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明治以前の虫歯処置
昭和30年代、徳川将軍家の墓地を改装した時何人かの将軍や御台所、側室達はかなりひどい虫歯や歯周病に悩まされていたのが頭蓋骨の観察から確認されたのですが質問があります。当時、そういう高貴な人たちは虫歯や歯槽膿漏に罹ったときどういう処置をとったのでしょうか?一般庶民の場合はどうだったのでしょう。江戸時代には既に歯磨きの習慣はあったようなので全てが虫歯に苦しんでいたとも思いにくいのですが、詳しい方お願いします。
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詳しいわけでは、ありませんが。 静岡のほうの、東照宮の資料館で、「入れ歯」を見たことがあります。 木製だったかと思いますが、よく出来ているという印象でした。 私たち以上に器用だったのかと、思われます。 歯磨きは、塩を指につけてか、「ささら」で、磨くのが多かったのでは、なかったでしょうか。 甘味の摂取量が現代とは、格段に違うと思いますが、「蝦蟇の油」の効能に、「虫歯に詰める」というのがありますから、悩みを持つ人が一定数は、いたのではないでしょうか。 フィクションが加味されていると思いますが、日本のライト兄弟ともいえる、飛行装置にとりつかれた男が歯医者として、生業を持っているのですが、描写がかなり、細かくありました。 虫歯を抜くに当たって、患者の頭をあぐらの足の間に置いて、抜歯する描写がありました。
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安土桃山時代だったか、定かではありませんが、昔の歯医者の絵を本で見たことがあります。 鉗子(かんし)のようなもので歯を抜いている図でした。 麻酔のような働きをするものがあったのかどうか説明は書いていませんでしたが・・・・・ 「安土桃山 歯医者」で検索してみました。 江戸時代の抜歯の図があります。痛かったのかどうか私も知りたいです。 ↓
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1800年頃の絵だということですね。うーーん、痛そう。ヨーロッパではおどろおどろしいでかい鉗子が使われていたのは知っていたのですが日本にも江戸時代後期には伝わっていたんですね。1500年代に入れ歯が木で作られていたのは驚きです。もっと資料を探してみます。ありがとうございました。
- takuranke
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室町末期には、室町幕府専属の医官として口中医と呼ばれる医者がいました。 江戸時代になると幕府や藩には、お抱えの 口歯科、口中科を専業にする医師がいて、口、喉、歯の治療をおこなっていました。 こういう治療は武士や庶民の中でも上層階級やお金持ちの人に限られていたようです。 江戸時代に虫歯で悩む人々は、痛みがうすれるように、次のような民間療法に頼っていたようです。 それと庶民は余り虫歯にはかからなかったようです。 参拝、奉納、お払い、願掛け 病除けのお守り 僧侶・神官による加持祈祷 おまじない(コメカミに指を立てて強く押すとか) 守り札、 病封じ 鍼、灸(はり、きゅう) 生薬などの民間療法 家伝薬、売薬または漢方医学 既婚女性は鉄漿(かね:おはぐろ)をつけていたので、歯の病気の予防になったとも言われています。 歯磨剤については仏教伝来とともに渡ってきたそうで、最初は塩だったのではといわれています。 江戸時代には房楊枝(歯ブラシ)の使用が庶民の間に定着し、色々な記述が見られ、川柳にも詠まれています。
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>お抱えの 口歯科、口中科を専業にする医師がいて どういう治療をやったんでしょうね。やはり漢方薬で患者の意識レベルを下げるようなことをやったんでしょうか。 早速の回答、有難うございました。
お礼
有難うございます。 東照宮の資料館というと神君の家康君が使ったのでしょうか。木製の入れ歯というのが驚きなんですよね。家康君にぴったりだったのかどうか、違和感はあったのかどうか本人に聞いてみたいですね。虫歯に詰めるというので思い出したんですが昔、正露丸の箱にそういう使用法が書いてあったんです。むき出しになった象牙質にそういうものを詰めるとすごく痛いんですが最近正露丸の箱をスーパーで見てみたら無くなっていました。ガマの油は実際は何だったのでしょうね。興味深いです。 抜歯の絵は見たことがあります。抜き方や抜いても大丈夫な歯でないと局所麻酔を使っても後からすごく痛くなるのですがああいう風に歯を抜いた後大丈夫だったのかなー、きっと何日かはすごく苦しんだと思うんです。