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性格について

1・何歳で性格ってきまりますか? 資質と環境のどちらが大きく影響   するんでしょうか。20をこえると性格ってかわらないですよね? 2・短所の裏側が長所。実際、どうなんでしょうか。   僕の治したい短所。これも、ところちがえば、長所なんでしょうか

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  • viola1926
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回答No.4

No.3さんが医学的見地から具体的な説明を述べておられるので、 私からは心理学的立場から補足してみたいと思います。 以下、No.3さんとバッティングする点も多いですが、あくまで「性格」のとらえ方の相違だと考えてください。 No.3さんは「大脳辺縁系で獲得された情動反応に基づく精神活動」を「性格」としており、それに基づいて、性格は一生変わらないと述べらています。そして、その外側にある「大脳皮質の計画行動」は性格とは切り離して考えていますが、心理学ではその「大脳皮質の計画行動」も含めて「性格」と捉えています。つまり、3歳頃までに確立した気質だけでなく、その後の体験・学習などによって獲得した気質も含めて「性格」と呼びます。 正確には、心理学では人間の気質を「性格」と「人格(パーソナリティ)」に分けて考える場合があります。 人格とは、「個人の特徴的な行動と考えを決定している複数の心理・生理系の、個人内にある力動的な体制である」(Allport)と定義されています。 もう少しわかりやすいものでは、「人格とは個人の行動と考えの全体的特徴で独自性、統一性をもった包括的概念」という定義もあります。 つまり、人間が行動したり考えたりするときにはたらく、個人の内側にある全体的な特徴や概念のことを「人格」またはパーソナリティと呼んでいるのです。 これに対して「性格」は、生得的な素質、または人格の意志的な側面(人格を司るエネルギー)としてとらえる考え方があります。 このように性格と人格を分けた考え方に限って言えば、No.3さんがおっしゃっているように、「性格」は情動行動に基づくものであるとする考え方は妥当です。 ですが、現在の心理学では特に理由がない限り、単に「性格」と言う場合には「人格」とイコールとして扱うことが多いのです。情動行動だけを性格としてしまうと、それを抑制しようとするはたらき(超自我)や、そのはたらきに基づいて情動をコントロールしようとする「私」(自我)の存在を無視してしまう場合があるからです。あらゆる場面で用いられる多くの性格検査も、情動だけを測るものはありません。 また、一般的に使われている「性格」という言葉も、意味を生得的気質に限定して用いていることはそれほど多くありません。 これらのことから、質問者さんのいう「性格」とは、人格を含めた広義のものであると考えられるのです。 前置きが長くなってしまいました… まず1.の質問についてですが、 心理学で用いる広い意味での性格は、3歳以後でもあらゆる要因によって形成されます。多くの性格研究では、性格と環境的要因の関係を無視するものはありません。それらの定義では、その人の育った状況・親、友人等周囲の人間の影響・学校教育など、さまざまな環境によって性格は変容・形成されるとしています。つまり、「性格」は変わる、ということです。 もちろん、20歳を過ぎても十分に可能性はあります。 脳が急激に成長していく子どもの時期を過ぎれば、性格の変化量や速度も鈍りますが、変化しないわけではありません。この論理が成立するからこそ、カウンセリングや心理療法を通して性格の変容を促したり、問題を解決することが可能なわけです。 また、このような「性格」のとらえ方から考えれば、性格は遺伝や資質よりも環境の方がより大きな影響を与えるといえるでしょう。 2.の質問についてですが、 ある一つの思考・行動について、短所か長所かを判断することは、極めて主観的なものです。 性格検査では、「あなたはこのような傾向がある」という結果が提示されるだけです。それをどう捉えるかはその人次第ですが、その人の状況と、その人が持つ理想自己(私はこうでありたい!と思う理想の自分像)との兼ね合いで、短所か長所かが決定される場合もあります。 例えば、教員を目指している人の性格検査結果で、対人態度の得点が低かった場合、これはその人にとって明らかに短所といえるでしょう。「長所と短所は裏表」という理由だけでは、その人にとっては「これは長所かも?」とは思えないはずです。けれどもその人が、人と接する機会が少ない職業に就いており、特別高いコミュニケーション力を必要と感じていないならば、短所と言い切る訳にはいきません。 自分の理想自己がどのようなものであるか、その時点でどのような性格を理想としているかによって長所・短所は決定されるわけです。 そしてそれは、当然ながら個人によってバラバラです。 あなたにとってそれが短所だと思うならば、それは短所なのでしょう。 もちろん何かのきっかけで短所が長所に感じられることがあれば、それはそのとき、あなたの理想自己が変容したということです。 以上のことから、 >短所の裏側が長所。 というのは、半分当たっているようで、半分間違っているような感じでしょうか。

  • ruehas
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回答No.3

こんにちは。 >1・何歳で性格ってきまりますか? 資質と環境のどちらが大きく影響するんでしょうか。20をこえると性格ってかわらないですよね? 二十歳といいますのは大脳皮質の発達が成人に達する時期でありまして、特に性格が変更できなくなる年齢というわけではありません。敢えて申し上げますならば、二十歳では全くの手遅れです。 「性格」といいますのは「大脳辺縁系」というところに作られるものでありまして、この大脳辺縁系といいますのは大脳皮質とは違い、生まれたときからすぐに使える状態になっています。ですから、それは二十歳どころの話ではありません。我々の性格の形成といいますのは生まれてからすぐに始まり、その基礎というのは生後三歳頃までにだいたい決まってしまいます。従いまして、我々が成人に達するまでに身に付けておかなければならないのは、それは性格ではなく「品格」の方です。 我々の「性格」といいますのは、「生後体験の結果」に基づいて「大脳辺縁系」というところに学習・獲得される「情動反応」によって作られるものです。ですから、生まれながらの僅かな遺伝的体質の違いを除いては、そのほとんどが生後環境から学習されることになります。 生後三歳頃までを「人格形成期」といい、我々の「性格」といいますのはこの時期の体験にたいへん大きな影響を受けると考えられています。「三つ子の魂百までも」と昔のひとも仰います通り、生後三歳の人格形成期までに大脳辺縁系に学習された情動反応といいますのは一生ものとなり、これを作り直すということはお医者様でもできません。 では、何故この人格形成期の体験が一生ものになってしまうのかといいますと、ひとつには、生理学的には神経接続の強化が短期間で急速に進行する時期であるにも拘わらず、生後三歳では物事にきちんとした判断を下すことができませんので、どのような理由でそれを学習してしまったのかを順序立てて説明することのできる人はまずいません。そして何よりも、誰にとってもたいへん昔のことなのですから、その体験すらきちんと思い出すことがほとんどできないということです。ですから、自分がどうしてこのような性格なのか、その原因が分かるならば注意をしながら改善することもできるのでしょうが、筋書きさえ思い出すことができないのでは手の打ち様がないということになるわけです。 このように、我々の性格といいますのは生後環境によって決定され、その基礎といいますのは生後三歳までの短期間でほとんど出来上がってしまいます。ですから、その後の学習といいますのはこれを基にじっくりと積み重ねられてゆくわけですから、反応規準が多種多様に膨れ上がり、角が取れてしだいに丸くなってゆくということはありますが、それを変更するということは「雪だるま」の芯を抜き取るのと同じことでありまして、その基本的な部分が変更されるということは生涯に渡ってありません。 >2・短所の裏側が長所。実際、どうなんでしょうか。僕の治したい短所。これも、ところちがえば、長所なんでしょうか そんなことはありません。 確かに価値観とは流動的なものでありますから、長所・短所は表裏一体、所変われば品代わるという考え方もあるでしょう。また、質問者さんが短所であると思っていることが実際にそうであるとも限りません。ですが、だからといいましても、基本的には良い結果の得られるものが長所、悪い結果に繋がるものは短所でありまして、この判断を取り違えてしまうというわけにはゆきませんし、何よりも、この判断が付けられないのでは短所を克服することはできません。 性格を変更するということはできませんので、自分の欠点は克服する以外に手段はありません。ですから、短所というのは治すものではなく、悪い結果として表に現れないようにするものです。このためには、過去の悪い結果を基に、何が自分の短所であるのかをきちんと理解する必要があります。これが理解できましたならば現在の与えられた状況においてどのような結果が発生するかを事前に予測することができますので、悪い結果が予測されるのであればそれをわざわざ実行に移す必要はありません。これにより、短所は克服されます。 性格が宿っているのは大脳辺縁系ですが、この判断を下しているのは大脳皮質であります。 大脳辺縁系に情動反応が発生しますと、我々の身体にはこれに基づいて様々な行動や反応が発生するわけですが、このような「情動行動」として外に現れる結果がそのひとの個性であり、性格であります。ですから、性格が変更できないということは、この情動反応の結果を自由に変更することができないということなんです。そして、これによって選択される「情動行動」といいますのは無意識行動でありますから、結果の良し悪しは反応が発生するまで判定を下すことができません。このため、性格といいますのは無意識のうちに外に現れてしまいます。 これに対しまして、過去の体験を基に未来の結果を予測し、より価値の高い行動を選択するというのが「大脳皮質の計画行動」であります。従いまして、過去に様々な体験を積み重ね、自分がどのような性格であるのかということをきちんと知っておくならば、未来の結果を予測するのにたいへん有利ということになるわけです。 先に申し上げました通り、大脳皮質の発達が成人に達するまでには15~20年の歳月を要しますが、これに対しまして、情動反応を司る大脳辺縁系といいますのは生まれてからすぐに使える状態なっています。このため、子供のうちは情動行動の比率がたいへん高く、感情の起伏も大きくなります。ですが、やがて大脳皮質が発達し、様々な知識や体験が身に付きますと、情動行動に対する「計画行動の比率」はどんどん高くなり、これにより、我々は誰しも二十歳を以って「理性的な成人」ということに相成ります。 さてこのように、性格を司るのは大脳辺縁系ですが、未来の結果を予測するのは大脳皮質の役割です。これがどういうことかと申しますと、過去の選択が間違っていたのは自分の性格のせいであり、性格を変更すればより良い未来が選択できるというのは、これは大きな間違いであるということです。 性格を変えるということはできませんし、また、その必要もありません。自分の未来を切り開くということは、それは性格を変えることではなく、自分の性格を知るということです。そして、これができましたならば人生勝ったも同然です。 勝ったも同然では少々大袈裟ですが、人生を掌握するということは、取りも直さずそれは「悔いの残らない行動を選択する」ということです。そしてこのためには、正しい未来の結果をきちんと予測できなければなりません。自分というものを知り、それに基づいて行動を選択するならば悔いの残る選択が成されることはありません。もちろん、人生山あり谷ありですから、運、不運というのもあるでしょう。ですが、そのとき自分の判断が間違っていなかったのであるならば、何があろうと堂々と胸を張っていれば良いのです。人生を物にするということは、自分を変えることではなく、自分を知るということです。 但し、自分自身を知るといいましても、これはたいへん時間の掛かることでありますから、二十歳そこそこでこれを自覚することができたというひとは、私も経験上、恐らくそうはいないと思います。ですから、焦る必要は全くありません。じっくりと、足元から自分というものを見詰めて下さい。それまでは若気の至りなのですから、大概のことは大目に見てもらえます。失敗をいちいち気にする必要はありませんし、むしろ失敗は若いうちにいっぱいした方が得です。そして、それは質問者さんの個性なのですから、自分の性格をあれこれといじくる必要も全くありません。自分の力で人生を泳ぐことができるようになるのはそれからです。

mania_2007
質問者

お礼

詳しく、わかりました。ありがとう~

回答No.2

>1 よく3歳までの教育が大切だと聞きますね。脳の発達は0~3歳までの間に急ピッチで進められ、その約80%が完成されるといわれているそうです。 素人なのでよく解りませんが、資質と環境は半々位だと思います。 一卵性の双子では資質は同じでも、兄弟の位置づけによって随分と違ってきますからね。 20を超えても自分の意思で性格は変えられると思います。 現状維持で良いと思っている人は変わらないでしょう。 >2 明るくてポジティブな人→楽観的で考えが浅い。 暗くてネガティブな人→思慮深くて探究心が強い。 ほんの一例で悪いのですが、何事に関しても表裏一体だと思います。

  • backs
  • ベストアンサー率50% (410/818)
回答No.1

心理学の研究者としての立場で答えるなら、「そもそも性格などはない」ということになってしまいますね。 個人的な意見では、"三つ子の魂百まで"という先人の言葉に賛成ですね。というのも、私は非常に人見知りというか、恥ずかしがりやで人と話すのが苦手なのですが、訓練によって今ではどんな人にでも自分から話しかけられますし、大勢の前で話をするのも苦になりません。しかし、それでも誰かに急に話しかけられたりといったように、不意を突かれると戸惑うことが多いです。 つまり、根っからの人嫌いは改善されていないと感じているわけですね。 短所と長所については、短所と長所は表裏一体だと思いますね。これは人の性格に限らずとも、宇宙の仕組みだと感じます。