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フロム「愛するということ」について教えてください

E.フロムの「愛するということ」を読みました。 これまで心底愛した人に騙され、よく考えると最初は相手の知識や立場に惹かれていたことに気づいたり、家族や友人の愛に悩み、身近な愛という言葉にピンと来ていた矢先でしたので、 「恋人だけを愛するのでなく周囲を愛することができるとき」や「自分が生産的な活動に充実しているとき」に、相手の成長を願うことが愛だという考えを、実践していきたいと思うのです。 が、もし自分が生きがいに充実して誰も恨むことなく周囲を愛せるようになったとき、恋愛とか結婚と言う意味では、誰をも愛せる分、誰でもよいということにならないでしょうか。 周囲への愛や自分のあり方については、実践できそうなのですが、 独身の私にとって、恋愛・結婚をしたくなったとき、その相手は どのように選んだらよいのかわかりません。 また、フロムのこの本は名著と言われていますが、これに並ぶ著作や フロムの愛について批判している本があれば教えてください。

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  • tyr134
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回答No.3

#1です。 エーリヒ・フロムについての追加情報です。 Wikiの該当ページ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%A0 新フロイト派 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E6%B4%BE フロムの一番の功績は、人間の心理・精神やそれに基づく行動は、所属する社会に影響されていることを分析し明らかにしたことです。 そして、近代化によって「自由」を手に入れた反面、孤独で不安定になった事がファシズムの現出に繋がったと分析しています。(「自由からの逃走」) 「愛」という概念は、本当にややこしいモノでなかなか理解出来ないですよね。 余り細かいことは考えずに、自然体でいれば良いのではないでしょうか? 自分の幸せや他人の幸せを願う時に、いちいちこれは「アガペー」だあれは「エロス」だなんて言ってても無意味ですから(笑) 自分の理解では、自己の幸せを考えるのと同じくらい、他人の幸せも考える事だと思っています。 ほんの少し、日常で心がけるようにしています。 最後に「愛」に関するWikiです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B

noname#26504
質問者

お礼

tyr134さん、追加情報をありがとうございます。 フロムの功績にはそのようなこともあるのですね。自由からの逃走はざっとしか読んでいないのですが、もうちょっと自然体になってみてから、もう一度ふつうに読んでみたいと思います。 >いちいちこれは「アガペー」だあれは「エロス」だなんて言ってても無意味ですから(笑) 自分のことについては、あやうくそんなことを考えてしまいそうでした。まるで愛のファシストですね。 さすが哲学カテゴリー、みなさん博識で知己にとんだ暖かいご意見にとても感謝しています。 愛に関するwiki、ありがとうございました。 人名やカタカナ語などはwikiでチェックすることが多いのですが、これで調べたことはなく、初めて読めました。なんだか難しく考えてしまう私には、フロムの本よりもこちらの方が、もしかしたら適当かもしれません(笑)  本当にどうもありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.5

結婚については複雑ですが、恋愛についてなら、 頭で判断するよりも、ときめく気持ちに従うしかないと思います。 「恋愛したい」という気持ちは、恋に恋している状態に思えます。 恋に付随するいろいろな経験が欲しかったり、 寂しさを埋めたかったりというのは、 「その人に」ときめいて、「その人を」いとしく思うのとは違う始まりに思えます。 極端に言うと、人間と人間が出会っていない気がします。 相手の持ち物ではなく、人格の核心部分を愛するのがほんとうの愛だというようなことを、フロムは書いていたと思います。 経験をつみ人間としても成長すれば、どういうひとを好ましく思うかは変わっていくと思います。 成長に伴って、深く核心に触れられるようになります。 >誰をも愛せる分、誰でもよいということにならないでしょうか。 「誰でもよい」ではなく、「一人でもよい」になります。 満たされているから、人からの愛はボーナスみたいな感じになります。 うれしいし有難いけど、必ずしも必要でなくなる。 むしろ、周囲のほとんどの人は恋愛対象としては色褪せて、 本当に惹きあう人が浮かび上がってきますが、 その相手は年齢がとても離れていたり、同性かもしれません。 いわゆる世間でもてはやすような恋愛劇とは質の違うものになります。 東京ではソメイヨシノは散り始め、今は山桜が満開になろうとしています。 やがてツツジが咲き花水木が咲くここと思います。 私は花が大好きですが、一番好きなのは紫陽花と朝顔です。 摘んできて花瓶に生けることや髪に挿すことが付き合うという囲いだとしたら、ただ香りを楽しむことや、ただ一緒の風のなかで佇むという愛の表現もあります。 何も感謝されなくても大切で、水をやり、風の日には心配し、 花開くを日を心待ちにするように、 分からなくても精一杯心を尽くして世話をし、大事にするように、 花を愛するように、人を愛せたら、 フロムの言う愛に近いかなと思います。 どうか失敗を恐れずに、人の心に触れてください。 考えるより心を開いて人のなかに飛び込み、 精一杯関わりあってください。 成長、幸せ、夢がかなうこと、充実や達成、楽しさや喜び、 快適さ、心地よさ、etc.  相手にとってのプラスの価値の実現を願うことが愛の出発点のように私は思います。

noname#26504
質問者

お礼

ご親切にありがとうございます。恋に恋して悩んでいるわけではなく、フロムの記述ことを理解してみたかったのです。 >「誰でもよい」ではなく、「一人でもよい」になります。 ありがとうございます。一人か二人かではなくて、ちょっと違うこと(フロムの言うところの兄弟愛と異性愛の違い)が聞きたかったのです。

  • spitzer3
  • ベストアンサー率9% (3/32)
回答No.4

>が、もし自分が生きがいに充実して誰も恨むことなく周囲を愛せるようになったとき、恋愛とか結婚と言う意味では、誰をも愛せる分、誰でもよいということにならないでしょうか。  お金がある人や、健康な人、綺麗な人を選んだ方が自分にとって徳だと誰もが思うと思いますよ。  お金がない人と結婚したら、楽になれる可能性が高いし、健康な人と結婚すれば、医療費が浮くし、綺麗な人を選べば、なんかこころが落ち着くと思いますがね。    誰もを愛すのにも限度があると思います。できる範囲で、愛せばいいんだと思います。    今から、自分を苦しめて、殺そうとするものを愛することはできないと思いますよ。  多くの生き物を愛することによって、自分が他の生命から愛されたいと思っても、それは一可能性にすぎず、他の生命から愛されないかもしれませんよ。  だから、適当に愛さないと、他の生命から、苦しめられ続けたり、常に苦しみが続くことになってしまうと思います。  愛することも中道であることがよいと思ってます。

noname#26504
質問者

お礼

貴重なアドバイスをありがとうございます。恥ずかしながら、人も本も、言葉を鵜呑みにしてしまうところがあって、このような現実的なご意見は目が醒める思いです。 >それは一可能性にすぎず、他の生命から愛されないかもしれません そうですね。落ち着いて考えてみたら、その可能性にばかり期待するのはかえってよくないことかもしれませんね。 >常に苦しみが続くことになってしまうと思います。 なんだか自分でもそんな気がして、ちょっと本を読むのをお休みしようかなあと思っていたところでした。 もう大人なので、中道を忘れないように、もうちょっと気楽に楽しみたいと思います。ありがとうございました。

  • mmky
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回答No.2

[相手の成長を願うことが愛だという考えを、実践していきたいと思うのです。] 良いことですね。あなたがそう思い実践することは他がそう思い実践することでもあるんですよね。だからあなたに対してあなたの成長を願うような女性がいるはずですから、そういう方と一緒になればいいんですよ。あなたが愛を実践している間に必ずあらわれますから、心配はいりませんよ。

noname#26504
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分が実践していれば、もしかしたら、いつか、周りに同じような方が現れるかもしれないということですね。難しいことですが、磨いていきたいと思います。 私は女性なのですが、やはり心細くなることもあり >愛を実践している間に必ずあらわれますから、心配はいりませんよ。 肩の荷がおりるような、お言葉に心が温まりました。 本当にありがとうございました。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.1

フロムの「愛するということ」はまだ読んでいませんが。 哲学的な面から言えば、「愛」は二つに分けられます。 『アガペー』と『エロス』です。 『アガペー』とは、無限・無償の愛であり、単なる「隣人愛」以上の普遍的な人間愛の事です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%9A%E3%83%BC 『エロス』とは、性愛であり男女の愛の事です。 女性の生殖は神秘であり驚異であり、神聖なもの見做され、それ故、生殖の前提となる肉体の交渉での愛を必ず必要とされました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9 恋愛・結婚は『エロス』であり、「生きがいに充実して誰も恨むことなく周囲を愛せるよ」というのは『アガペー』であると思われます。 エーリッヒ・フロムの研究書としては以下のもはいかがでしょうか? エーリッヒ・フロム ――希望なき時代の希望 # 出版社: 新曜社 (2002/11) # ISBN-13: 978-4788508248 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%A0%E2%80%95%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%B8%8C%E6%9C%9B-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E5%89%9B%E5%8F%B8/dp/4788508249/ref=sr_11_1/249-9429792-3722752?ie=UTF8&qid=1175769507&sr=11-1

noname#26504
質問者

お礼

tyr134さん、ご教授どうもありがとうございます。 自分では気づきませんでしたが、おかげさまで私はエロスとアガペをごっちゃまぜにしていたことに気がつきました。エロスのところをよく読みました。また、書籍のご紹介も大変ありがたいです。書評などでは誉める内容のものが多く、客観的にどんな人物であるかとか、歴史的にみてどんな流れで出てきた人なのかとか、詳しく知りたいと思っていたところでした。フロムはフロイトの性愛論も否定しているので、ご紹介いただいた研究書を是非読んでみたいと思います。どうもありがとうございます。 同著の中にエロス・アガペの言葉で説明した箇所がなかったか確認しようとしたら、自分の質問に対する記述を見つけましたが、明確に答えていないように見受けられました。 「次のような見解に達する人もいるかもしれないー・・・(愛は意思の行為であるから)当事者二人が誰であるかは基本的には問題でない、と。この見解は、人間の本性も異性愛もパラドックスにみちているという事実を見落としている。・・・したがって、特定の人間どうしの独特ものである見解も正しいし、意思の行為にほかならないという見解も正しい。いや正確にはどちらも正しくない」という文面を見つけました。 読めば読むほど、わからなくなります。。

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