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忍者?
よく忍者というのか、伊賀者、甲賀者と言っていますが、結局は何をしていたのでしょうか?
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こんにちは。 主な仕事は情報収集です。 今で言うならスパイが一番近いのではないでしょうか。 暗殺や破壊工作は全くなかったわけではないでしょうが非常に少なかったようです。 大体そんなに簡単に暗殺が出来ちゃうならば、戦国時代の武将は一晩で全滅したでしょうし。
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伊賀が、元祖で、甲賀が、派流では、なかったでしょうか。 毛利元就、徳川家康、武田信玄などは、諜報戦を得意とし、それぞれ、お抱えの忍者たちを保護したり、養成したりして、お家の役に立てていました。 それにしても、「しのび」なのですから、後世の私たちが手に取るように活動や、内容がわかってしまうことは、スパイ失格です。 偽の情報も流しているかもしれませんよ。
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ありがとうございました!
- HANANOKEIJ
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こんばんは、platina-angelさん。村上知義「忍びの者」をビデオで見たことがあります。伊賀忍者、甲賀忍者、風魔、猿飛佐助、霧隠才蔵、戦国大名は、みな忍者を利用していたようです。忍者とは違いますが、出雲の阿国のかぶきおどり、くぐつ、など巡業で全国をまわる芸能集団も、情報収集をしていたようです。隆慶一郎の時代小説によくでてきます。 網野善彦さんの、中世日本史をおよみください。
お礼
ありがとうございました!
- carwing
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後世に残る忍者の様々なイメージはかなり創作です。 戦乱の世はどんな立場の人々も、のほほんと過ごすわけにはいかなくなりました。小さな集落はあっというまに蹂躙されてしまいます。 そんな中で周辺の勢力に情報を売ったり、工作破壊活動で協力するといった形で生き残りをはかった集団がいわゆる忍びだったと思います。 生まれた土地を離れる事の少ない昔には、国の外の情報は貴重かつ敵を惑わす流言も飛び交っていましたので、真偽の程を知るにも諜報活動を出来る者が必要だったのです。 といってもドラマのように黒装束で天井や縁の下に隠れてるはずもなく、堂々と仕官してなるべく領主の近くにまで近づき(出世し)仲間の忍びを介して本来の主君に情報を与える、といった手口が基本であったと思います。 暗殺はかなり怪しまれるので、まずありえないと思います。それよりも敵の領主の跡取り争いを仕組む、将の離反を促すなどの地味な工作が一番効果的だからです。 破壊工作に関しては、合戦の際に行ったと考えるべきです。単独で城に火をつけても連動した作戦がなければただの火事です。本隊の攻撃と前後して城兵にまぎれた忍びが行動をおこす、といったところでしょう。
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諜報員だけでなく、工作員でもあったわけですね。 ありがとうございました!
- myeyesonly
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あ、一つ忘れてました。 戦国時代に特に多かったのですが、「情報収集」の反対、つまり情報バラマキというのも重要な仕事でした。 つまり、デマ情報を流して相手を混乱させたり、とんでもない方向に出陣させて留守を攻めるとか。 これの特に有名なのが豊臣秀吉の鳥取城攻めですね。 城周辺で、東北地方が大凶作でお米の相場が急騰してるというデマを流しただけでなく、米を高額で買い集めました。 この罠にはまった鳥取城の大将が、この機に乗じて軍資金を集めようとして篭城時の食料に備蓄してあったお米を放出した所を秀吉の軍勢に囲まれて食料のない篭城戦となり、鳥取城は飢餓状態となり悲惨な状況を呈しました。
お礼
デマを流すことも、忍者がやっていたということでしょうか。 ありがとうございました!
鎌倉時代から江戸時代の日本で、大名や領主に仕え諜報や暗殺を仕事としていたとされる、個人ないし集団の名称。 現代で言えば、官僚につく護衛(ガードマン)でしょう。
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早速のご回答ありがとうございます。 ガードマンってリアルですね。 大名に仕えていたから、忍者同士で争ったりしていたのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 諜報活動には危険が伴うでしょうから、煙幕…でしたっけ?…などの特殊な道具を開発したのかもしれませんね。