「聖俗分離」は東西ローマ帝国の分離に由来し、
宗教用語というより政治的、文化的用語と考えた方がいいと思います。
ご存じのように、ローマ帝国分裂後も東ローマ帝国は
1000年以上存続しましたが、西ローマ帝国は早々と
消滅してしまいました。そこで西ローマの大司教はフランク王国の王様を
神聖ローマ帝国皇帝として戴冠させ、自分を保護させようとしました。
つまり聖権を持つローマ教皇がその権威によって世俗の君主を聖別し、
聖別されたローマ皇帝はその俗権を持ってローマ教皇を保護するという
持ちつ持たれつの関係がカール大帝以降成立するわけです。
もちろん実際にはここまで単純なものではないでしょうが、
おおざっぱな解説としてこのように理解してください。
ところが東ローマでは、長い間東ローマ皇帝がその座を保ったので
聖権と俗権が分離しませんでした。コンスタンティノープルの大司教は
東ローマ皇帝から独立してはおらず、東ローマ皇帝は聖権と俗権の
両方を保持し続けました。これが「皇帝教皇主義」です。
結局これは東ローマの滅亡まで続き、第三のローマを名乗った
ロシア帝国でもあまり変わらなかったように思えます。
「聖俗分離」についてこれ以上のことをお知りになりたければ、
学問&教育 > 歴史カテゴリで質問されればより正確な回答が得られると思います。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、「歴史」カテゴリーですか…。 カトリックと東方正教会では、聖俗分離している、していない、という面で異なるのですが、 どちらかといえば、教義に関するものと思っておりまして、 東方正教会の信徒の方であれば、「哲学思想宗教」カテゴリーで見つけてもらえるのでは、と思っていました。 歴史的な面ではなくて、教義の違いを知りたかったもので……。