現実の世界を列車に例える方法があります。
現在という客車は過去という客車と未来という客車にはさまれています。客車の住人は未来の客車、過去の客車に移ることはできません、現在の客車の窓から列車の速度に対応した外の風景が見えるだけです。
つまり、過去と未来にはさまれた身動きできない世界が現実の世界であり、その世界から観測した法則が物理法則ということですね。
もし、客車の住人が過去へも未来へも自由に行き来できるならば観測される法則も変わってくることが予想されますね。時間を含む4次元(ごちゃまぜ団子型4次元時空間)という世界はそのような法則の世界ですね。そのような4次元世界では時間という概念を感じ取ることはできない世界です。因果律は存在しても過去に起こったことなのか未来に起こったことなのかが区別できないということですね。そのような世界では物理的な根本的な運動法則は一切意味をなさないですね。アインシュタイン博士は、3次元空間に時間を串刺しにした串刺し団子時空間を4次元時空間といってますが、空間と時間をごっちゃにした運動法則が存在しないごちゃまぜ4次元団子時空間が存在してもおかしくないですね。
また、らせん状の時間に3次元空間が串刺しになっていてもいいですね。アインシュタイン型串刺し団子時空間が存在できるなら、時間と空間を組み合わせたあらゆる世界も存在できるということですね。そのように考えると世界はもっと広くて大きくなりますね。
お礼
書き込みありがとうございます。 三次元空間は自由に往来ができるのに、時間だけ現在に縛られるのは不思議です。時間とは本来多次元でもよいものだと思います。往来も自由でいいと思います。でもどうしてこの宇宙はそうじゃないんだろう?と思ったことがあります。 もし時間が多次元なら、何もない部屋に突然バナナが出現してもおかしくないし、出現する前の現実に移動することも可能だし、そこから別の現実に移動することもできる。そこではバナナはリンゴかもしれない。でも距離的に近い事象が起きてるはずです。任意の現実を出発点にして常に放射状に未来(過去)が広がってる感じだと思います。