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言葉で実際にあると言えるのか?
いい感じを感じると言うのを感じたとき、そのいい感じをそのとき実際には感じられないので、実際にはいい感じというのは存在しないのでしょうか? また、「いい感じがあるというのは、ただそれをいいと感じて実際にあると信じるからだ。」と言ったときでも、「いい感じがある。」と言ったときの感じがない気がするのです。 言葉で、実際の感じがあるというのは言えないのでしょうか?
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言葉で言葉の意味を伝えるというのは限界があると思います。 体験した時に、はじめてその言葉の意味が「わかる」のです。話しているときはその体験を呼び起こしているので、同様の体験のない人には文書の意味は伝わりづらいですね。 脳の働きを科学的に分析すると、、、という話ですけど。
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- fishbowl66
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つい、この質問を見て、答えれるか判らないけど 答えてあげたい。 でも役に立たないかもしれないけど、 クリアしてやめようか、 問題は、デカルト的な私以前に、 身体について、もう少し専門家の方は考えるべきですね。 私の身体が感じたことは存在する=感じた。 客観的に証明する必要は有るのかな、 でも、これが結構、問題ですね。失礼しました。
お礼
>私の身体が感じたことは存在する=感じた。 これは身体論みたいなやつですね。そこらへんをちょっと見てみようと思います。 >客観的に証明する必要は有るのかな、 確かに絶対にあるという証明は必要ないですね。ようは、そのときそのとき、いいと感じる言葉を感じることで、存在するとしている感じのような気がしてきました。 回答ありがとうございます。
その「いい感じ」のことを、心理学用語では「クオリア」といいます。 クオリアとは、たとえば赤い物を見たときに感じる、その「赤い感じという感覚」それ自体のことです。 「信号の赤」「ポストの赤」「りんごの赤」はそれぞれ別の赤ですが、これらはちょっとずつ違う赤であるなりに、ある程度は共通した「赤い感じ」を脳内で感じているはずです。 ですがこのクオリアという奴はなかなか厄介なもので、その存在を実験で確かめることができませんので、本当にあるかどうかを証明できないのです。 人間であれば誰もが感じているはずのものなのに、です。 参考URLは Wikipedia で「クオリア」を検索してみたものです。 冒頭だけでも軽く読んでもらえれば、何かヒントになるかもしれません。
お礼
>ですがこのクオリアという奴はなかなか厄介なもので、その存在を実験で確かめることができませんので、本当にあるかどうかを証明できないのです。 そうなんですよね。言葉で確かめるときにはもう感じられないんですよね。 なんか、変な感じです。
補足
>脳の働きを科学的に分析すると、、、という話ですけど。 脳の働きっていうのは言葉を使った理想のことだと思うんですよ。だから、もし言葉が理解できていなかったら、それも理解できていない気がするのです。 どこからが、理解していると言え、どこまでが理解していないと言えるのでしょうか?