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ヴァイタリティの在り処はどこなのか、それが消失する時
私は悲観主義でもなんでもないのです。孤独とか苦しみへの対処はこれから先もなんとかなるだろうと思うし、人生に対する希望を失ったりすることはないのですが、自分のヴァイタリティの尽きる時が異様に恐ろしいです。逆らえない気がします。過剰に行動した後の空白、「祭りは結局こなかった」的心境に陥るたび、そのことを考えます。当然しばらくすると回復してくのですが、この力が尽きるのが恐ろしい。予測できない時に何らかの人生過程で、これがシュッと消えて、廃人のようになる未来をイメージしてしまいます。それだけ、自分は自分のヴァイタリティを頼りにしているのですが、ところで、ヴァイタリティとはどこにあるのでしょうか、、、?どこから人を動かしているのでしょう?皆さんはどう思いますか? カテを間違えているかもしれないですけど、よろしくお願いします。
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- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
補足していただいたので再度回答させていただきます。 バイタリティの本体が何かは分かりませんが、感情がその誘引になっているのは間違いないじゃないでしょうか。きれいな花を見て写真を撮ろうと思ったり、いい女だな付き合いたいとか。なので、感情がある限り消えることはないように感じます。 redkeeperさんが感じる空白とは”目的”或いは”目標”とは違うのでしょうか。何のための祭りなのか、何のためのバイタリティなのかという問いじゃないでしょうか。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
個人的にはバイタリティが尽きるとは思えないです。 私たちは人でありますが、生物としての人間でもありますので、例えばお腹がすくから何かを食べるという欲求が消えることはないんじゃないでしょうか。ただ食べるだけじゃなくもっとおいしいものを、と付加価値を付けたがります。この付加価値をバイタリティと呼ぶんじゃないでしょうか。 redkeeperさんが問題にしているのはそのバイタリティのムラじゃないでしょうか。強いバイタリティの後に来る喪失感、俗に言う熱しやすくさめやすい性格の事じゃないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます。 そうですね、私は俗に言う熱しやすく冷めやすい性格です。ですが、それは根本的に空白を無視するために自主的に抑鬱感をつけたりしていて、他にも、退屈しないために絶えず自己否定しているようなところがあります。ですから、いつかこの根本と向き合わなきゃいけないのかなー、と思い、質問のようなことを考えてしまいます。どんなに精力的でも何か死んでる気がします。けど、食べてもまたお腹がすく、何か発散してもまた欲求がでてくる。このメカニズムは本と愛しいですね 話はそれました。 回答感謝です。
お礼
再度回答ありがとうございます。はい、仰ることは分かるのですが、そうではないのです。確かに、目標も目的も持たない方です(希望は持ちます。)、それのせいで満たされないとも思いませんし。目標とかそういうことではないんです。 いい花をみてきれい、いい女だな付き合いたい、そういう感情自体が薄れることを想像します。ありえると思います。怖いですね。年月に比例して自分と無関係なものが排除されていくということ、倦怠の作用が関係ありそうです。 応えにくい質問に二度答えてくださって有難うございます。