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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人物の行動について)

孤児院の院長先生の苦悩と選択

このQ&Aのポイント
  • 孤児院の院長さんが、画期的な治療法を実施したものの、操作によって子供28人を失った苦悩を持つ。
  • 治療法によって生存した2人の子供を含め、院長先生は再び障害を持った子供達を受け入れるか悩んでいる。
  • 院長先生は過去の罪を胸に抱きながら、孤児院を続けるか、新たな子供達を救うために経営を続けるか迷っている。

質問者が選んだベストアンサー

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  • noname002
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回答No.1

心理学というより単にゲーム ストーリーのプロットに関してなんですね?気楽に投稿させていただきます。 このストーリーは貴方個人の御趣味として、あくまで個人的に作成しておられるのですか? まず予め、ちょっと辛口を申し上げておきますネ。 心身障害者しかも子どもを、こういうかたちで登場させるというのは、もしかして非常に不快に感じられるかたがたもおられる恐れがありますね。いかにも障害のある子どもは即不幸な弱者、というステレオタイプな表現のようにも感じられるかもしれません。。。 それはさて置いたとしても、科学者兼院長先生というのが孤児の障害児たちに、いきなり発明した治療法を施すというのは「人体実験」そのものですよ。まして殆んど死んじゃうようなトンデモ治療法なんでしょ?現実の世界では実際に治療として施せるようになるまで各方面で何段階もの手順を踏んでいくものでしょう。いくら思いっきりフィクションの世界でも、こういった地味なところで、いきなりワープめいたことをやると一気に安っぽい仕上がりになると思います。 オハナシづくりというものは、所詮、架空の世界ですが「肉付け」をしっかりやっとかないとサッパリ説得力のない滑稽なだけの印象になってしまいます。 それと、その「姉弟」とやらが、せっかく科学者先生を救出した直後、一転、惨殺するという流れに不自然さはないのでしょうか。 相当ドロドロした展開にもかかわらず登場人物に感情移入がしにくいので、自分ならどうするという想像が働きにくいです。フツーなら何十人もの子どもたちを死なせてしまったのだからリッパな凶悪犯罪者でしょ。孤児院続けるって可能な設定ですか? >「死んだ子供達の分も他の子供達を救ってやる」だとかを思い孤児院を経営していく こういう設定にしたいなら、人物の性格設定も、それにふさわしいものにしなくてはならないでしょう。 アナタならどうする?という次元の話じゃなくて、<どういう人物を描きたいのか>によって変わってくるものだと思います。 御参考までに。

nitoro
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そしてストーリーについてのご指摘ありがとうございます。要所要所、詳細を割愛してるだけに理解し難い部分も出てくるとは思いますが、その辺りの設定は形が出来ていますので大丈夫だとは思います。ただ、障害者の子供達は仰る通り、最初から「弱者」として描いており、このゲーム自体の雰囲気としても決して明るいとは言い難い所がありますが・・・。

その他の回答 (3)

回答No.4

孤児院とか、養護施設がどのくらいあり、その関係者や関係団体がどれだけあり、協議会や全国連合会がどいう構成になっているとか、職員、入所者(自分の寝起きしている家庭なのですよ)、卒園者、そして実習者、専攻の学生や研究者、など周りにいっぱいあります。どこか勉強に行かれれば、いいものが出来るかも知れません。法令や歴史なども今はたくさんの本があります。福祉を勉強し、教育する施設も、学校も、大学も、専門学校も、そして学部もたくさんあります。世にでないような作品ら、いいが仮に世に出て誰かの目に触れると、一言二言はあるでしょうし、それで済むかどうか不安と存じます。

回答No.3

それこそ設定しだいでしょう。 だからピーマンが嫌いになりましたとか、論理的に筋が通らない方向に行かない限り心理ではなく作者の趣味です。 まあ、行き当たりバッタリの知能の低そうな人物なので感情的に辞めるんじゃないですか。

回答No.2

 戦前や戦後暫くは孤児院ということばが使われていました。その言葉を今敢てお使いになる理由はあるのでしょうね。もういわゆる60年安保のちょいと前から、一般に養護施設とかいうことばになっています。法令やマスコミもそのようにならってきているはずです。そういうことから時代設定をしっかりしないと、結構福祉の勉強をしている人も昔より増えていますから、そこらからあまりにばかばかしさが印象になる可能性があります。文学や演劇は門外の者ですが、ラジオ放送の菊田の鐘の鳴る丘はどうだったでしょうね。その前の北海道の留岡幸助(実在人物、内務省嘱託━今の専門官にもなる)の家庭学校などは、本邦の嚆矢の一例とされています。入所の児童に事故があれば、ショックで立ち上がれないでしょう。それでも立ち上がるには相当の契機が必要でしょう。そこらあたりを、大きな山場の一つとしないと、不自然さは継続するのではないでしょうか?そして場所の設定です。地域や開設場所や個人の思想と思いで、納得性が欲しいですね。単なるゲームだからでは、あまりに無意味なゲームともなり、事柄が単なるゲームで収まるだけなら、済むでしょうが、一笑どこらか、あげつらいの対象にもなりませんように、留意してください。現実にそういう分野で働いている人、たくさんの複雑な問題を背負っている入所者がいる分野ですから。くれぐれもご慎重を期してください。