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ベジタリアンになったのですが…。
食べるためだけに生きているものを殺すのが 可哀想だという理由で、ベジタリアンになりました。 そこで疑問が出てきたのですが 植物も生きているのに、殺してしまっていいのですか? 同じく生きているものだから植物と動物を 区別したくないなぁと思いました。 でも、そうすると何を食べていいのかわかりません。 また、乳製品も食べてはいけないということですが それはどうしてですか? どうぞよろしくお願いします。
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再び#2です。お礼ありがとうございました。 >なんだかそこまでして生きていたくありません。 考えを変えてもらいたいと思うわけではありませんが、生きていること自体が罪だと感じていらっしゃるなら、一言付け加えさせて頂きたいと思い、書き込ませてもらいました。 >こんな生きている価値のない私がその命をいただくという行為すら申し訳ないような気がしてしまって…。 生きている価値があるか無いかは自分で判断できる物ではありません。今日スーパーに並んでいる豚だって、昨日そう考えたかもしれません。しかし、私が食べてそれがお腹の子の栄養になり、その子が又、どこかで誰かの役にたつかもしれません。そうなったら、その豚は何の価値も無いのではなく、すごく価値のある存在だったと言えます。あなただって、このまま健康に生きていったら、どこかで誰かの役に立てるかもしれませんし、役立つ人をこの世に誕生させることに貢献するかもしれません。その可能性を全部潰してしまうようなことをするのが一番無駄な存在になることだと思います。そうならないように、自分で納得行く答えを探してください。
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- tky-ny
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#5です。 補足です。 生きていく上で、動物・植物の別を問わず、他の生命の犠牲なくしては 生活そのものが成り立たないと思ってはいますが、 それ以外の場では不必要な殺生は極力しないようにしています。 家の中で殺すのは蚊だけです。さすがに血を吸われるのはイやなので。 ゴキブリはもちろん、クモやアリも殺しません。 アリは、一回だけ数の多さに耐えかねて「アリの巣ころり」を使った ことがありますが、自分たちを殺すエサをせっせと運ぶアリたちを 見ていて胸が痛みました。 自分が唯一していることは、どんなに忙しい時でも、 食事の前には手を合わせ、目をつぶって「頂きます」と口に出して言うことです。 ただの自己満足であることは承知していますが、その食べ物の生命の 犠牲の上に目の前の食事があること、またそこまでに携わった全ての 人への感謝を忘れないようにしようとは思っています。 特定の宗教に倣ったものではなく、昔からある伝統の意味を考えてそうしています。 #5に書いたのは、質問者様への批判ではないです。 自分が持っている素朴な疑問です。 ベジタリアンの方が、「野菜しか食べない」こと自体には何の抵抗も 覚えないですし、批判もしません。 ただ、「生き物を殺すのがイやだから」となると、#5のような疑問が 湧いてきてしまうのです。万物に魂(≠生命)が宿っている、 という日本的な(あるいは私個人の)価値観のせいだと思います。 少しだけお気楽にお考えになったらいかがでしょう。 無益な殺生は、やはりすべきではないと思います。 根本に持っておられる優しいお心は、とても大切なものだと思います。 長文ごめんなさい。
お礼
再びありがとうございます。 普通に肉や魚を食べていても それらに感謝していない人なんていませんよね。 皿にのっている料理が、 少し前までは生きていたんだとわかっていて 食べている…。 私にも私なりの考えがあるように 肉や魚を食べている人にも きちんと考えがあるということを忘れないようにします。 そのことに気づかせていただけて 本当に感謝しています。 ありがとうございました。 今まで冷静さを欠いていて、言いたい放題言ってしまって 少し後悔しています。 ここで皆様にお詫びしたいと思います…。 完璧なんてたぶん無理ですし できる範囲で、やっていこうと思います。 考えがまとまってきたので、 これにて回答を締め切らせていただきます。 回答してくださった皆様、本当にありがとうございました。
- ptyfsu
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No.12です。 とてもお悩みのようですね。 結局のところ、ご自信の気持ちを納得させる方法は、ご自身でお決めになったルールに従って生きることだと思います。 俗に言うベジタリアンや、宗教が問う不殺生など、全て他人が決めたルールです。 細かく調べていくと必ず納得できない矛盾が発生します。 俗世的なルールにこだわらず、ご自信が決めたルールに背かない生き方をなさればよいのではないかと思います。 例えば動物そのものは食べないが、乳製品や無精卵など、生命に影響を及ぼさない部位は食べるとか。 植物そのものは食べないが、種子を除く果実や切ってもすぐまた伸びてくる部位は食べるとか。 ご自信でお決めになった戒律に従って生活を送ると言うのはどうですか? これは食べていいのか?いけないのか?など、悩むことが多々あるかと思いますが、他人が決めたことについて正しいのか悩むよりは、かわいそうな生き物達の供養になるのではないでしょうか。
お礼
何度もありがとうございます。 卵も一般的には無精卵ですよね。 これからどうしたらいいのか混乱していて すっかり忘れていました。 助かりました。 生きているものの生死に関わらないところを 食べることにします。 ptyfsuさんのおっしゃるように 自分で決めたルールで生きていこうと思います。 だんだん考えがまとまってきました。 本当にありがとうございます。
質問にあるお気持ち、わかります。 (私も完全ではないが、野菜中心ですから。) で、植物については、仏教上では生き物ではありません。 (確かに、自分自信の力で成長してますが、) ですから、植物は神様からのプレゼントだと思って食べましょう。 なお、できれば根菜類を中心に、どうぞ。又、乳製品は別に問題ないのでは??と、理由は単純、牛乳は牛の生きている時に採取されたものだから。 あと、またもや、ちょっとだけ哲学的の意見ですが、少しだけ。 仏教(主にアジア等)で肉食しないのをわかりやすくいうと、肉を食べることで性欲が、でやすいので。例えば、現代的に、これから"彼女と夜の運動!!"の場合、やはり焼肉、豚の生姜焼きとか食べますよね・・効果は不明だが・・ただ、それだけ。 私も擬似的な野菜中心です。 基本は生肉、生卵、魚は食べない。加工品も極力、食べないようにはしています、はい。ただ、乳製品、例えば、ヨーグルト、チーズ等は食べてます。 そして根菜類中心のメニュー。例えば、今日の夕飯、びじき御飯、冷奴、根菜類の煮物。この根菜類は毎日、同じ材料で、いつも昆布のだしで、醤油味。 >>生きているものを殺さないように >>気をつける人が増えたとしたら・・ 素晴らしいお考えです。 でしたら、仏教の"不殺生"も守ってみたはいかが、ですか?? むやみに生き物を殺さない、慈しみの心をもって接する。厳しくいうと、ゴキブリ、蚊といえども、生き物です、ここまで厳しくとは、言いませんが。 >>いつか、本当に生き物を殺さないで >>・・暮らせる日がくるかもしれません。 おっしゃること、そのとうりです。 これが、実現すると、漁業、畜産は消滅してしまいます。でも、現実的には不可ですから、努力目標と割り切って、気を楽にされては、いかがですか。 最後に、長い回答で、ごめんなさい。 以上、参考になれれば、幸いです。
お礼
仏教では植物は生き物ではないんですね。 私もちょっと前までは植物も生きてるなんて あまり考えませんでした。 植物は神様からのプレゼントですか…。 色々な考え方があるのですね。 興味深いです。 牛のお乳は生きているうちに、生きたままで、 苦痛を与えることなくとれるので 私も特に問題はなさそうだと思っていたのですが 本来お乳を飲むべき子牛から取り上げることになるから だめだという方もいらっしゃって、正直 どうするのがベターなのか迷っていました。 やはりそこは個人の判断でよいのでしょうか…。 根菜類中心の食事をされている理由がありましたら 是非教えていただきたいです。 家に虫が出たときは基本的に放置してしまいます。 虫そのものが怖いからなのですが…。 もし漁業などがなくなってしまったら 職を失って、そのせいで飢え死にしてしまう人が 出てこないとも言い切れないですが そこまで考えるとキリがないですね。 もしかしたら完璧を求めなくてもいいのかもしれません…。 ゆっくり考えてみようと思います。 どうもありがとうございました。
- ptyfsu
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No.12です。 いえいえ、何も責めていませんよ。 矛盾に悩んでいらっしゃるようなのでその理由を挙げただけです。 私も家畜の惨殺映像を見たことがあるので気持ちは分かる気がします。 >それが1番わかりやすいかなぁと思ってしまいました。 分かりやすいというのは・・・?誰にとって? わかってもらいたい誰かがいるのでしょうか? >しかし仙人になるにはとても時間がかかりそうです。 始めの一歩はベジタリアンになるのと同じぐらい簡単じゃないでしょうか。 植物以外を食べないと決めるのと、生物全般を食べないと決めるのと。 試してみるだけなら時間はかかりませんよ。 人は水さえ飲んでいれば7日ほどは生きていられるそうです。 ということは、殺生を一切せずに7日間ぐらいであれば、やると決めた瞬間から仙人のような生活ができるということです。 個人的にはお勧めしませんが。。。 人が殺生をせずに生きていくのは並大抵の覚悟ではできないと思いますよ。 体を壊さない程度にがんばってください。
お礼
再びありがとうございます。 野菜を食べないベジタリアンなんていませんが 私の今の状況を、 どうやったらこれを見てくださっているみなさんに うまく説明できるかわからなかったのです。 それに、今現在私はベジタリアンで これからどのように生きていくか決まったわけではないので ベジタリアンという言葉を使いました。 紛らわしくなってしまってすみません。 仙人になっても、長くはもたなそうですね…。 ふと思ったのですが、根菜は食べずに 葉っぱや実だけを食べるのはだめなのでしょうか。 もともとの部分は殺していないような気が…。 でも実が育ったら木になるから それだと鳥の卵も食べていいことになってしまいますね…。 なかなか考えがまとまらずすみません。 もう少し考えてみます。 どうもありがとうございました。
- ptyfsu
- ベストアンサー率14% (52/371)
>食べるためだけに生きているものを殺すのが 可哀想だという理由で、ベジタリアンになりました。 根本的になるものを間違ってしまったと思われます。 ベジタリアンってベジタブル(植物)しか食べない人のことですよ。 だから動物から作られる乳製品も食べないのです。 野菜はバリバリ殺して食べます。 生きている物を殺すのがかわいそうだと言う理由で食べ物を制限するのであれば、霞を食べると言われる仙人になる努力(修行?)をしてみるぐらいしかないのではないでしょうか?
お礼
それは大変失礼しました。 無知なもので… ベジタリアンという言葉しか浮かびませんでしたし それが1番わかりやすいかなぁと思ってしまいました。 そうですね…。 しかし仙人になるにはとても時間がかかりそうです。
人はベジタリアンなんかになれません。 例えあなたが一生植物しか食べない生き方をしてもなれません。 なぜなら、あなたが着ている服ひとつとっても植物しか食べてない人間が作っているというわけではないからです。靴もパソコンも世の中すべてのものがいろんな人の手によって作り出されています。それらすべての人がベジタリアンじゃないかぎりあなたもベジタリアンにはなれません。 「わたしは動物が好きだから肉は食べません」なんて言ってるひとは、世の中から隔離され服も着ずに、電気も水もないところで、植物を何の微生物もいない土で育て、死んだままの植物を食べて生きているならベジタリアンだと思います。肉も魚も野菜も食べている人間が地球上には満ち溢れています。人は、誰かしらと何かしら関わって生きているのです。 あなただって生きています。命が輝いているのです。 きちんと食べて栄養を体に与えて、自分の体を健康に維持しようと努力することが、あなたの命を大切にすることです。自分の命を大事にできない人が動物の命の尊さを説いてはいけません。
お礼
それはよくわかっています。 たった1人がベジタリアンになっても、 何も変わらないとおっしゃる方もいらっしゃいますし 私もそう思います。 だからといって、何もしないのは嫌です。 先ほども書きましたが、もし 1人、また1人と、少しずつでも 生きているものを殺さないように 気をつける人が増えたとしたら いつか、本当に生き物を殺さないで 暮らせる日がくるかもしれません。 それは何百年後か、もっともっと先かもしれませんが。 だからといって、私は 周りの人間にベジタリアンになることを強制したりはしません。
- maboko
- ベストアンサー率37% (11/29)
再び投稿させていただきます。 tiiuさん、おそらく生真面目な方なのですね。他人の意見を聞きすぎず、自分の道をどうぞ行かれてください。 どういうわけか(ここ太字です)、どこの誰だかわからないあなたが「ベジタリアンになった」と書いただけで、たくさんの批判的な意見がでますね。これはいったいどうしてなのかと思うのです。誰が、何を思ってもかまわないわけですが、どうして「ベジタリアンになった」という結果を受け入れずに、「そんなことでは生きていけない」とか、まるで大きな不幸のような取り扱いをされるのかと、心底疑問に思うのです。 しかも、友達でもなければ家族でもなく、一緒に食事をする機会すらないような人なのに。すごく日本だわ!とある種の感動さえ覚えました。 外国にいけば、ベジタリアンであることがさして特別なことではありません。それでもみんな生きてるんだから、たいしたいことじゃないです。 私は、日本を離れて暮らしていますが、日本でベジタリアンでいることは非常に難しいのでしょうね。いやー、これはカルチャーショックだった。 勉強になりました。
お礼
再びありがとうございます。 私も思いました。 私がしていることそのものを否定されると どうしていいのかわからなくなってしまうのです。 世の中には色々な考えの人がいて みんなその考えにのっとって生きています。 だから自分とは違う生き方をする人がいても、 全然おかしくないと思うんです。 違って当たり前だと思うんです。 ベジタリアンであることに限らず、 すべてにおいてそう思います。 ちょっと事情があって 知り合いにベジタリアンになったことを話したら すごく驚かれましたし、なんでそうなったのか 色々聞かれ、あげくのはてに 「変人だ」的なことを言われてしまいとても ショックでした。 日本のような、 みんながみんな同じではいけないと考える国より 外国に行ったほうが快適に暮らせるのかも しれませんね…。 あたたかいお言葉ありがとうございました。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
本で読んだのですが、やはりあなたと同じ事を考えた青年がいたそうです。最初は菜食主義になった青年はある日植物にも命があることに気付き、とうとう何も口にしなくなってしまいました。心配した両親がなんとか食事を取らせようとしたところ、その青年は逆上して両親に包丁を振ってしまったそうです。命を奪わないために始まったはずの青年の行動は、皮肉にも危うく人殺しをするところだったというオチになってしまいました。 ある動物学者によると、生き物が他の生き物に唯一してよいことは「食べること」なんだそうです。食物連鎖にしたって、私たちの地球の生命は「食って、食われる」ことで成り立っているわけです。 動物番組でライオンがカピパラを狩る様子を放送すると「かわいそうだ」と抗議の電話が入るそうです。しかし、ライオンはカピパラを食べないと死んでしまいます。もしライオンがいなくなればカピパラが増えすぎて草原の植物を食いつくしてしまいます。植物の中にはわざとタネを食べさせてその糞に混ざることで自らの植生を増やす戦略に出る種類もいます。つまりみんなそうやってしたたかに生きているんです。 それと、生きることとは食うことです。一度、電気もガスもない生活をしてご覧なさい。私はキャンプで何度かそういう経験をしました。電気がないので、全ては太陽が沈まないうちに済まさなければなりません。すると日照時間が長い夏でも、朝食の用意をして、食べて、片づけをするともう昼食の準備です。それで昼食の準備して、食べて、片づけたらもう夕食の準備をしなければなりません。それで夕食食べたらもう日暮れです。もう「食べるだけで一日がオシマイ」です。やらないと、腹が減るだけです。ガスがないと雨が降るともう大変です。火をつけるのは肉体労働です。もちろん、準備、後片づけだって肉体労働です。 そこからいえることは、それが植物であれ動物であれ、尊い命をあがなって私たちの血となり肉となってくれるのですから感謝して必要以上には食べ過ぎたり残したりしないことですね。モンゴルの民族のなかには食べるために羊を殺すときに念仏を唱える人たちもいます。その念仏は自分たちの食料になってくれることに感謝し、次に生まれ変わるときは殺されない身の上に生まれることを願うものなんだそうです。 あと余談ですが、牛や豚を殺すのはかわいそうだという思想は原始的な宗教心です。なぜなら、科学には「かわいそう」という思想はないからです。科学はただ事実を示すだけで、道徳や論理については根源的には宗教心です。例えば、不倫や浮気は悪いというのは道徳心であって、科学的に浮気はいけないことだという根拠はなにひとつありません。むしろ、科学的には浮気をすれば自分の子供を残したり、優秀な子種を宿したりすることになるので積極的にやるべきだ、という結論に至ってしまいます。 つまりなにをいいたいかというと、宗教を毛嫌いする必要はないってことです。仏教はそういった殺生についての様々な見解を示してくれています。
お礼
先ほども書いたのですが 人間と動物は別だと考えています。 やはり我慢して食べるしかないのでしょうか。 みなさん同じ事をおっしゃいます。 少し言い過ぎました。 大嫌いなのは、わけのわからない宗教です。 信者ではありませんが、 今年の春までキリスト教系の高校に行っていたので 宗教すべてを否定しているわけではありません。 宗教には生きていくうえで参考になる思想が ありますし、共感できたものは 取り入れるようにしています。 どうもありがとうございました。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
いわゆる仏教で言う「業(宿業)」、キリスト教で言う「罪」ですね。 人間に限らず生き物とは、すべて他の生き物の「生命」を奪ってという方法でしか生きていけないわけです。 人間はもちろん肉食動物であろうと草食動物であろうと、他の生命を奪ってその栄養としてるのですね。 そう考えると、世の中で「業」を背負ってないのは光合成で生きてる植物とかしかなくなっちゃうっていうことですね。悲しいことです。 私なんぞ「業」を背負ってるどころか、さほど世のため人のためにもなってないロクデナシなもんで、せいぜい先人の知恵を借りてこの問題に解決(したつもり)になって生きていくしかありません。 その「先人の知恵」とは、つまり自分が「業」を背負って生きている存在であることを認め、だからこそせめて無駄な殺生はしない、食べ物に感謝していただくなどです。 ほんと自分の飼ってるネコ一匹でさえ、もしこいつが死んだらって想像すると胸が締め付けられる思いです。 ところが自分が毎日食ってるブタでも鶏でも命を持ってるんですよね。 どちらも同じ命です。 ブタや牛は神により食べ物として存在させられていて、鯨や犬は食ってはいけないって決め付けるなんて欧米人種のおごった差別観でしかありません。 私たちはひとつひとつの命を頂くことに心から感謝し、そしてそれらを含む大自然や地球に感謝し、敬虔な気持ちでそれらの食させていただく。 それ以上を望み、ベジタリアンで居ることでこの「業」を逃れた気持ちで居ることそのものが「傲慢」なのではないでしょうか。
お礼
宗教のことはよくわからないので もしおっしゃった事が理解できていなかったら すみません。 こんなことを言うとまた差別だと 叩かれてしまうかもしれませんが 人間は考えることができます。 動物には、食べることによって 生き物を殺しているといった考えはないと 思うのです。 だから、動物を責めることはできません。 私はベジタリアンでいることに 満足しているわけではないです。 肉や魚を食べたくないのでベジタリアンになりましたが 植物も生きていますし そのあたりの矛盾はどうしようもできないでいます。 感謝して「食べる」ことができたらいいのですが それができないので困っています。 どうもありがとうございました。
- maboko
- ベストアンサー率37% (11/29)
私の個人的な考えですが、私は野菜には、さして愛着を感じません。だから食べます。動物は、私は動物が好きだからたべません。あと、肉を食べると便秘するのが不快なので食べません。 牛乳・たまごは、そのもの自体の臭いが好きではないので、あまり好みませんが避けません。チーズも食べたいとは思いませんが、避けません。加工された菓子などはたべますし、おいしいと思います。 何をどうしてたべないか、ということは極めて個人的な選択で、「今日の昼は中華そばじゃなくて日本そばをたべるよ」とか「たまねぎは嫌いだから食べないけど、ねぎは大好き」いう程度のことだと私は思っています。 動物性たんぱく質を摂取しない場合、豆類、ナッツ類などで補わないと貧血になります。自分で加減して、ちょうどいい食習慣を形成してください。 戦中戦後の貧しい食生活のなかでも、子供はうまれ、人は生きていたわけですから、人間そんなに食べなくても生きていけますよ、現代人たべることに熱心すぎ、というのが私の考えです。
- 参考URL:
- http://www.jpvs.org/;
お礼
栄養のバランスが偏らないように気をつけようと思います。 食べるために生きてるわけではないですものね。 少し気分が軽くなりました。 どうもありがとうございました。
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お礼
そうですね…。 どうしようもない私でも、 誰かの役にたてる可能性が0ではないですよね。 もしここで死んでしまったら 私がいつか生むはずだった子供、その子供の子供、 それからずっと先の命を消してしまうかもしれません。 沢山の命を奪ってしまうことなんてできないです。 生きていていいんだと思うことができて よかったです。 本当にありがとうございました。