私たちの生活領域は地球ですが、その地球は太陽系に属しています。
その太陽系自体は銀河系に属しており、また、宇宙にはそのような銀河系が無数にあると考えられています。
私たちの銀河系を直径130kmに縮めた場合、太陽系は約2mmほどの大きさになるそうです。
そして、地球の直径は太陽系の約 1/80,000です。
え~と、計算してみると直径130kmの銀河系の中に0.000025mmの地球がある、ということになります。
その中に、約60億人の人間が住んでいるわけです。
地球が誕生したのは約46億年前、
最初の人類誕生が約400万年前、とされています。
人類の誕生は地球の歴史を1年間とすると、まだ7時間36分しか経っていないことになるそうです。
それでも何かがあって太陽が生まれ、地球が生まれ、生命が生まれ、現在の人類につながっていることは確かなことのようです。
再び計算してみたら、地球を80歳のおじいさんだとすると、人間は生まれて1ヶ月目の赤ん坊ということになりました。
人類は、発生以来まだそれだけの歴史より歩んでいないわけです。
大きくなって何をしでかすかわからない存在ですし、
「>人類がいなくなれば、苦しみも病気も犯罪も無くなると思います。」
とおっしゃるのは確かにそのとおりなんですけどね・・・。
話は変わりますが、人間の無意識というのも面白いものですよね。
無意識に何かしている、してしまう、というのは不思議な気もします。
しかし、意識することによって行動を制御できるということもまた事実ですよね。
だからどうってことはないんですが、その自分に起こし得た変化、あるいは変革。
さらに、そのことによって、今まで見ていた、感じていた対象が、全く違った視点で見えるようになる。
そのような視点の転換が行なわれた後では、あるもの(対象)の価値観を自らが創造できたことになる、という気もします。
そんな時に、ふと兆す『ある感覚』。
これはなかなか捨てがたいものではないかと思いますよ。
ただ、疲れていると(自身を)変革したり視点を転換する気にもなれませんけどね。
すっかり開き直って自分を解放してみてはどうでしょう。
確かにくだらない生き物で不善を為すしか能の無い存在と言えるかもしれませんが、まだ、生後1ヶ月のわけのわからない赤ん坊と思えばそう腹も立たないんじゃないでしょうか。
実際の赤ん坊は限りなく善に近い生き物なのかもしれませんが、ここはあくまで精神性の発達程度という観点からの比喩とお考えください。
お礼
ありがとうございました。