中性から無性へ
抽象的に思考する未知の命題よりも、現実的に経験した既知の問題に
関心を抱くからだと思われます。
たとえば、前者を作曲に、後者を演奏にたとえることができます。
── 婦人はかつて唄を唱いピアノを弾くことを禁止されたことがある
だろうか。にもかかわらず、なぜ女性は作曲をしないのであるか。また
作曲をしても、その作品がなぜ不朽ではないのか。メービウスは音楽史
上に見出されるすべての女性作曲家の名を苦心して集めてみたが、その
長い人名簿のうちで、これはと思うのは、クララ・シューマンとファン
ニー・メンデルスゾーンとコロナ・シュレーターの三人だけであった。
しかもクララはその夫によって、ファンニーはその兄によって、またコ
ロナはその友ゲーテによって、それぞれ有名になったにすぎない。
── クレッチマー/内村 祐之・訳《天才の心理学 19820118 岩波文庫》P196-7
Mobius, Paul Julius 精神医学 1853‥‥ Duitch 1907‥‥ 54 /
Kretschmer, Ernst 精神病学 18881008 Duitch 19640208 75 /
この議論も、男性としては一般的傾向を述べたつもりでも、女性は、
みずからの能力を問われるように解釈するのではないでしょうか。
なにしろ、出産という劇的な危機に直面しなければならないので……。
現代の市民社会では、男女差別が減少に向いつつあり、受胎出産能力
をもつ男性的女性や、授精能力をもつ女性的男性など、それぞれ中性化、
あるいは無性化が進むとみられます。
未来の会社や研究室、あるいは管弦楽団においては、これまでは意義
を認められていた性的魅力などが、邪魔になる可能性もあります。
その結果、せっかくのジョークやウィットも封印されますが……。