朝鮮については、外国に侵略した歴史がなく、外から侵略されて耐える歴史が続いていますから、他国に国として批判されるようなことはない様に思います。ただ、他国から侵略されたり、搾取されることが多かったため、難民同然で外国にその生活の場を求めた人が多く居ました。しかし、難民同然ですから、その国で社会の底辺の生活を送らざるを得ず、生活苦から犯罪に手を染めたり、生活の助けあいをする中で、強い民族的団結を示したため、その国に同化しない韓国人を排斥する傾向が見られます。
尚、日本に居る韓国・朝鮮人はほとんどが、第2次世界大戦時に、労働力の不足に悩んだ日本が、朝鮮から強制的に日本に連れて来た人々で、戦後、帰ろうにも、朝鮮での生活基盤がすでに失われていて、そのまま日本で暮らすことになった人です。
中国については、長い歴史があり、文化が進んで豊かな国であったため、
軍事的には他国から侵略されたり、侵略したりの繰り返しでした。
文化的には周りの地域が大いに恩恵を受けております。
経済的には、中華思想の影響で、周りの国が形式として中国に臣下の国としての礼を尽くせば、その国が中国に献上した物品の何倍もの価値のものを、中国皇帝がその臣下の国に贈るのが習慣となっており、周辺の国にとって、おいしい話でした。
付け加えると、中国は儒教国家で、武を軽蔑し文を尊ぶ価値体系を持っておりました。(その結果、ヨーロッパの強国がアジア侵略を行ったとき、国力があるにもかかわらず戦争に負け続け、半植民地状態となりました。)
つまり今日一般的である、シビリアンコントロールがかなり昔から行われており、国力に比べると、軍隊が少なく、周辺のはるかに人口の少ない国家にたびたび侵略されています。
更に、中国は歴史を大変重視する国です。今から2000年以上も前から、宮廷には史官という世襲の特別な職があり、皇帝の言動の記録をとっていました。 この職務を行なう上で、史官は絶対的な権限を持つ皇帝からも、干渉されないことになっていました。
具体的に言いますと、皇帝に都合の悪いことも全部記録されてしまうのです。皇帝が都合の悪いことを記録した史官を処刑して、別の史官に記録の改竄を指示した場合、新しい史官は、「皇帝は歴史改竄を意図して史官を処刑し、新しい史官に再度改竄を要求した。」と記録するのです。皇帝でもあまり身勝手な命令は出しにくいわけで、絶対的権力を持つ皇帝の横暴を記録をとることで、制限していました。
従って、中国の歴史書には、中国にとって・皇帝にとって都合の悪いことも記載された比較的客観的な記録ということになります。ですから、戦争による感情のもつれは、起こりにくいと言えます。
戦争が起きた場合、記録がしっかり残れば、誰が悪かったか、再発しないようにするにはどうすればよいか、次の世代に判断材料が残ります。これを中国は、2000年前から重視し、実行してきたのです。そして、その常識に従って、日本が中国に迷惑をかけたと謝罪するなら、当然「どういう戦争だったか」しっかり記録を残しなさい。と言っているのです。記録を残さない謝罪は、中国の常識では、その場限りの口先だけのものとなります。
中国の例外として、共産化した後の「チベット併合」が上げられます。これは日本の韓国併合に近いもので、イスラム圏であれば内乱が続くでしょう。ただ、チベットは仏教国で争いを嫌うこと、インドに亡命したチベットの指導者ダライ=ラマが非暴力の考えを持っていることから、流血は比較的少ないようですが、チベットの人々の反感は根強いようです。
付記
尚、今回の日本排斥は中国が国内での不満を日本を使ってガス抜きしようとしている。その証拠に、中国政府側は具体的な制止行動に消極的との説がありますが、当てはまらないように思います。
中国人にとって、「日本が全面的に悪いにもかかわらず、中国は賠償を放棄し、今後このような戦争が起こらないよう、歴史に教訓として残すことだけを求めた。にもかかわらず、今の日本人はなぜ中国人が怒っているのかさえ分からない。更には賠償が片付いたらきれいな体など、恩を仇で返すことを平気で言っているものさえいる。歴史に教訓を残す責任を、日本は全く果たしていない。」これが中国人の政府要人から市井の人に至るまで、共通の認識であり、大きな苛立ちです。
大多数の中国人は暴力を嫌いますから行動にしませんが、心情的に今回の騒動は、中国全国民に全面的に支持されているのです。従って警官でも物的損害にとどまっている限り、ほとんど制止することはないと思います。