およそ、史書において確定している部分で3600年、完全には不明な部分をあわせれば4000年超えます。
まず、「現状において確実に存在していた」王朝としては殷王朝(もしくは商王朝といいます)が最古です。
これは、司馬遷の史記において、系譜まで書かれており、しかも20世紀に入ってから続々(10万点ほど)発見された甲骨文から、史記に記される殷王朝の系譜がほぼ一致することが確認されております。
ちなみに、史記が完成したのは紀元前91年ごろとされており、殷王朝の滅亡から1500年が経過しているわけです。殷王朝の系図について、史記には2名の脱落(ただし両名とも名前だけならば史記にあります)と甲骨文字で確認できない3人の即位記録、そして血縁関係の間違いがありますが、なにせ1500年前の記録をもとに系図を作成したわけですから、ほとんど一致するとして差し支えないと思います。
1500年もの間、その程度の変質しか与えないほど、記録を管理してきた中国人の記録精神には、脱帽するほかありません。かの国の記録好きはその後も残り、日本もかなりの恩恵を受けていますね。
なので、殷王朝はほぼ、史記などが伝えるまま存在したと考えられます。この時点で紀元前1600年からの歴史となります。
なお、この年号などは、夏商周年表プロジェクトという計画で相当詳細にすり合わせが行われており、かなり信頼できるものであろうことを付け加えて起きます。
さて、中国には殷王朝の前に、「限りなく実在した可能性が高いが、まだ考古学的な決定的証拠がでていない」王朝があります。471年間続いたとされる夏王朝です。近年さらに実在の可能性が高まっている王朝です。
殷は、10万点もの甲骨文字資料が出土しているためかなり正確にわかります。しかし、この夏王朝については、文献資料がいまだ出土していないのです。
史記は純然たる史実として乗せています。ちなみに、司馬遷は史記において、三皇とよばれる、夏王朝よりさらに2つ前の、ほとんど神話王朝の3つを、「史実ではない」としてばっさり切り落としています。彼の史実と伝説に対する姿勢はかなりシビアでしたから、司馬遷のころにおいては、夏王朝は「存在していたのは常識」であったのでしょう。
さて、この夏王朝は紀元前1600年ごろに殷王朝に簒奪され滅亡するのですが、史書には471年続いたとなっていますから、始まりは紀元前2070年となります。
さて、史記には夏王朝より古い、五帝とよばれる神話的な王朝が書かれています。夏王朝はその五帝から引き継いだ王朝と、史記はしています。
はっきりいってこの五帝がそのまま存在していたかはかなり怪しいと思いますが、それ以前になんらかの勢力が存在していた可能性は高いと考えます。
以上が中国の古代王朝ですね。一番最初に言いましたが、およそ3600年までは確定、それ4000年までは確実ではないが高い確率で国家が存在、それ以前はいまひとつ怪しいものの、存在していた可能性が0ではない。というところでしょうかね。