「社説」というのは、実はたいへん難しいです。しかし、難しいのですが、パターンが決まっています。
その話の前に、社説には普通、題名が付いています。付いていない場合は、文章を読んでみて、自分で、これらしいと思う題名を付けてください。細かい部分はいいです。「アフガニスタンについて」とか、「パキスタン情勢について」とかだけでもよいです。
そこで、社説の構成の話になります。社説というのは、「何かを主張する文章」です。会社の見解の表明・主張ということになり、だから「社説」と言います。
この場合、こういうことを書くと混乱するかも知れませんが、「社説」に何の主張もないことがしばしばあります。そんなはずはないと、思う方がいるかも知れませんが、それは、社説を書く人の文章トリックに騙されているのです。
社説は基本構造として、
1)事実状況の提示・説明
2)それについての或る人・勢力の主張やアクション
3)上の或る人・勢力の主張やアクションが「間違い」であるという主張
4)結論らしき何かのしめくくりの文章
こういう形になっています。1)と2)が一つになっている場合や、2)がなく、誰とも分からない者に反論的に主張を書いている場合もあります。しかし、普通は、書いていなくとも、何か・誰かの主張やアクションに対し「反論」し、否定しています。
肯定している形の社説は珍しいです。また、反論はなく、ただ、自己の視点から独自の考察や主張をしている社説も珍しいです。
何故「社説」が、こういう構造になるかは、社説とは何かを考えると分かります。社説というのは、何かの社会政治的出来事について、色々な主張や意見やアクションがあるなか、自社の新聞社は、どの立場を取るかを、読者に明らかにするために書かれるものなのです。
つまり、何かの政治的社会的出来事が、1)の事実状況に当たります。それに対し色々な意見や主張があるが、2)になります。この時、自社の主張と同じ主張をしている人・勢力は取り上げません。何故かというと、そういうのを取り上げると、「社説=社の主張の独自性」が消えるからです。
すでに別の人が主張しているのか、ということであれば、社説を読む興味はなくなるでしょうし、社としての「立場表明」として弱い印象があるのです。こういう主張は我が社がしていることで、「それに追随してか」、AやBやCも似たことをようやく言い始めた、という方が、会社がその主張の先頭に立っているようで、体裁よいのです。
だから、同じ主張の意見などは、書かないのが普通です。書けば、それで「独自性」の印象が消えます。こういうことを主張しているのは「我が社だけだ」という方が、読者受けがするでしょう。嫌いな人には、何を独善をと思われても、なかなかそこまで見抜けません。文章の達人、詭弁の名人が普通、社説を書きます。
従って、ある主張を客観的に見えて、実は、勝手に歪曲したりして紹介した後、それに対する反論を書くのです。あるいは、以上のような考えアクションと違い、我が社は、こうこう考えると書きます。批判対象を横にして、それとのコントラストで、自社の主張をするのです。これが3)です。
そして最後の4)では、よく知られている普遍的な、どうとでも解釈できるような諺を出したりして、社説の「常識性・普遍性」の偽装を行います。最後のところで、常識めいたことを書くと、常識の分かっている主張だとなって、先の反論や主張も、「常識」に準じているとなるのです。
だから、社説は「嘘出鱈目」を書いていることが時にあり、また何も書いていない事があるのです。反論だけ書いて、自社の主張は何も書いていないというような場合がそうです。
政治や社会の問題には、答えがないものがあります。不快なことしか、具体的な答えがない問題があるのです。そういう時、不快な答えを述べている者の主張やアクションを批判・反論し、では、自社はどういう意見やアクションがあるのかというと、何も書いていない場合があるのです。書くと読者印象が悪くなるからです。
これは、社説の構造を分析し、説明しているので、貴方が、こういう分析や説明を、「要約」において行ってはいけません。以上のような構造をしているので、まず、事実状況の説明があり、次にそれに対するある人・勢力の意見やアクションを紹介し、それを批判・反論して、自社の意見を述べるという構造をしているということです。
最後には、「常識的な言葉」があるというのも重要です。これが結論ではないのです。一見、結論に見えるのですが。
社説は、複数の話題に分かれていることがあり、その場合、話題ごとで以上のような構造が繰り返されます。最後の「常識的な言葉」は、最後に一回になると思いますが。
従って、題名「アフガンの情勢について」だと、アフガン情勢についての事実状況の説明、ある勢力の主張・アクション、それに対する批判・反論、そして自社の主張となります。
これで要約になります。社説を読んでみて、今言った構造が当てはまるかどうか確認してみてください。大きな枠で見ると、こういう構造になっています。
従って、要約は、
1)「題名」
2)どこで(where)、何時(when)、誰に関し(who)、こういう(what)状況(how)がある。
3)それについて、誰々が、こういう主張をしている、アクションをした。
4)その主張・アクションは、これこれで間違っている。我が社は、こう主張し、こういうアクションを望む。
以上のようになります。最後の「常識表現」の部分が結論だと思うと、社説の構造を見失う可能性があります。最後に述べてあるのは「読者サービス」なのです。主張は、その前に行っているのです。
こういう風にすると、要約が造れます。新聞記事とは本質的に異なるのです。新聞記事は、1)と2)があるだけです。「これについて、誰々(例えば、警視庁)は、こう言っている」というような文章もありますが、これは反論するために入れているのではありません。これも事実状況で、「それに対し市民団体は、こう反論している」というのがあっても、これも、事実状況です。
新聞社が、自己の主張をどこにも書いていないし、新聞社が反論しているのではないのです。記事の「擬似中立性」というものがあります。
事実をどう取り上げるか、主張をどう表現するか、反論をどう表現するか、これによって、新聞社の「作為編集」が出てくるのですが、それは他社の新聞記事を読み比べると分かることがあるので、新聞一紙の記事だけでは、事実は分かりません。
社説というのは、構造を知らないと錯覚が起こる文章なのです。また錯覚を起こさせることを計算して書かれる文章です。
追加:別の構造に、「お涙頂戴社説」とでも言うのがあります。これは、或る人や勢力の主にアクションを取り上げ、褒め称えるものです。この場合、「褒めて損がない」対象で、褒めると読者が喜びそうな対象を褒めます。
「昨日逝去された、日本工芸の誰々さんは、どこ生まれで、こういう苦労をし、そしてこういう成功を収め、文化勲章も受章した。素晴らしい人であった」などという社説もあります。しかし、こういう社説の要約は出ないと思います。この場合は、要するに「褒めている」というだけです。「誰が、何をしてどうなった、素晴らしい人であった」が要約です。
お礼
ありがとうございます! とっても勉強になりました。 社説、っというところがやはりネックですね。普通の文章でなく、社説を読みこなせる力があるか、というところを試験で問われているような気がしてきました。 教えていただいた後に、社説を数個読んでみました。おっしゃる通りの構造をしているな、と私のつたない能力でもわかりました。 要約文をいかにうまくまとめるか、は私の力しだいなので、練習していきたい、と思います。 教えていただいて、社説がずいぶん読みやすくなりました。 ほんとうに、ありがとうございました。感謝します!!!