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平安時代の衣装
NHKの光る君へ、を見ています。そこで、ふと思ったのですが、千年以上前にあれだけの衣装を誰が作っていたんだろう、ということです。①どのような人が作っていたのか。②いくらで販売していたのか。が、とりあえずの疑問です。お詳しい方、よろしくお願いいたします。
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絹、麻、カラムシ(青苧)、が布地の原材料です。 主に農閑期の女性が機織りで布地を作って居ました。 布地は年貢として納められました、東京都調布市の調布は 布地を税金として納めた租庸調から来ています。 需要があれば、技術者が集まって来ます、平安京は、文化と 物作りの中心の華の都で庶民の憧れの地なのです。 平安時代は米と布地が物価の単位の基準で銅銭は偽銅銭が多くて、 貨幣での取引はしませんでしたので、価格は判りません。 安定して通貨で取引出来る様に成ったのは豊臣秀吉の頃からです。 --------------------------------------------------------------------- 宮廷の女房達の着物は紫式部日記に詳しく記載されてます。 ケチケチ予算の「光る君」は、遠く及ばない景色です。
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- D-Gabacho
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①すぐに着られる状態の衣装(既製服)を買うのがふつうになったのは戦後のことで、それ以前は反物の布を買ってきて自分で仕立てるのが当たり前でした。もちろん平安時代も例外ではありません。貴族の家では女性の召使い(女房)の仕事です。たとえば『落窪物語』では、中納言家の姫君でありながら召使い同然の扱いを受けている主人公落窪の君は、中納言の正妻である北の方から娘婿の衣装などの縫い物をひっきりなしに押し付けられ、夜もろくに寝られないほどこき使われています。 ②布の値段に関しては、国立歴史民俗博物館HPで公開されている古代・中世都市生活史(物価)データベース(https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/ktsb/db_param)で、「光る君」の時代にあたる西暦1000年前後の範囲を指定し、品目に「繊維」を選択して検索すると参考になるデータがいろいろ出てきます。
お礼
- toratora(@aasjetto)
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奈良時代前に韓国あたりから機織りなどの文化を持った人たちが渡来しています奈良時代は今の嵐山周辺に住んだ秦族という人たちが機織りをして朝廷に献上していました。朝廷の中には布を着物にする部署がありそちらで仕立てています。 販売はしていません。平安時代の貨幣取引はなく 働いてくれた人にお礼として衣服を与えたのです。
お礼