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北面の武士について教えて下さい。
院の護衛のために結成された武士の集団であり、院の北面に詰め所があったことから北面の武士と呼ばれていることは分かっているのですが、もっと詳しいことを知りたいんです。 北面の武士になるために必要な条件は? (北面の武士になるための)試験はあったのでしょうか? 地方出身の北面の武士は、詰め所を住み家にしていたのでしょうか? 検非違使の赤い狩衣姿のような制服はあったのでしょうか? (護衛といってもアバウトすぎるので)その仕事の内容は? どれか一つでもお答えいただければ非常に助かります。
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白河上皇の時、院の護衛には武者所がありましたが、新たに北面の武士を置きました。 「院中に上下の北面を置かれ、上は所諸大夫(五位で諸司の長官)、下は衛府所司(六位以下の武官)が多く候」とあります。 上北面は兼任なので、北面の武士とは通常北北面を指します。 腹心の親衛隊とも云える北面の武士になるには、院の取り巻きのつてによったようです。 所領の寄進によったのもあり、また院の寵童、童形の時に北面に登用されたとの話もあります。 任務の例は、院の御幸に際し、北面は布衣に箭(や)負いて院司、殿上人と並んで院の御車のあとについた。 武者所の武士は行列の最後だった。 関白藤原師実の車後に供奉したこともある。 常に院の側近に侍り警護し犯人を捕らえ、御幸には常に武装して供奉するのが任務でした。 検非違使を兼任していたものもいました。 後年になり興福寺の悪僧の強訴を止めるため、北面の武士が郎党を引き連れ千人あまりで出動し、悪僧どもを押し返した話は有名です。 武士の力を見せつけ、政権に近づく一歩でした。
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- suicyo
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参考まで。 北面には、「貴族の末端に連なる階層」と認知された上北面と地方出 身の「武士」である下北面とに区別する認識が当時よりあり、古典に もわざわざ上下を区別して書かれたりもしています。現在、一般に 「北面の武士」として知られているのは下北面の方です。下北面が上 北面に出世する場合もあります。 北面を世襲している例としては坂戸氏(文徳源氏)があります。
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上北面より下北面が有名なのは、貴族よりも領地を護ってきた武士の方が腕が立つからでしょうか?そう考えると武士にとっては良い出世所だったのですね!貴重なご回答、どうもありがとうございました。
- hazu01_01
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>>北面の武士になるために必要な条件は? 北面の武士の出自は地方の蔵族の子弟です。このような家々では院、女院、公家などに荘園を寄進したり、主家から推挙されたりして北面の武士になっているようです。 平正盛、佐藤義清(出家して西行となる)なども北面の武士出身のようですので、京都に屋敷を維持していると思われます。
お礼
西行とは西行法師のことですよね。彼が北面の武士出身だったとは初耳です。とても参考になりました、どうもありがとうございました!
お礼
北面の武士の始まりは白河上皇だったのですね。検非違使と兼任していた者もいるとは驚きでした。細かなご回答、とても参考になりました。どうもありがとうござました!