に利己的な人もこの世にはいません。 自分の心に余裕があれば、他の困っている人のために、わずかなことでもするということ、他の人の心をできれば思いやるということ、これが、「魂の美」を、少しでも輝かせることでしょう。 無私の心で、自分の財産、命も投げ出して人々のために尽くしたという人もいます。そこまでは、普通の人には、求められていることではないでしょう。他の人もまた、本来、自分と同じ魂を持ち、魂の美しさを持っているのだと思うこと、そして、イデアー的な永遠の魂の「美」へと、無限小にわずかであっても、近づこうと、自分の魂を輝かせることが、「美」への少しづつの歩みでしょう。 人は、より良い魂、より美しい魂を求めて、自分の魂を振りかえり、輝きのため、一歩でも進むことが魂の美への道でしょう。 大きなことではなく、ささやかなことから、自分の魂を輝かせて行くことが、美しさへの道でしょう。他者に認められるとかではなく、自分の魂の輝きは、本来、自分自身の喜びなのです。 人間は色々な欲や、思い煩うことや、悩みがあるので、この「内なる魂の喜び」が素直に感じられないのです。 わたしは利己主義の至りない人間ですが、魂のごくごく小さな部分で、美しさの輝きがあると思っています。もし死後に天国や地獄があれば、わたしはこのささやかな魂の美の故に天国に行けるでしょう。また、すべての人が,同様に、天国に行けると思っています。  

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 返事が遅くなって、すみませんでした。 asterさんの哲学は本当に美しいです。 >他の人が困っているとき、あなたに余裕があれば、何かをするというのは、実は、神話的には、あなた自身を助けていることにもなるのです。 心が洗われるようです。 天国というものがあるならば、そこでお会いしたいです。

その他の回答 (2)

回答No.2

哲学、思想、宗教の中で、最も整合性が取れているのは、キリスト教です。 はじめとおわりがちゃんとつじつまが合うのはキリスト教しかありません。 人類の誕生から、人間始祖の堕落により、自分でも嫌な悪(=自己中心性)が 人間の心の中に血統的に入り込んだ事実。そして、その問題を解決する為に、 神の血統の子女を送る約束をした旧約時代、そして、ユダヤ民族の不信仰に合い、 イエス様がこの地上で使命を果たせずして十字架を通して霊的救いのみを成就され あとの救いは再臨主に託された新約。そして、終末時代にこの地上の 肉的救いが再臨によって成就されることを通して、本然の世界へ復帰される。 このような完全な歴史観を持っているのは、キリスト教と共産主義思想だけです が、どちらが優れているかは、もうお分かりですね。 犠牲の精神を説く宗教が本物の宗教です。

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 返事が遅くなって、すみませんでした。 キリスト教の世界観は首尾一貫していますね。 じっくり腰を据えて勉強したいと思います。

  • yojiskt
  • ベストアンサー率18% (28/150)
回答No.1

身体的な綺麗さとは「時勢をメディアで操ろうとした支配者が若者を錯覚させて、踊らさせたもの」です。(表現が分かりにくいかも ^^;) 綺麗なフランス人を見ていると「私が輝くのは「私が私であるために」、全身全霊を注ぐ勇気にあるのよ。」と豪語している見たいに見えます。 それが、年を取っても綺麗でいる秘訣だと思います。 初老の映画俳優、女優をみるとそれを実践しているからだと思います。 (悲観は何も意味をなしません) 周りくどいことは終えて、バルセロナの建築家ガウディの建造物がいいと思います。 宗教、芸術、哲学、物理、数学、音楽、全てものが融合しています。 写真を見るだけでもいいと思います。(^^

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 ガウディの建築見てみます。

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