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標準語成立要因

この質問の直前に、http://kikitai.teacup.com/qa3160910.htmlにより、関係事項を皆様に教えていただきました。ありがとう御座いました。それにしても、あの質問ではもう、新たなご回答もなくなり、そしてまた私自身もある勉強会にも赴きました。それでなお教えていただきたいことがありましたので、先の質問は閉じ、項を改めた方がいいと存じまして、ここに新規の項を起しました。よろしくお願いします。 (1)私達の民族性から国語というと、他の民族や国とは多少ニュアンスの異なるものがあるかと存じます。それにしても、ここのカテゴリーでも、教育でも使用されている、一般的な国語という用語は、他のいろいろな苦肉の造語同様に馴染み感と共に、違和感も感じる方はおられないでしょうか?  (2)ことばは人工だけでは、とても成立、存続していかれませんね。だから標準語も、国として、政治や統治のためにはどうしても必要であったし、軍事面でもそうでしょう。そして更に、国民同士としていろんな次元、側面でのコミュニケートする場合も。私達の標準語はそういう意味で、相当明確な姿をもってきていると共に、それは多くの先人がいろんな側面と次元から工夫と努力してきているのでしょうね。明治以前のばらばらな言葉では、とても苦労されたであろうから。だから国語という語感で国も相当意図してきているとしても、標準語成立過程では、それは意外に部分ではないでしょうか?先のご回答でも、森有礼の他、廓、狂言、祝詞などの話し方なども参加しているし。そうならば、狂言と同じステージものとしえ、落語や講釈、浪曲なども参加しているかもしれませんね? (3)そして更には当時のいろんな出版、ジャーナリズム、大道芸の話し方も要因に参加してないのでしょうか? (4)そういうのをうまく、まとめる形で公教育や軍隊も動いてきたのではないだろうか? 国の権力とその都合だけがやったのだというのは誤解だったという理解はできないでしょうか? (5)しかし標準語が出来る中で、失われたものもたくさんあるのでしょうね。どんなことがうしなわれていったのでしょうか? (6)最後ですが、先のご回答で、アメリカが、日本の標準語生成過程に、反対したとのご記述はとても気になり、これはどういうことか、お教え下さい?  以上のうち、判ることだけでいいので教えてください。すみません。お願いします。基準や水準に馴染めない、法解釈の徒として。

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  • azuki24
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回答No.2

いわゆる標準語としての国語の成立過程については、下記の本が平易で分かりやすく参考になるかと思います。 安田敏郎 著 『「国語」の近代史 ―帝国日本と国語学者たち―』 (中公新書1875、中央公論新社 刊、2006.12.20) ----解説目録より--------- 明治維新後、日本は近代的な統一国家を目指し、ことばの地域差・階層差を解消するため「国語」を創始する。「国語」は国民統合の名の下に方言を抑圧し、帝国日本の膨張とともに植民地・占領地にも普及が図られていく。この「国語」を創り、国家の国語政策に深く関与したのが、国語学者であった。仮名文字化、ローマ字化、伝統重視派、普及促進派などの論争を通し、国家とともに歩んだ「国語」と国語学者たちの戦前・戦後を追う。 ------------------------- 「標準語」は国家によって定められた言語です。江戸時代までは、国や身分によって使う言葉がまるで違いました。国家としての統制を保つ必要から言葉の標準化が進められました。ただし、現在の日本の法律では日本語を日本の国語・標準語と定めた条文はないのはご承知の通り。国家が日本語の発音や正書法を規定した「標準語」は存在しません。学校教育では「国語」を教えることになっていますが、国語は日本語であるという規定はどこにもありません。例外的に、公用語として日本語を使うことを定めた法令はいくつかあります。 ---------------------- 「裁判所法」 (裁判所の用語)  第七十四条 裁判所では、日本語を用いる。 ---------------------- 現在は文部科学省でも「標準語」という言葉は使わなくなったはずです。NHKの「国内番組基準」でも、「標準語」ではなく「共通語」という言葉が使われています。 ---------------------- 第11項 表現  1 わかりやすい表現を用い、正しいことばの普及につとめる。  2 放送のことばは、原則として、共通語によるものとし、必要により方言を用いる。  <以下略> ---------------------- その昔、「標準語」と呼ばれていた言語は「昔の東京の山の手の教養ある人々の言語」をベースにしたものです。いわゆる江戸弁の流れを汲む下町の言葉は典型的な東京方言です。「東京方言はない」というのは「東京地方という言葉はない」というのと同レベルの大きな勘違い。 共通語の普及が著しく進んだのは放送の発達によるところが大きいと思います。日常生活では方言のアクセントや言葉遣いしか使わない人でも、おおやけの場ではきれいな共通語のアクセントや言葉遣いのできる人が当たり前のようになっています。東京方言も各地の方言も、純粋な方言を使いこなせる人は少なくなっているようです。言葉の豊かさと言う点では嘆かわしいことかもしれません。

krya1998
質問者

お礼

 允に総まとめ的に、全ての事項について、行き届いたご教示に、心から感謝の気持ちを更に擁いてお礼申しあげます。法律の専攻ですから、裁判所法には接し、面白い条項と存じておりました。しかも日本語という使用用語に、なるほどなどと50年も昔、感心しておりました。  ことばは思想や人の生活、感情、存在とは裏表のように、切り離せないところがあり、言語や文学を専門にしてなくても、非常に関心を持ってきております。本当にありがとう御座いました。私もいつものように3時に起き、日課を済ませ、ご教示に接しております。

krya1998
質問者

補足

(1)成文の法的根拠がなくても、国として、共通ないし標準に使うべき言語としたものが、所謂る共通語ないし標準語ということなのですね。裁判所法第七十四条の日本語という場合は、この≪共通語ないし標準語≫という範囲には限られないが、≪現代に、日本という統治の領域で話されている、あるいは話されているとされることば≫ということなのでしょうね。  (2)≪共通語≫ということばは、≪標準語≫よりは強行性がなくていいが、でも日常の生身の人間にはちょいと恐ろしさもありますね。他にいいことばはないのですけれども。  (3)それにしても≪国語≫を≪日本語≫とするという成文条項は設けられなかったろうし、設けなかったことは国民性からも非常に賢明な結果でもありましたね。議論、研究、模索などのプロセスでは、学者、研究者、有識者なども議論したりした経過があってのことなのですね。その中にさんしょうされたのが、山の手ことばや祝詞、狂言や舞台言語、ないし出版、ジャーナリズムということですね。  (4)律令が整い、文書や役所とのやりとりの原則が定められ、統治のヒエラリーなどが浸透させられていった経過と当時の領民たちのことも思い浮かんでくる、共通的言語の生成過程でもありますね。  (5)形に追いつき標準になる能力に薄い私には、そういう類の基準はとてもつらいところがありますが、そういう思いの人は他にもいらっしゃるのではないかと、秘かに応援したい気持ちでおります。もしお時間などが許せば、私のコメントの誤りや思い違いをどうかご添削ください。でもお時間がなければ、しかたありませんから。

その他の回答 (1)

  • ok2007
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回答No.1

どこにスポットライトを当てるのかで、様々な見解が出てくるように思います。 おおまかには、マクロ的な視点でいえば、標準語の生成過程は国の権力、国の都合に他ならないといえるのではないでしょうか。現在のように高速の移動手段が存在しない明治という時時代にあまねく標準語を行き渡らせたのは、政治的理由以外にはちょっと考え難いような気がします。なぜなら、それ以外に標準語を全国へ広める必要性がないと思われるからです。 他方、ミクロ的な視点では、例えば「誰がどのように標準語を教え広めたのか」に光を当てれば、お考えのとおり落語なども加わっているものということが出来るでしょう(ただし、実証は必要でしょう)。

krya1998
質問者

お礼

 早速にありがとう御座いました。 共通語ないし標準語が行き渡らなければ、施政にも統治にもいろいろ支障がありましたでしょうね。それ以外は主としてな考えられないでしょうね。当時確かに国民がそう、交流しなければいけない事情や必要はなかったでしょうから。やはり国の主導が唯一最大のファクターになって、生成させられていったのでしょうね。 国民側も必要だったというのは、明確にはそうではない、と思い込みを改める必要がありましょう。  ありがとう御座いました。

krya1998
質問者

補足

マクロ、ミクロの視野を度外視して、お尋ねしまして、重点がぼやけてしまいました。仰るとおり、国の都合ということでしょうね。それは一定の時という意味での都合も加味されている、国の必要ということでしょうね。統治、近代国家としては、為政側も、被為政側(これは造語)も必要であったという面でしょうね。反面犠牲になっていった、文化や思い、人間性みたいのもあるのでしょうね。飲食には直接あまりはかかわりがないけれども、大きいことでした。ミクロとうお言葉で始まる、パラグラフに移りますが、祝詞、山の手言葉のほかに、狂言が参照されていたというご回答を戴いておりますので、これは確かだと存じます。その他の舞台言語については未実証であることは仰るとおりであります。 ありがとう御座いました

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