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満洲は中国ですか?歴史的に。

中国領かという質問ではありません。同じくチベット・モンゴル・台湾・尖閣諸島も、歴史的にみて「中国」なのでしょうか。満洲やチベットが「中国」であったというその歴史的根拠をお知らせください。

みんなの回答

  • raky753
  • ベストアンサー率39% (17/43)
回答No.5

こちらをどうぞ。 下に掲げたページ以外にも豊かな内容が載っています。 http://members.at.infoseek.co.jp/tou46/re_70_02.htm

参考URL:
http://members.at.infoseek.co.jp/tou46/re_70_00.htm
  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.4

歴史的に見れば満州が中国かといわれれば、どちらとも捉えることができると言えましょう。 中国とは中華思想が中国中心に存在する国であり、その場所の人がそこは中国の一部だと考えるところです。中国とはそういうものであるのでどんどん広くなってきています。 昔は華南地方も中国とは言われなかった頃もあります。中華思想が中国中心に存在する國と考えれば、ベトナムやタイ、カンボジア、朝鮮なども一時期は入ってしまいます。 現在の中国とは清朝末の領土をほぼ中国としています。清朝の領土ですので満州、チベット、台湾は中国の一部です。モンゴルも内蒙古は中国であり、その外のモンゴルは中国ではないとなるわけです。

回答No.3

中国という枠で考えたら中国です。それは中華圏になるからです。 漢民族の地域か?と言われたらノーです。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.2

大戦前の中国は、清朝でしたよね。彼らの本幹は中国東北部でした。昔で言う「満州」です。漢民族の本幹は黄河流域でしょう。元の本幹はモンゴルです。 元の時代には、チベットはおろかイランやスロバキアまで中国の領土でした。 まあ、日本で言えば尾張の田舎守護の信長が天下をとり、後に三河の家康が天下を取り、その後に、明治になって京都から天皇が江戸に出てきたというようなことを地理的に大きくしたものでしょう。 天皇家も本幹は朝*かもしれません。遊牧民説をとれば黒竜江のあたりの出身ですから、かつて日本が満州を自領としたのも正統な論拠かも もし、出身の定かでない秀吉が長生きしていたら、日本の首都は上海あたりになっていたかも知れません。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

中華思想的には中国になります。 皇帝の権威を認めて、皇帝の代官が派遣される場所が中華であり、皇帝の権威を認めないところが非中華となる。この二つしかない。