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魂の存在について

人は何故、「命」や「魂」「輪廻転生」と言う存在を作り出したのか。 個人的にコレらの概念については否定的な立場ですから、幾ら考えても納得出来るものが浮かびません。 もし宜しければ皆さんの考えをお聞かせ下さい。

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  • myeyesonly
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回答No.1

こんにちは。 命と魂は、生体と死体の違いを説明する為ではないかと思います。 生体では各種化学反応が自動的に動いており、体も動き、温度も保っています。 死体は冷えてしまいますし、動かないし、生体で活発に行われている化学反応も停止しています。 この二つは「何かが違う」はずで、それを説明する為に考えられたのだと思います。 私もこの「何か」は存在すると思いますが、それが幽霊だとか霊魂だとか…とは思いません。 「輪廻転生」は社会生活を円滑に営む為の規範の理論として考え出された物だと思います。

noname#42847
質問者

お礼

回答アリガトウございます。 確かに生と死の違いを説明するのに魂と言う存在を持ち出せば、一応の回答にはなりますね。 PCの前で思わず「なるほど」と言ってしまいましたw

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その他の回答 (15)

noname#80116
noname#80116
回答No.6

親が自分の子を 下ろそうかどうかと考えたり 育てる場合にも どのように育てようかと よくもわるくも 考えたりしますが そのときの気持ちを 《たましい》と呼ぶと考えるとよいようです。本能だけではないと意味です。 その気持ちは 本能で生きる動物一般にもあるかに思われ 特に人間には その気持ちをめぐって さらに拡がりを持った《こころ》があると受け取られています。 《いのち》は 一般に 生まれてくる存在について その力・はたらきを捉えて ふつうに言う言葉だと思います。 いのちあるものも 死にます。おそらくそこで 心で《たましい》を受け留めている人間は その生死の繰り返しといった物語を用意したものと思われます。 《輪廻転生》は 虚構です。さもないとすれば 類としての人間が 歴史を重ねても 堕胎をおこないつづけたり 殺しあいをつづけたりしているさまを捉えて言ったものです。ばかは直らないという意味です。 ただ これは 理性で考えて答えたものです。人間には 経験合理性に合った論理と事実とを超えた領域については わかりません。その世界があるのかないのか それも 分かりません。さらに 分かるか分からないかが 人間には 幸か不幸か 分かりません。 ので 《考える》を超えた《信じる》という精神の行為も 人間には 生じるようです。この信じるにかかわって 《たましい》あるいは《霊》という言葉を用いる場合も出て来ています。《いのち》についても 生物学の範囲を超えて いのちの創造主なる物語も人間は持ちました。・・・ いづれにしても この信じる(あるいは 信じない)については 自分たちで 互いの信教は自由だと 認め合っています。・・・ 情況説明のようになりましたが。

noname#42847
質問者

お礼

回答アリガトウございます。 物語というキーワードについて「そう言う事かもしれないなぁ」と思いました。 確かに知るという行為=幸であるとは限りませんね。

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  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.5

「魂」というと宗教やスピリチュアルなイメージがあるので、「魂」ではなく、「心」と考えれば、その存在は明らかだと思います。 科学的、合理的に考えれば、「心」の実在は確かですが、「物質の実在」は必ずしも確かではないと思います(常識的には、逆の認識がなされているようですが)。 例えば、リンゴが赤いのはリンゴという物質が赤いわけではなく、心がリンゴを”赤く色づけて見ている”こと一つ考えても、物質より心の方が実在性が高いと思います。 人間が作り出したのは「心」ではなく、「物質という概念」の方だと思います。

noname#42847
質問者

補足

興味深い回答アリガトウございます。 ですが、一つだけ >科学的、合理的に考えれば、「心」の実在は確かですが、「物質の実在」は必ずしも確かではないと思います の一文について、貴方のお考えをお聞かせ下さい。 私は、リンゴが赤いのはリンゴの表皮に赤以外の光線を吸収する物質が含まれているからだと認識していました。 (赤の光線だけを反射する物質だったかもしれませんが・・・すいません)

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.4

死後の世界が存在すると証明した人は人間の歴史上一人もいません。 逆もいません。 未知な分野です。   「未知がいつか既知に変わるはずだ。」 全部じゃないですよね。 雷は神の怒りというのが古代の常識でしたが、今では放電かなにかが原因だとわかっていますよね。 詳しくは知りませんが、神様がムカついたときに起こすのではない。 で、人間にとって一番悩んだことに「死」があります。 どうしても避けられないもの。 誰もが迎えるのが死。 死後は行ってみないとわかりませんが、残念ながら行った人は多数いますが、行って帰ってきた人は、たった一人もいないんですね。 (臨死体験は別にして。) で、誰も教えてくれないので、想像というか推理するしかないわけです。 何から想像するか。 自然が回りにあふれていますよね。 春になれば何もないところから目が出て、成長して、実って、そしてまた無に帰るのに、また春になると何の無いところから生命が誕生する。 実は何もないわけじゃあないんですが、目では観察できないので、無いとしたわけです。 魚は水の中で自然発生すると思われていたんですね。 実際はそうじゃありませんが、観察不足により、水から自然と沸いてくると思われていた。 でも一応想像はしたらしく、無ではなく、何かがあったので、再度生命が誕生したと考え、肉体が滅びても存在し続ける ということにつなげた。 存在しつづけた結果、再度水から姿を現したと考えた。 人間も死んだとしても、何かは残ると考えた。 それが魂。 こうじゃないかと私は古代の人の考えを推測するですね。 超といったらいいのか、まあ とにかく古代は蛇崇拝があった。 世界各地に蛇崇拝がありますよね。 日本にもある。 どうしてか。 蛇は脱皮する。 抜け殻を取りまた新しく再生したかのようなイメージ。 蛇が尻尾を加えた絵 ありますよね。 輪廻のイメージ。 二匹の蛇がからみあっているシンボルありますよね。 どっかの医療機関のシンボルだったような気がしますが。。。。 とにかくこのシンボル 古代からあるんですね。 古代の人は何をイメージしたのか? シャーマンたちは何をイメージし、統一のこのシンボルを保持してきたのか。 記憶??? よくわかりませんが、この二匹の蛇が絡み合っている状態を現代の人が見たら何をイメージするでしょうか。 DNA。 人はDNAを次の世代に残し、さらに次の世代に残し、とずっとDNAを古代より運んでいます。 恐らくアフリカから氷河期が終わりを告げはじめる頃、一部族がアフリカより脱出し、全世界にこのDNAを運んでいくことになったのだと思います。 何万年か永遠に生き続けているDNA。 乗っている船はそれぞれが物質の劣化で消滅していますが、このDNAは世代を超えて運び続けられています。 という話をしたとき、あなたは 命 魂 輪廻転生が一体なんなのか、なんとなーくわかったような気になりません? あなたそのものは一時的には存在しているが、あなたは船。 何かを運んでいる船。 肉体が滅んだ時、あなたも滅びますが、乗っけているものは滅びないで、まだ次の世代に運び続けられる。 あなたが子孫を残さなくても、他の運び手が未来へ運び続ける。 あなた自身は今回の生で終わりです。 精一杯 楽しむ。  これが我々運び手に許された唯一の楽しみ。 自由に生きることが許されている。 自由に生きるとは、誰も主(ヌシ)としないこと。 主があるとしれば、唯一の大元の主はDNA。 DNAは我々に自由に生きることを許している。 期限付きだけどね。

noname#42847
質問者

お礼

回答アリガトウございます。 >という話をしたとき、あなたは 命 魂 輪廻転生が一体なんなのか、なんとなーくわかったような気になりません? 申し訳ありません・・・判りませんでした・・・勉強不足です。

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  • acchipoo
  • ベストアンサー率44% (175/394)
回答No.3

私も以前は霊的な匂いのするものは全て否定的な考えをもっているタイプの人間でした。 ただ、その考えが変わったのは妊娠したとき。 まあ、あの当時は専業主婦だったので、かなり暇だったらしく、 いろいろなことを考えましたね~。 で、やっぱり思いつくのは「妊娠して、どこからが命の始まりなんだろう?」ということでした。 結局今でも答えはわかりません。 ただ、子供の幼稚園のお友達でも前世の記憶があった子がいます。 その子は自分の出産に至る前にお母さんのおなかにいたことを話したそうです。ただ、どんなに一生懸命ご飯を食べても大きくなることが出来ず、 一度お空に帰ってしまったそうです。その後「いつお母さんのおなかに入ろうかな・・」 と思案していたところ、お姉ちゃんが先にぴゅーっとお母さんのおなかに入って行っちゃったんだよ。と語ったそうです。 友人は当然その子に同じ頃に流産経験があったことは話していません。 が、なんとなくそうなんだろうな・・と納得してしまったそうです。 私も長男と次男の間に1回流産を経験しました。 そのときに「準備がちゃんと整ったらまたおいで」とおなかに語りかけて 手術を受けました。不思議と全然悲しくありませんでした。 その話をある人に話したところ、「うーん、そうなのかも・・ いや、君の周りに水子が全然見あたらないんだよね」と言われました。 その話の信憑性はさておいて、次男が胎内記憶を話したらおもしろいな・・と思っています。 (ちなみに長男はお母さんのおなかの中でお風呂に入っていたと 胎内記憶を語ったことがあります) 以前、私の部活の顧問だった化学の先生がまあちょっとした不思議な体験をいたしまして、 そのときに語った言葉が非常に印象的でした。 「僕はサイエンスの世界に生きている。サイエンスの世界はプロセスがあって結果があるものだけど、さすがに今回は結果はあるけど僕にはそのプロセスが一切組み立てられなかった。けれど、確かに結果はあるんだ」 きっと、不思議なことなんてただの点に過ぎず、今の私たちの科学では その点と点をつなぐ線が見えていないだけの話かもしれないですね。 抽象的なお話ですいません。

noname#42847
質問者

お礼

回答アリガトウございます。 大変興味深い体験をなされていますね。 こう言ってはなんですが、羨ましいと思います。 >抽象的なお話ですいません。 いえいえ、大変参考になりました。

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回答No.2

生命活動を物質やエネルギー収支で考えても、腑に落ちない何かが残りませんか? 人が生まれると言うのはどういうことなのか。 人は死んだらどうなるのか。 そういうことを昔の人が世界中で考えて「きっとそういう仕組みがあるはず」と考えたのが「魂」や「輪廻転生」などだと思います。 「命」については、存在しないと言われると、「じゃああなたは今生きてますよね?」と問いたくなります。じゃあ、生きてるってどういうこと?? 

noname#42847
質問者

お礼

回答アリガトウございます。 >昔の人が世界中で考えて「きっとそういう仕組みがあるはず」と考えたのが「魂」や「輪廻転生」などだと思います。 私もそう考えています。 ですが、魂や命という存在がこの様に定着し信仰されている現状をみてそれだけではないのでは? 何か他の要素が含まれているのでは? と思います。

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