「知る」こと というのは
乳幼児、幼児の時期には、快感なのだそうです。知るよろこびとうのが、その頃には、かなりダイレクトに感じられるようで、新しい言葉を聴く、物を見る、味わう、など、新しい経験をして、知識が増えるということが楽しくてしょうがないようです。逆に言えば、だからこそ、人間として成長することが出来るのだそうです。よろこびがあるから、知的な発達が快感を伴うから、どんどん、知識を増やしたくなるのだそうです。人間が子孫を増やす、ということとも一緒でしょう。
なぜ、あなたは知りたいと思うのでしょうか。それを知ることも必要かもしれないですね。
あと、僕もそういう好奇心というか、知る意欲がたくさんあります。
一つ思うのですが、僕が自分のことを前に分析した所では、たぶん子供の頃の好奇心を未だに保てている、という所にあると思います。まだ、知りたい、成長したい、とか、その必要も感じています。知らないということは、こわいことだと思います。世の中のいろんなことのトラブルの原因の一つには、知識の不足が、いろいろな面での知識の不足があげられると思うからです。
そして、子供の頃の好奇心を保つ、というのは、もしかしたら、なかなか難しい、他の人にはできにくいことのようにも思います。知る、ということ自体、大人になってくると、知ると怖いという面もあるので。
具体的には例えば、知ると、今まで信頼できていた物に、たよれなくなったり、落ち着く場所が限られてきたりとか、あります。
それに耐えられる人格であった、とも、自分では思います。
そして、子供の頃の好奇心を保たせるためには、子供のように、無邪気でいることが、一つの方法のように思います。
それは、無意識(精神分析学的な意味でも)の行動ができる、ということです。
他者を意識せずに、したいことをする、見たい物を見る。
(例:昆虫学者のファーブルなど多くの学者たちの奇行は有名です)
それができるなら、保てると思いますが、できないのは、当然社会との兼ね合いがでてくるからです。
なかなか難しいともいます。
だから、何のためにそうさせたいのか、と、問いたくなります。
学者にさせるためとかでしょうか
お礼
まずこの質問の私の意図ですが、「流水は腐らず」という言葉があるので「知ることによって観念が固定下しないだろう」ならば、「私は人が知ろうとはなぜ新しいことを知ろうとしないのか?知らないことに恐怖を覚えないのだろうか?知らないことによる失敗を被るのは自分なのに…、それに何より知ることがとても楽しく刺激的で実益的なのに」常に知ることは大切だ、では「なぜ?思って質問しました。 なるほど、子供によく見る好奇心なんですね。それを残しつつその延長線上に「知る」ということ意欲へ繋がるんですね。又、臆病さから色々考え、知っていくですね。 なにより私がこの文章を読んで自覚させられたのは、 >そして、子供の頃の好奇心を保つ、というのは、もしかしたら、なかなか難しい、他の人にはできにくいことのようにも思います。知る、ということ自体、大人になってくると、知ると怖いという面もあるので。 >子供の頃の好奇心を保たせるためには、子供のように、無邪気でいることが、一つの方法のように思います。それは、無意識(精神分析学的な意味でも)の行動ができる、ということです。 丁寧な回答ありがとうございます。