- ベストアンサー
国旗国家問題で建設的な妥協はできないのか?
私は国旗国家の公教育導入を支持しているものです。 しかし数年前の約束を反故にし、罰則・強制を行ってまで導入を図るのは本当に正しい事なのでしょうか?私は特定の価値観を公教育で勧める事は可能だと思っています(現にいくつかの徳目の指導は学習指導要領にも明記されています)、しかしその徳目は国民の普遍的な支持を得ていなければならないのではないでしょうか? 国旗国家推進反対の方にも疑問を持っています。反対する理由にかつての日本の帝国主義政策を挙げる人がいますが、ならば戦後保障が充分におこなえば日の丸君が代を認めるのでしょうか?認めないのであればそれに変わる腹案はあるのでしょうか?その腹案が現国旗国歌以上の国民の支持を受ける事がありえるのでしょうか?そもそも、ある共同体の維持・向上には構成員の帰属心が重要な役割を果たすといった価値観さえ共有できないものなのでしょうか? 第二次大戦が終了してからすでに60年以上の月日が経ちます。国旗国歌といった“国の顔”に関して未だに国民的なコンセンサスがでていないというのは日本の民主主義の未成熟さの由縁と感じてしまうことがあります。議論を進めて暫定的な合意くらい出せないものなのでしょうか?
- みんなの回答 (15)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
NO13です。 >ほぼ単一民族によって国家 民族を形成するものは血縁や地縁以外に、宗教や共有する歴史観があります。 今の日本では前者は当てはまりますが、後者はいかがでしょうか。 宗教は先に触れましたので、歴史観に関しては戦後教育により、人によってかなり異なる歴史観となっていますし、ネガティブ過ぎる歴史観の共有では民族自身の否定にもつながりかねないと思っております。 民族としての価値観自体が希薄化していると言えないでしょうか。 >そもそも何故日本人はこれほど対立する意見に耳を貸さなくなってしまったのでしょう? これは戦後からだと思います。 戦後の壮大な実験として、よく言われるいい方では日本を骨抜きにするためとして、日本人のアイデンティティの破壊が行われました。 同じことを欧米各国で行うとしたら、キリスト教の破棄となり、文化や教養から政治のまでの基盤となる精神を失わさすことと同義です。 ベースとなる価値観を言い替えると、国民の精神的骨子でもあり、骨子のない状態で価値の多様化を認め尊重したらどうなるでしょうか。 共通点がなければ互いの価値観を理解するのは困難ですし、また骨子がない状態では相手の価値観を認めるだけのゆとりがなくなり、更には明確な根拠なき価値観では相手を説得することも出来ないため、耳を貸し難くなっているのだと思います。 もう一つの理由としては、日本は古来から議論より和を尊んでおり、対立的な意見を鮮明にすること自体望ましくないという考え方が残っているからだと思います。 >欧米のような漸進的社会民主主義が大きな勢力とはなりえなかったのでしょう? 1つ目の理由としては、共産主義と異なり社会民主主義はマルクス主義とともにキリスト教の人間観(自由・平等)を取り込んでいます。 (日本の社会党の設立者はほとんどキリスト教の信者でした。) 2つ目の理由としては、受け皿が存在しなかったことがあげられます。 欧米に比べ日本の社会民主主義政党は、理想論を唱えすぎており、現実社会から解離しており、受け皿になり得なかったのではないでしょうか。
その他の回答 (14)
- pinkulemon
- ベストアンサー率21% (3/14)
日本国の国旗、国歌は日本人の心です。 過去の戦時中の、戦争や天皇などとは全く関係ありません。多くの日本人は違和感を持っていないと思います。 一部の人たちが、自己の利益のためと思いますが「子供たちを戦地へ送るな」などと理屈を付けて体制に、反対したいための反対をしていると思います。 日章旗は地球で一番大切な「太陽」を印していて、清楚で明るく美しいです。 国歌も曲調が良く、歌詞も日本人の繁栄を詠ったもので、日本の文化、伝統的で、荘厳で格調があると思います。 将来の戦争のことは国旗、国歌とは関係がなく、その事態が生じたときに対応するだけです。 日本の国旗、国歌に、私は愛着を感じます。
お礼
ご回答ありがとうございます >日章旗は地球で一番大切な「太陽」を印していて、清楚で明るく美しいです。 私は白地とのコントラストで静かさの中にある激しさ、というようなイメージを持っていました。 >歌詞も日本人の繁栄を詠ったもので 解釈に関しては今も議論があるようですが私はその時代の国民がその時代にあった解釈をすればいいと考えています。
- millennium-man
- ベストアンサー率30% (78/256)
国旗・国家問題を持ち出してきたのは戦後直後の左翼で、その目的は政治的プロパガンダに過ぎません。その理由たるや(1)戦闘時に先頭に日の丸の国旗を掲げて突進して行き、戦争に利用したというものでした。国歌についてはこの(2)主権在民の世の中になったのに、天皇を讃えるとは何事かというものでした。 このような子供じみた理論にほとんどの者は翻弄されて、今でも本気になって反対の気にならされている者が少数いるというのは事実です。戦争に対する平和という心あたりのよい甘い言葉をたくみに使ってきたのはのも左翼でした。最近は(1)(2)の理論は役に立たなくなったのでしょう、「強制されるのはよくない」という戦術に切り替えてきました。なぜ法律まで作って国歌、国旗を制定しなければならなかったのかその過程をしっかり把握すべきです。 国民の30%に支持されていない。一体どこの統計のことを言っているのですか。その出典を明示すべきです。今の教職員は日教組に加入する者は激減しており、30%というのは数字の操作に見えます。日本の反対勢力である日本共産党、民社党の支持者からみても数%の存在です。 中国の大連によく行きますが、日中合弁事業の盛んなところです。そこに日本企業と中国企業が集まっているオフィスビルビルが 建っていますが、その玄関には日中双方の国旗が翩翻とひるがえっています。中国人は何も問題にしていません。問題にしているのは日本人だけです。日本人はもう少し広く世界を見つめるべきです。 軍歌を国歌にしている国は多いことです。中には「撃ち殺せ」とか「やっつけろ」というような物騒な言葉を使っています。 日本には理由もないのに国旗・国歌を反対しているものがいるというと外国人はびっくり仰天するでしょう。軽蔑されるだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >国民の30%に支持されていない。一体どこの統計のことを言っているのですか。その出典を明示すべきです。 申し訳ないのですが質問本文のなかでも“どこかで”と言っているように残念ながらはっきりとした出典を示す事はできません。この文章をお読みになっている国旗国歌反対論者のかたでどなたか情報を提供して頂ければ幸いです。 >日本には理由もないのに国旗・国歌を反対しているものがいるというと外国人はびっくり仰天するでしょう。軽蔑されるだけです。 そうでしょうか?私は一定期間アメリカに滞在していて何人かのアメリカの友人にこの問題を話した事がありますが 「変わってるね」 という態度が多く 「日本は進んでいるんだね」 といった反応すら何人かにみられ(私が滞在していたカリフォルニアにはリベラルな気風があるからでしょう)、反感や侮蔑といった感情を出す人はいませんでした。
- netcatme
- ベストアンサー率20% (76/371)
> 国旗国歌といった“国の顔”に関して未だに > 国民的なコンセンサスがでていない などどいうことは数十年前の左翼全盛期のことではないかと思いますよ。 マスコミや教職員は左翼系から抜け出ることができてないため、そういう論調になりますが、国民との同意は充分取れているでしょう。 国旗国歌ともに、それに変わるような代案(新しい国歌とか)は何一つとしてないということは、単に政府批判の材料に一部の勢力が使っているだけで、実質的な運動は行われていないということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 どこかで日の丸は国民の90%に、君が代は国民の70%に支持されているという統計を読んだ事があります。30%というのは一方的に無視してもよい数字には思えないのです。 >実質的な運動は行われていないということです。 個人的には最終目的のよくわからない運動であるように見えます。
- komimasaH
- ベストアンサー率16% (179/1067)
国歌ですね。 妥協などありえないでしょうこの問題は。 ゼロか1かなのですから。 反対派などはじめから相手にされていません。 憲法22条で国籍を離脱する権利があるのですから 出て行ってもらって結構。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >国歌ですね。 そうですね、失礼しました。 >ゼロか1かなのですから。 例えば日教組が団体として国旗国歌に反対の意見を通す事は許可するが、生徒の前ではそういう態度をとらない、とかそういった類の事はできないのかと夢想しています。やはり難しいのでしょう。
- 1
- 2
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 >民族としての価値観自体が希薄化していると言えないでしょうか。 諸外国との深い交流によって価値観が相対化され民族意識が希薄化するのであれば、それはそれで人類史的な実験として意義があると思うのですが、中身は排外的な島国根性のままで自己の民族意識だけが内部崩壊してしまうというのはなんともやりきれない話です。 >日本は古来から議論より和を尊んでおり、対立的な意見を鮮明にすること >自体望ましくないという考え方が残っているからだと思います。 元来、民主主義というものが日本人の精神には馴染み難いのかもしれません。 >欧米に比べ日本の社会民主主義政党は、理想論を唱えすぎており、現実社 >会から解離しており、受け皿になり得なかったのではないでしょうか。 旧社会党がもっと現実的であったなら日本の民主主義ももっと早く成熟できたのではないかと思うときがあります。