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イプシロンデルタ論法で
全てのε>0に対して、n>NとなるNが存在して~、みたいな表現があると思いますが、私は初めの部分の「あるε>0」と「すべてのε>0」は同じ意味だと思います。 しかしこれを証明しようとした場合、あるε>0(つまり一つの点)についてのみ証明しようとしても、全てのε>0で証明しなければいけない気がします。このようなギャップはどこから出てくるのでしょうか?
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他の方の回答も見て、#5は質問の趣旨に沿ってないかな?と思いました。再チャレンジしてみます。 まず、#1,#3,#6,#7の方々の仰る事は、全くその通りです。その上で、#2,#4,#8さん達の筋に従った、次の例はどうでしょうか? (1) ε>0 を仮定する. (2) あるε>0を考えて、N(ε)を計算し、n>Nなら、|f(An)-f(x)|<ε である事を示す. (3) ただしεは、ε>0であれば、何でも良い. (4) 従って(2)は、εの取り方に寄らないので、 (∀ε>0)(∃N)(∀n)(n>N ⇒ |f(An)-f(x)|<ε) を示せた. あえて方法名を挙げれば、(1)~(3)は補助定数の方法と言います。補助定数とはεの事です。∀εと言ってるのに、εが定数とはこは如何に?という微妙な違和感がまた生まれるわけですが、恐らくこれは正式用語で、補助定数の方法(1)~(3)と、(4)を直接やっつけるのは同等であると保証されてます。保証の証明は、通常数学一般の人外魔境(超数学,数学基礎論の事です)の入口で行われ、他愛もないものです。というのは、(4)を直接やっつけようと思ったら、(1)~(3)のような手順を実際には踏みますよね?。その入口で行われる「超証明」なるものは、その手順をたんに成文化したものに過ぎません。 ただし、ε>0であるのは(そうしたかったんだから)当然として、(1)や(3)を省略すると、後でノートを読み返した時に、自分がその時に何やってたんだかわからなくなる、なんて事は・・・やっぱりあります。だってその場合、(2)しか残ってないわけですから・・・。
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- funoe
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収束するかどうか、敵(?)と戦っている(?議論している)自分を想像してください。 いじわるな敵が、ε>0を指定するわけです。これが大きい値なら問題ないのですが、収束性について戦っている場合、狡猾な敵は、かなり小さめの値を指定してきます。 敵が指定してきた(多くの場合小さめの)εに対し、自分は、あるNを探さなければなりません。(もちろん、∀n>N、~~が成り立つような) 敵の指定するどんなεに対しても、Nを発見できる手順を発見すればあなたの勝ちです。 -- 一回一回のNを発見するプロセスはあるεに対して行っていますが、結局「どのようなεに対してでも」Nを発見するプロセスが必要なわけです。
- Tacosan
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質問の意味が不明ですが, 基本的に「全ての~」と「ある~」は全くの別物です. ちなみに∀ε∃N だと「εごとに N を決めてよい」(これを明記するために N(ε) と書くこともあります) ので, ∃N∀ε (こっちは先に N を固定しておいて, その上でどんなεに対しても) とは意味が違います. #4 で 『「あるε>0について」とは、 自分の好きな任意のεに対して という意味です。』 とありますが, これは普通の解釈じゃないと思う. 「ある」を「任意の」と解釈するのはちょっと無理筋じゃないかなぁ. 条件を満たすε>0 が存在しさえすればいい, というのが普通の解釈でしょう. まあそう解釈しても「じゃあ, あなたの嫌いなεに対しては成り立たないかもしれないんですね」という屁理屈を持ち出されると困りそう.
- mis_take
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日本語で書くと,このような誤解が生じるので,論理記号を使うといいでしょう。 ∀ε>0∃N∀n>N(~)
自分も似たような違和感を覚えた事があります。こういう事かな?と思いました。例えば、 (1) 全てのε>0に対して、あるNが存在し、n>Nなら、|f(An)-f(x)|<ε. 自分はこれを、次のように読み替えています。 (1') 各ε>0に対し、それぞれNが存在し、n>Nなら、|f(An)-f(x)|<ε. 一方、次の言い回しについては以下です。 (2) あるNが存在し、全てのε>0に対して、n>Nなら、|f(An)-f(x)|<ε. ↓ (2') 固定したNがあり、それに対しては任意のε>0であっても、n>Nなら、|f(An)-f(x)|<ε. ただ、(1)と(2)は混同して用いられる事もあり、文脈によって判断しなければならない場合もあると思います。自分もかなり混乱した覚えがあります。
- vingbing
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「証明の内容で、証明の内容で、あるε>0について|n>Nとなるnの式|<εが成り立った。∴証明された。とありますが、これは全てのε>0について成り立ったといえるのでしょうか?|n>Nとなるnの式|<εが成り立った。∴証明された。とありますが、これは全てのε>0について成り立ったといえるのでしょうか?」 いえます。 もちろん、なにを示すかによるのですが、 上に書かれている場合には、それで十分なのです。 先の回答ですこし言葉がたりなかったかもしれませんので、 詳しく書きますと、 「あるε>0について」とは、 自分の好きな任意のεに対して という意味です。 で、 この「あるε」には、「特定のN」が存在して、 そのNに対してどうのこうの、、 という論理展開なのです。 これは、すべてのεに対して、「同一ではない」それぞれのεに対応した Nを選ぶことで、そうなるということです。 それだけで十分なのです。 たとえば、ある閉集合が有界であることを示す場合とか、、 積分が収束することを示す場合とか、、、
- mis_take
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> あるε>0について|n>Nとなるnの式|<εが成り立った あるεでよければ, εとして 10^1000000000000 のような大きな数をとってくれば |n>Nとなるnの式|<ε は成り立ってしまうでしょう。 「ある」ではなくて「すべての」でなくてはいけません。 「全てのε>0に対して、n>NとなるNが存在して~」 ではなく 「すべてのε>0について,あるNについて,すべてのn>Nについて,~」 です
- vingbing
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これは、まあ、大体、ご想像の通りですが、 よくよく考えると 「全てのε>0に対して、n>NとなるNが存在して~、」みたいに ご自分でも書かれている通り、 勝手にεをとってくると、そのεに対応したNが必ず存在することを 主張しているので、すなわち勝手などんなεに対しても、、、 といっていることになるので、まったくギャップはないのです。 ご安心を。 #ぼくも最初のころは変だなと思いましたが、、
- mgsinx
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「あるε>0」と「すべてのε>0」は全く意味が異なります。 例を挙げると、 「あるε>0について、ε<100が成立する。」は真。 (ε<100を満たすεが少なくとも1つ存在していれば良いのです。 例:50) 「すべてのε>0について、ε<100が成立する。」は偽。(反例:100≦εであるε) (全てのεがε<100を満たしていなければなりません。) 「あるε>0(つまり一つの点)について」を証明する場合は、条件を満たすεを1つ見つければいいだけです。
お礼
2つの回答のお礼をここでさせてもらいます。2つの回答の言っている事は違うと思うのですが、それぞれの言ってる事になるほどと思ってしまい、思うように考えがまとまらない状態です。 証明の内容で、あるε>0について|n>Nとなるnの式|<εが成り立った。∴証明された。とありますが、これは全てのε>0について成り立ったといえるのでしょうか?