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生きること
インターネット上で、生きるとは何か?と問うことは無意味なことかも知れません。そんな言葉があふれているのも現実です。さとし系で、がんばれ がんばれとか、ネガティブな意見で生きてたって無意味だとか。 生きるとは、なにか?決して答えが出ないと思っていますが、本当は、答えを出したくないんじゃないかと思います。 ある一つの答え。 生きるとは、ついに完成される瞬間を持つ事なく不断に更新される現在、つまりは決して均衡には達しえない存在の積極的な矛盾そのものではないか。 短い文では、ありますが生きることの核心をついているとおもいます。 生きるとは、インターネットの世界のように、均衡には達しえない存在の積極的な矛盾なのではないかと思います。 もうこのことを常識になれば、もっと風通しのいい世の中になるような気がします。乱文、乱筆、お許しください。
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生きるとは? この問いに対する答えは百人居れば百通りあります。 以下はその一つに過ぎないという前提で思うところを述べさせていただきます。 生きるとは、積極的に生かされることです。 人間は自分の力で生きているように思われがちですが、 実は自然法則によって生かされています。 あたかも一定のルールのもと、竹刀や木刀で行う剣の修業のようです。 これは、真剣を用いないので失敗も許されます。 しかし、真剣に取り組まなければ上達しません。 「断じて行えば鬼神もこれを避く」と言います。 要は決断力と実行力だと思います。
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哲学は難しい表現で物事を複雑化させることではなくて、むしろ単純化してこそ哲学の真骨頂だと思います。 人間を超越した「自然」から見れば「偶然」も「必然」も同じことですが、人間のレベルで語れば、あなたの存在も私の存在も偶然の産物です。どの精子が卵子の中に入るのかは人間にとっては推測すらできないことですから、受精によってこの世に生を受けた人間の生存、つまり「生きること」は偶然でしかないのです。 どう生きるべきかといった価値観は省きます。 「生」の最終目的は「死」です。今のところ。 誕生から死までの時間(人によってそのスピードは異なる)をどのように操るか?それが「生きる」ということの意味でも定義でもなく解釈であります。 passagen2002さんのおっしゃる「生きるとは、ついに完成される瞬間を持つ事なく不断に更新される現在、つまりは決して均衡には達しえない存在の積極的な矛盾そのものではないか。」それは生存する時間を操るということに近似していると思います。 しかし、いずれにしても「死」の瞬間にそれが収束するわけではありません。そう思ったとしてもそれは錯覚です。
お礼
実は、今ばくぜんと悩んでいます。なんか、仕事もマンネリだし なんか辞めて、失敗してもいいから、自分でやってみたいなと でも、理性で考えると、一から始めるのもしんどいし、はたして 形になるのか。まあ常識で考えたり、計算したりすると、っどうしても 地団駄ふんでしまいます。 でも生きることが、生成ならば、そのような虚構のマンダラを引き裂く ことが、生きる事かななんて思います。生きることが、その枠組み をはみ出すこと、はみ出して、またつくること。ノモスーコスモスーカオス ーコスモスーノモスという生の円環構造だったら、 生きるとは、ついに完成される瞬間を持つ事なく不断に更新される現在、つまりは決して均衡には達しえない存在の積極的な矛盾そのものではないか この言葉は、評論家の蓮見しげひこの言葉です。 生きること。 男は運命に逆らっても、勝負しなければ、いけない時がある。 あーよくわからない。