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記憶について

生物が生きていると云うことは、記憶にほかならないと思います。 どうでしようか ? 全く記憶のない生物がいるとすれば、それは生物とは云えない気もします。どうでしようか ? 46億年、絶え間ない学習を次世代へ伝え、そのうえに立っているのが人と思いますが、どうでしようか。

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  • ruehas
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回答No.4

こんにちは。 ANo.3です。回答をお読み頂きありがとうございます。 >そうだとすれば、例えば、今まで生で食べていた動物の肉を、ある日、森林火災で焼けた肉を食したところ、生よりも旨かった。これを後世に伝えたことで食文化も栄えた。 >もっとも、食文化の栄光は進化と云えるかどうかわかりませんが、記憶を後世に伝えたことによる栄光であることは違いないようですがどうでしようか。 はい、その通りであると思います。そして、それは「人類の進化」ではなく、「人類の進歩」であると既にご理解を頂いているのですから、私の方には全く異論はありません。 「進歩」とは「記憶情報」によって行なわれること。 「進化」とは「遺伝情報」によって起こること。 前回答でご説明致しました「神経情報」と「遺伝情報」の違いといいますのは、「進歩」とは「記憶情報の世代間伝達」によって行なわれるものであり、それは決して「遺伝しない」ということです。 では、そもそも「人類の進歩」とは「脳の急速な進化」によってもたらされたものであります。ならば、「脳の進化」と「人類の進歩」というのはいったい何処が違うのでしょうか。 「進化」といいますのは、 例えば、 「羽が生えて空を飛べるようになった」 「消化酵素が作られて今まで食べられなかったものが食べられるようになった」 このように、突然変異によって獲得された遺伝情報といいますのは何らかの「特定の機能と対応」することによって進化をもたらします。 では、「脳の進化」といいますのはどのような機能と対応するのでしょうか。脳の進化といいますのは他の形態進化とは異なり、特定の機能とは特に対応しません。逆に言いますならば、あらゆることが可能になるということです。 このように、脳が進化することによってある日突然色々なことができるようになることを進化とは言わず「創発」と言います。そして、人類の進歩とはこの「創発」に当たります。 人類の脳の大きさといいますのは300万年で三倍という生物史上例外的な発達を遂げました。ですが、現在、脳の進化は停止しており、ここ20万年ほど全くの変化はありません。片や人類が文明を築いたのは農耕定住生活以降の1万年間です。脳が全く変化していないのに文明が急速に発展するというのですから、これは明らかに進化ではなく、進歩ということになります。 「学習記憶」といいますのは動物が生後環境から体験・獲得した「神経伝達情報」です。学習機能を持っているのですから、その体験は他の個体にも獲得が可能であり、群れの中に保存されます。そして、新しく生まれた固体がそれを学習するならば、これは「文化伝承」ということになります。ですから、自然動物にも「進歩」というのはあるわけです。 ですが、これはほとんどが「行動の模倣」、即ち「非言語コミュニケーション」によって行なわれるものでありますから、申し上げるまでもなく限界があります。 人類が言語能力を獲得したのは、これは間違いなく「脳の進化」です。ですが、これによって起こることは、先に述べました通り進化ではなく「創発」に当たります。 言語能力を獲得することによって何ができるようになるかといいますと、コミュニケーション能力は言うまでもなく、学習能力、表象能力が各段に進歩します。更に、「文字」が生み出され「活字」が作られました。 これにより、 「情報の広域伝達」 「情報の世代間伝達」 「記憶情報の外部保存」 などが可能になり、人類の文化といいますのは圧倒的にこれによって支えられています。 ですから、「焼いた肉が美味しかった」このような学習体験が他のひとに伝えられ、あるいは、そのひとがこれを本に書いて図書館に保管するならば、それは正に質問者さんの仰る「食文化の栄光」であり、人類の英知・財産ということになります。 質問者さんのお考えは全く間違っておらず、それは事実であります。そして、それを裏付けようとするならば、この程度までの解釈で良いのではないかと思います。 では、これをもう少し拡張した解釈としましては、生物学者リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」という著書で提唱した「文化的遺伝子(ミーム)」というものもあります。 この有名な著書は、生物とは遺伝子を運ぶための道具であり、生命活動の全ては遺伝子自身が自らの存続を図ろうとする「利己的な行為」であるというテーゼを「ダーウィン進化論」に基づいて紹介するものであります。ここでは「動物の文化的伝承」もまた遺伝子が存続を有利にするためのものであり、ドーキンスはその因子を「文化的遺伝子(ミーム)」と名付けました。 これまで申し上げました通り、基本的には文化といいますのは遺伝するものではありません。ですから、これは極めて発展的な論説ではありますが、現在の質問者さんにとってはそれなりに興味深い内容なのではないかと思います。もしお読みになっていなければ一読をお勧めします。 お読みになれば分かると思いますが、ダーウィン進化論を前提にして文化を遺伝させるというロジックにはかなりの無理があります。

tk-kubota
質問者

お礼

「進歩」「進化」「創発」等々詳しく教えていただきありがとうございました。 また、著書まで紹介、ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.3

こんにちは。 我々動物の「情報伝達及び保持」には、 「神経情報の伝達と保持」と、 「遺伝情報の保持と伝達」という、 構造の全く異なる様式が用いられています。 このうち、「学習記憶の形成・保持」といいますのは「神経情報伝達」に当たり、こちらは「遺伝情報」とは違い、親から子に遺伝することはないというのが現在の生物学の定説であります。従いまして、「記憶」といいますのは一般的には神経伝達における「情報の蓄積・保持・再生」を指すものであり、質問者さんが仰るのは記憶ではなく、それは「記録」であります。そして、現実的にはそれは、その全てが「DNAの遺伝情報」ということになります。 このふたつの情報伝達の違いは何かといいますならば、遺伝情報といいますのは神経伝達における記憶情報のように与えられた環境から学習されたものではなく、それは無差別に発生した突然変異が自然選択によって淘汰・選別されることによって獲得された結果であるということです。 これがどういうことかと申しますと、それは自然選択の洗礼に従い、進化・存続が許されることによって初めて記録として残されるものであり、質問者さんがお考えになるように、与えられた環境からそのような遺伝的情報が獲得されたために生物が進化したということでは決してないということです。 このように、遺伝情報といいますのは神経伝達における記憶情報のように外界の作用によって作られるものではなく、内的・偶発的な要因が選別されることによって獲得されるものです。従いまして、学習記憶のような「獲得形質」が遺伝情報として保存されるというのは現在の生物学では認められていませんし、何よりも外的要因によって形成される記憶情報が外的環境の洗礼によって拒否され、淘汰されるということはまずありませんから、それが生物の進化に作用するということは本質的にないわけです。 我々人類は「世代間情報伝達」により学習記憶を保存しますが、これによって保障される生存と繁栄といいますのは、果てしてそれは人類の進化ではありません。何故ならば、進化とは飽くまで自然選択の洗礼によって不適応な因子が消滅し、新たなる形質の存在が許されるということであるからです。従いまして、文化的に蓄積された様々な英知によってその洗礼を退ける限り、必然的に人類はその進化を自ら拒否しているということになります。

tk-kubota
質問者

お礼

丁寧な文言で誠にありがとうございます。 大まかに判ったような気がします。 私が考えていたのは、記憶が後世に伝わり、その繰り返しが進化と考えていました。 どうやら、それは違うようで、記憶が伝わるのではなく、さまざまに生活環境のなかで、淘汰と選別が繰り替えされ、それが遺伝子となって後世に伝わっているようです。 こう云うことでいいでしようか。 そうだとすれば、例えば、今まで生で食べていた動物の肉を、ある日、森林火災で焼けた肉を食したところ、生よりも旨かった。これを後世に伝えたことで食文化も栄えた。 もっとも、食文化の栄光は進化と云えるかどうかわかりませんが、記憶を後世に伝えたことによる栄光であることは違いないようですがどうでしようか。 よろしかったらお願いいたします。

noname#194289
noname#194289
回答No.2

伝わっているのは記憶の内容ではなく、記憶する為の構造だと思います。遺伝子も記憶の為の装置と案が得る学者もいるので派内でしょうか。しかし貴方のおっしゃる記憶はもっと広い意味だろうと思いました。しかし自分が記憶する能力があるしていることを意識していない生物は沢山いると思います。

tk-kubota
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.1

赤ちゃんにはあまり記憶がありません。植物にも記憶がたぶんありません。これらは生きています。よって間違いです。 >記憶は感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに大きく分類される。 記憶ではなく、遺伝子が次世代へと伝わるのです。個体が生きていたときに学習したことは次世代へ伝わらない(獲得形質の遺伝は起きない)と言われています。

tk-kubota
質問者

補足

早速ありがとうございました。 「赤ちゃん」「植物」など、云われてみればそうだとは思いますが、例えば、花が蜜を付けることを知り得た理由は、ミツバチに花粉を運んでもらうこと知ったからだと思っています。 また、1万年ほど前、人類が狩猟採集生活から農耕牧畜に変化したのも、次世代への記憶の承継と考えていました。 更に、遺伝子も記憶が取り入れられるから進化があるのではないかと考えていました。 そのような考えから、全ては、記憶が基となっているのだと考えていました。 どうでしようか。

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