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「体験」を軽視している気がするんです

たとえばですけども、専門家と呼ばれる人たちが、必ずしも自身の体験に基づくことが少ないという点に疑問を持っています。 たとえば、「犯罪心理学」専門の学者とか、アル中になったことのない療法家とか、軍隊経験のない軍事評論とかいろいろあります。あるいは、軍隊経験も戦争経験もないのに、平和憲法について論じるとかもこの傾向であろうと思われます。もちろん、実践することはなかなかできませんから、当然人材は絞られてしまい、実現性はほとんどないかもしれません。しかし、一般風潮として、このような「体験者」をあまり重んじない傾向がないかと思います。 これは、どういうことなのか、どうも私の感覚からわかりません。なぜ、経験を重んじないのでしょうか?

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  • staratras
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回答No.2

体験の内容にもよると思います。ご質問の趣旨を極端に拡大すると「殺人経験のない裁判官が殺人罪の被告を裁けるか」ということにもなりかねませんが、言うまでもなくこれは極論であり、到底一般に受け入れられるものではないでしょう。また現役の自衛官を含めて、日本人の多くに戦争体験がないことは、日本にとって幸福なことであり、文句を言うことはできないでしょうし、戦争や軍隊の経験がなければ憲法論議ができないというものでもないでしょう。(勿論経験者の声は大切にすべきですが) 問題は、ちょっと頑張れば容易に体験できることでも体験しないで、ネットや読書などいわば「仮想体験」を実際の体験であるかのように考えてしまっていることではないかと思います。例えば原爆を学ぶのであればこうしたことに加えて、広島・長崎を訪れて資料館を見学したり、被爆された方のお話を聞いたりして、少しでも実体験に近づけるような努力をすることが必要なのではないでしょうか。

noname#41852
質問者

お礼

体験できない事を無理にさせるわけにはいかないという限界点に関しては、妥協していくしかないという事です。それが裁判官や政治。問題は後段で、体験がないのに抽象論に終始したい論客がネットにあふれている(このサイトも)という現状ですね。すこしでも、実体験が大事なのにと思うしだいです。

その他の回答 (4)

noname#108554
noname#108554
回答No.5

私もこの手の疑問は持っていたのですが、 チャーチルと新聞記者(?)のやり取りでなるほどと思いました。 新聞記者:絵を書いたことも無い人が芸術評論家をしている昨今の風潮をどう思いますか? チャーチル:別にいいんじゃね?私は卵を産めないが、よい卵かどうかを見分けることはできるよ。 要するに、「体験すること」とその体験について「評論すること」は全然別のことなのです。

noname#41852
質問者

お礼

いいこと言いますね、納得しました。 しかし、やはり卵を産む人がより総合的な評価ができることはあるでしょう。

noname#52467
noname#52467
回答No.4

逆に経験者の問題は本人の経験が強すぎて偏った味方をしてしまうのです。そういう点ではいろんな経験者の体験を自分のものにするのが今の複雑な世界では最高かもしれません

noname#41852
質問者

お礼

そういう考えもあるんでしょうね。 しかし「体験」と想像、間接経験の間には、やはり質的差があることは否めません。ないほうが客観的になれるというのは、あまりに人間の力を評価していないのではないでしょうか。

回答No.3

ま、バランスの問題ですね。 先の回答にもありますが、医者の場合を考えてみましょう。 大抵の医者(特に末期症状を診ている医者)は患者の体験を共有することはできません。とはいえ、一度大病をして病院の“非人間的システム”を体験したことで患者に対する対応に変化がでることもあるでしょう。 また、個人の体験できることがらには限りがあります。しかし、対応しなければならない状況は複雑で多岐にわたっています。(たとえば先の参議院選挙などでも国際関係や国家財政、教育、治安、etc) 逆にアメリカ大リーグでは野球選手の経験のない監督もいますし、そこそこの成績を上げています。NFL(フットボール)ではコーチの経験しかない監督(ヘッドコーチ)がスーパーボウルで優勝していますから。 ただ、面白おかしく解説することでTVなどに出てくるコメンテーターは「世間=床屋談義」の代弁者と思ってみていますが…。 やはり、見る側のバランスですか。

noname#41852
質問者

お礼

体験ができないけれども、それにかかわらなくてはならないという立場上、しょうがないという例は多くあります。しかし本当に「しょうがない」のであって、非体験を勧めているわけではない。

  • hanbag
  • ベストアンサー率23% (22/94)
回答No.1

 経験者が語るのは経験であり、専門家が語るのは原因、治療法、一般的な統計などの学術的知識・見解です。基本的に両者が語る際の「役割」が違います。  経験を蔑ろにすることはいけませんが、話の内容からして経験論よりも学術的知識・見解が重要視されるものもあるのですよ。(もちろん逆も然りです。)なにがなんでも経験が必要だ、というのは間違いのように思います。  例えとして「妊娠・出産」というテーマについて男性が語ろうとする場合を考えます。男性は妊娠・出産経験することができないので妊娠時のつらさ、出産時の大変さなどは感じることはできますが分かりません。ゆえに「妊娠している時はおなかが重くて大変だった。」という経験は話せませんし、はなしたとしても説得力もありません。ですが学問を学べば妊娠周期や妊娠時の身体の変化、妊娠何日目にはだいたい胎児はどのくらい成長しているか等は話すことができます。(そこには理論があることが前提ですが)  おそらく質問者様が、質問のように疑問に思われたのには、昨今のメディアや体験のしたことが無い学者などが経験と学術的知識を混合して話してしまっている人や、また話の内容から展開を効率よくし、より視聴者が「説得力がある」と感じるように経験者の経験論が重要な内容なのに経験の無い専門家に語らせているような傾向があるからだと思いますよ。そしてそれで「納得」をする視聴者がいる、ということも質問者様が考えている一般的な風潮に拍車をかけているのだと思います。日本人がもっと与えられた情報をよく判断し取捨選択するようになれば風潮は変わると思いますよ。    

noname#41852
質問者

お礼

語る内容によって、体験が重視される場合とそうでない場合があることはありますね。ただ、体験がないほうがいいということにはならないでしょう。できないので仕方ないという事。後段の、それで納得する視聴者が多いところに、犯罪心理学者に代表されるような、架空屋がはびこっているという事でしょうね。それに毒される大衆も発生する。

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