- ベストアンサー
疑わないときは信じているときなのか?
明日が雨になることを疑うことをせず、明日が晴れになることを疑うことをしないときというのは、明日が雨であることも、晴れであることも信じていることになってしまうのでしょうか? 信じているというものについて混乱してしまいました。どうか、ご教授ください。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
すでに、良い回答が多数有り、無用の回答ですが。 1)疑わないときは信じているときなのか? 疑わないとか信じるといったことは、意識の有る状態です、意識の場合常に一つしかなく、ある状態の次に他の状態になったことを、同時と勘違いすることがあります、質問の内容は微妙ですが、意識における見方や立場が時間の経過で少しずれている、と考えることも出来ます。 本文では特に、精神の状態という、見えないものを、視覚的に取り出した、偽りの問題です。 2)疑わないときは信じているときなのか? 人の思考は、考えるほどに論理的なものではありません、一つの精神状態に、一つの言語表現しかないという事はなく、対象と記号の関係は、複数対複数の関係で、その中で一番、もっともらしい選択が常識的判断といえるでしょう。 3)疑わないときは信じているのか? 明日が晴れると疑わない、というのは、自然の移行に関する意識の表明というより、ある種の予測・推測する主体に対する、信頼・疑問の意識表明ではないでしょうか、例えば、明日晴れて欲しい人が、明日晴れると信じる場合、天気の予報ではなく自分の運を信じています、ここはまったくの主観的盲信ですが、意識が少し間主観的に移行したとき、自分の運を疑わない、といった精神状態に移行し、あたかも、疑わないことと、信じていることが、同時に存在するような錯覚に陥るのです。 以上、あれこれ詭弁を考えてみました。
その他の回答 (12)
何も期待していないときのありかただと思います。 料理でも「マズい」といわないときは大方満足しているものです。 信じる信じないの問題ではありませんし、天気は信じたところで望み通りになるものでもありません。 これ哲学なんですか?
お礼
>これ哲学なんですか? いちよ、言葉の混乱ということなんで、哲学なんではないかと思いました。間違っていたら、すみません回答ありがとうございました。
- fastlove31
- ベストアンサー率15% (27/175)
人は普段の日常生活で信じている・信じていないなどと 考えて生活していないのではないでしょうか?? 何かの出来事・問題等に直面したときなどに出てくる感情だと 私は思います。
補足
>人は普段の日常生活で信じている・信じていないなどと 考えて生活していないのではないでしょうか?? 確かにそうなんですが、ちょっと疑問に思ってしまいまして、すみません。 >何かの出来事・問題等に直面したときなどに出てくる感情だと 私は思います。 しかし、感情というのは信じたいとか信じたくないときのことを言うのではないのでしょうか?求めているものや、なって欲しくないのは感情ではないと思うのですが。
- 1
- 2
お礼
>疑わないとか信じるといったことは、意識の有る状態です、意識の場合常に一つしかなく、ある状態の次に他の状態になったことを、同時と勘違いすることがあります、質問の内容は微妙ですが、意識における見方や立場が時間の経過で少しずれている、と考えることも出来ます。 自分の問題はまさにこれでして、なぜか同時であると思ってしまいました。たぶん、言葉による区切りを間違ってしまったのでしょう。 ご回答ありがとうございました。