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言葉ができた時
今使ってる日本語にしても英語にしても必ず一番最初に誰かが作ったはずですよね?その時その作った人はどうやってその言葉を人につたえたのでしょうか?名詞を教えるだけなら,教えたいものを指差してその名前をいえば良いと思いますが,疑問系とか実際指でさせないものとかはどうやったのでしょうか?分かる人がいたら教えてください。
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専門家ではありませんが。 まず言葉自体は一人の人間が作り上げたものでは無いと思う。 現代では一つの物に対し必ず意味する一つ以上の言葉が当てはめられています。 一つの物を意味する言葉の発端自体は実に単純なものだと思います。 例えば、風がピューと吹く、それだけでも人は音として感じ取り口で口真似をする。 そういう物を動物や物に当てはめたとしても同じ様な行動が起きると予想できる、 そしてそこには言葉という物が雰囲気的に自然と生まれていくのではないでしょうか。 疑問や、物として存在しない意味の言葉については、人間も猿から進化した動物ですから 言葉ではなくとも元からある程度の統一された意思表示方法があっても不思議じゃありません。 言葉が生まれる以前に脳が発達すると必ず、コレとコレは?、という疑問が生まれます。 それを他に伝える場合、必ず言葉に変化させ伝えなければ通じません。 その様な意思表示の繰り返しが疑問などの言葉を生み出したのではないでしょうか。 又、言葉と言うのは当然その意味する言葉が統一された時初めて他との交流が成り立ちます。 恐らく私が思うに、元々散り散りで点々と暮らしていた人間が その場その場で築き上てきた言葉が元からあり、それが他の地の者との混じりあいなどで 共にお互いの言葉を共有し合いつつ統一し合ったのだと思います。 この人が、これはリンゴだ、と言ったのに、別の人は、いやこれはナシだ、 と言っては意味が通じ合わず話になりませんからね。 そういう意味で、意味の成り立ちやお互いに通じ合いやすく分かりやすく 幅広い範囲で使えるなどそれらの事を考慮し統一する言葉を定め 言葉の統一が行われたのではないでしょうか。 その様な行為が何世代にも渡り繰り返され今の言葉があるのではないでしょうか。 又、海という大きな壁で挟まれた別の国の人間は交じり合う事が そもそもなかった為それぞれ使う言葉が全く異なるんでしょう。 ある程度統一化がなされ国土全般に普及してしまった言葉に、 更に別の地から言葉を取りいれ統一をする、という行為はとても至難を極めますからね、 ですから今現在でも国によって言葉が違うのだと思います。 そう考えると言葉と言うのはまだ発展途上の物かもしれませんね。
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以前非常に面白い番組を見た事があります。 多国籍の聴覚障害者の方が集まった時にどのようにしてコミュニケーションを取るかです。 各自の手話はローカルルールで通じません。 筆談も言語が違うので通じません。 そんな中で独自の手話が作られていく過程です。 これは一般の言語にも当てはまるそうで共通のコミュニケーション手段を持たない人類がどのようにして共通の認識を持つ仕組みを作ったかと言う過程だそうです。 もしどこかで再放送する機会があれば見るといいです。
お礼
その番組ではどれくらいの時間で独自の手話が完成したのでしょうか?その時間を参考に言葉の完成の謎がとけるかもしれませんね。回答ありがとうございました。
- 82w82
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専門の人間じゃないので勝手な想像ですが。 最初は特定のモノを指すのにも「あー」とか「うー」とか、「おーうえ」「えーおう」とか言ってたかも知れません。 ある日いつものように狩に出かけ、例えば誰かが獲物を指差して「えーもの」と言ったとします。言葉の根拠は何もありません。ただ感覚の赴くままに口から出ただけの言葉です。彼は“美味そう”という意味で言ったのかもしれません。すると横にいた仲間が、「おー、えーもの、えーもの!」と妙にその語感に共感したのか獲物のことだと気がついて、その瞬間その二人の間には「えーもの」という共通の名詞ができた、とこんな具合ではないでしょうか。 さらに、ある日その二人がまた狩に出かけたとき、一人が「えーもの、おった!」と突然叫びました。えーものはすでに二人の間では共通語となっていましたが「おった」はその時偶然口から突発的に出ただけです。するともう一人かすぐ目の前にいる獲物に気づきました。 その後狩を続けているとまた獲物が現れました。今度はもうひとりの方がさっき聞いた「えーもの、おった」がなんとなく耳についていたため同じように「えーもの、おった」と叫びました。二人の間ではその後獲物を発見したとき「えーもの、おった」と言う合言葉みたいなものができました。 それが周囲にも徐々に浸透していき「言葉」になっていったのでは・・・。 とこんな空想をしてみましたがいかがでしょうか(笑)
お礼
名詞のでき方は確かにその通りだと僕も思っています。「おった」については見当の余地がありますがその方法で何世代も時がわたるうちに言葉が完成していったのだと思います。回答ありがとうございました。
恐ろしい実験ですが、言葉の観念が全くない人を何人か、集めて、その様子を観察したら、言葉の成り立ちがわかると思います。 切実なところから、言葉は、発生するような気がします。 痛い、おなかがすいた、危険なものが近づいてくる、雨・・・。 単語の20もあれば、生活するぎりぎりの会話は、できそうな、気がします。 接続とか、文法とかは、気が遠くなるほどの年月で、整えられたのかな。 と、思います。 疑問の形が整えられるのは、何代かにわたってのことだと、思います。
お礼
何世代かわたらないとやはり言葉はできないものですね。ありがとうございました。
- tomy41
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例えば何らかの理由で名詞が生まれ定着したとします。 形容詞も同じようにできると思います。 例えばリンゴという名詞ができて、大きなリンゴ、小さなリンゴ というようにそれを意味して言ってれば 最初は通じないかもしれないですが繰り返し言ってることで次第に伝わり広がっていくと思います。 複雑な文章も同じように最初は通じないと思いますが繰り返し使い、結果をみることで「あぁあの人はこう言いたかったのだな」と理解して次にその人が同じことを言ったら今度からは意味が通じると思います。 赤ちゃんが教わらずとも言葉を覚えるのと似てると思います。 言葉は最初2人の間でしか通じなかったと思います。 それが徐々に広まったと思います。
お礼
やはり繰り返しやるうちに自然とできるものですか。ありがとうございます。
お礼
なんとなくの雰囲気,人間の潜在的な意思表示が元となって各地で言葉が誕生し,ほかの場所で同じようにできた言葉と交わって時間が経つうちに一つの言葉としてまた完成する。確かにこの流れが一番正確かもしれません。時間をかけてゆっくり言葉が完成していったというのが根本ですね。回答ありがとうございました。