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疑問文と「は」と「が」

現象文などは「は」ではなく「が」を使いますが、 (例:雨が降った) 疑問文だと「雨は降りましたか」と、「は」になるように思います。 これは日本語学的にどのように説明できるのでしょうか。 また、否定文だと、 「昨日、雨が振りませんでした。」 「昨日、雨は降りませんでした。」 だと、「は」のほうがやはりしっくりくる気がしますが、皆様はどう思われますか。 ご教授よろしくお願いします。

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  • hakobulu
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回答No.19

#2、#17です。ご返事ありがとうございました。 >「先生が来た」「雨が降った」で強調されるのは主語だけなのでしょうか。 >「主題」というのは実はかなりわかりにくい概念な気がします。特に「先生は来た/先生が来た」だと、文章が短い分、外国人にはかなり説明しにくいな、と思いました。 ◇おっしゃることは良くわかります。 『「は」は、【主題提示】 「が」は、【強調・特定】』とうい教え方が可能だとして、 「なぜ主題として提示するのか」 「どういう場合に強調という概念が適用されるのか」 ということは、表現しようとする状況・事柄に対する感性もある程度必要になると考えられるので、最初は難しいとは思います。 しかし、それを考慮しても、我田引水になりますが、 簡略性と正確性(あらゆる場合を網羅しているという意味で)がちょうど良くミックスされているという点で、この定義付けが最も適しているように思うわけです。 ただ、さらに納得のいく説明が出現すれば撤回するにやぶさかではありません。 ◇ 【が】の場合、「強調とは何を意味するのか」ということを相手に理解してもらえるかどうかが鍵になるかもしれません。 いずれにしても、【は】も含めて、 『その表現をする時の話者の心境を考慮した定義』のつもりです。 「雨が降った」と表現する場合。 「降った」というのは話者の脳裏には既定の事実としてすでに認識されていると思うのです。 ですから、「雨が」と「降った」どちらかを選べと言われたとしても、「雨が」だけを選んで表現することも可能になるはずです。 これが「雨」を強調する意図がある、とする理由です。 つまり、話者としては、 『述部に関しては、すでに自分の内部で認識済である。 その認識に対応する主格を自分は今表現したいのだ。』 と思えば【が】を使うということです。 これに対して 「雨【は】降った」の場合は、「降った」を選択するのではないでしょうか。 なぜならば、「雨について語ろう」とするのですから、「雨は」だけでは全く意図が達成されないからです。 つまり、話者が 『自分は、雨について(関して)何か表現しようとしている』と感じたら「は」を使えばいいのです。 いずれにしても、 「>文章が短い分、外国人にはかなり説明しにくいな、と思いました。」 とおっしゃるように、シチュエーションをなるべく詳しく補足的に添えることが理解を早めることになるのは確かではないか、という気はします。 ◇ 「このケーキがおいしそう」は、 「おいしそう」という認識が話者の内部で先に出来上がっているはずです。 そういう感情をもたらした主格として、「このケーキが」と強調的に特定したいわけです。 「このケーキはおいしそう」は、 「このケーキ」という対象を話題の中心にする必要性を感じていることになります。 それ【について】後から「おいしそう」という感想を述べるためです。 ケーキが一個よりない場合は強調したり特定したりする必要はありませんから、 「このケーキが(おいしそう)」とは言いません。 同時に、主題(話題)として取上げられるべきものはすでに明白ですから、わざわざ 「このケーキは(おいしそう)」とも言わないでしょう。 単に「おいしそう」 あるいは「このケーキ、おいしそう」と「は、が抜き」で表現されるでしょう。 (「強調」は「重点を置く」としたほうが良い場合もあるかもしれません) この辺の説明が難しいことは確かですが、仮に相手に理解してもらえれば根本を理解したと言って良いのではないかと思います。 ◇ 以前、このカテで外国の方から聞いた話ですが、 その方は、「は」と「が」の違いについて、 『「が」を使うのが妥当な場合として、自然現象を思い浮かべましょう」と先生に言われたそうです。 その先生の真意は不明ですが、良い導き方ではないかと私は感じました。 つまり、今回の例でもあるように、雨を自然現象として表現する場合、まず、【降っている雨を見ること】が起点になると思うのです。 【雨というもの】を先に想起する人はいないでしょう。 つまり、「降っていること」が既定の事実として自然に受け止められるわけです。 そして、その【降っているもの】を強調するために、あるいは特定する意図で「雨が」と表現すれば良い、ということになります。 「雨というものに関して述べてみれば」 「雨というものについて言及しようと思うのだが」 「雨に関して触れるが」 などのような意図がある場合は、 雨を主題(あるいは「話題」でも良いでしょう)として提起することになりますから、「は」にお任せする、ということになります。   個人的には、正確性の点で遺漏さえ無ければ、複数の解釈を提示して外国の方自身にわかりやすい説明を選択してもらうというのも有りではないか、と考えています。 複数の説明で互いに補完が可能であれば、それでも良いかもしれません。 外国の方が理解し安ければ良いのであって、私たちがこの方法が良い悪いというのは推測にすぎません。 絶対的に正しい解釈というものは無いように思います。 外国の方といっても思考のしかたは様々でしょうから、それぞれ相性の合う説明が必ずしも同じであるとは限りません。 私としては、包括的である分すぐには納得しづらいかもしれませんが、シンプルな中に全てを正確に詰め込んである点で、先の解釈が気に入っているというだけですが、外国の方が他の説明のほうがわかりやすい、と言えばそれを否定する必要は全く無いだろうという考えです。  

mopmop
質問者

お礼

とてもわかりやすいご説明、ありがとうございました。

その他の回答 (18)

回答No.18

 質問がまだ締め切られていないと言うことは、たぶん、「私のつたない言語論をもう少し聞いてみよう」という暖かい心から来ているであろうと思うので、ここで、感謝の意味で、投稿させていただきます。  「新しい事態」という語がわかりにくいと言うことですが、私があまりにも文法論に走りすぎたせいと考えてお詫びしたいと思います。これは、心理の面から述べたものなので、わかりにくい面があったと思います。それで、別の視点から私の考えを述べたいと思います。  質問者にも思い当たることがあると思いますが、親しい友人と居酒屋で、2時間の約束で、飲みあうということはだれでもやることだと思います。飲んだり、しゃべっている間に、いつの間にか、「お時間です。」と言われてみてびっくりすることはあると思います。時計を見ると、もう2時間を過ぎているにもかかわらず、質問者自身は、あっという間という一瞬間であったと感じるはずです。  このような一瞬間をなんと呼ぶべきか、語彙数の少ない私には困ってしまうのですが、これを「ある対象をずっと、思い続ける、感じ続ける、同じ態度を続ける」ような時間幅であると呼ぶとします。  そのような時間で、途中から、いやな人(質問者の知り合いなど)が表れたとします。それまでの楽しい時間が破られる形で、「新しい事態」が発生するわけです。そのとき、人によっては、「ちぇつ、いやな人『が』来た!」というと思うのです。  別の例では、質問者がものすごく大金持ちとします。気持ちの良かった、居酒屋からの帰りで、自宅が空き巣で荒らされているのを発見するとします。そのときは、おそらく、質問者はあわてて、金庫などを調べるはずです。  実際に金庫を開けてみて、次のような言い方が2種あるはずです。  「あつ! 金『が』ない!」  つまり、空き巣が入ったことを知る前の、その意識(と言うか、過去からずっと持っていた気持ち、思考など)が破られた、新しい事態の発生を理解したから、「が」を使って、びっくりした気持ちを表すと考えるのです。  これに対して、金庫が無事だと、  「あー、よかった。金『は』ある」というように、過去から続いている意識が破られていない、失望がないというか、そのまま続いている気持ちを表すのが、「は」だと。  これを仮に「あー、よかった。金『が』ある」と叫んだとしたら、おそらく、「金庫も駄目だろう」という意識(予想)に反したからではないでしょうか。悪い期待(予想)に反した(これは、うれしいことを意味します。)から「が」をつかったと考えるのです。  ですから、時点ごとの事態の発生を「個別的事態」と呼んだわけですが、他の回答者からの評判が芳しくなかったために、この用語を使うのを止めたいと思います。果たして、うまく説明できたかどうかわかりませんが、これが私の言語論の限界なので、許してください。

mopmop
質問者

お礼

丁寧なご説明、ありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.17

#2です。色々な見解が出ていますね。 感想を少し述べさせていただきたいと思います。 この手の説明は、基本的には#15さんがおっしゃるように、 『究極の目標は日本語を外国語とする人にいかに短い言葉で、説得力でもって説明し納得してもらえるか』 という姿勢が重要だろうと思います。 ただ、言わずもがなですが、『正しい説明である』ことも同時に求められるでしょう。 まず、#6さんのご説明について。 『>「は」と「が」には、機能の違いがいくつかありますが、代表的なものは「既知語/未知語」の使い分けです。』 とおっしゃっています。 「昨日雨は降りませんでした」と言う時、雨が当事者間で既知である場合が殆んどである、というのはそのとおりだと思います。 しかし、会話ではなく単に突然の雨を記述する場合、 外国の方は、「雨が降ってきた」とすべきか、「雨は降ってきた」とすべきか迷うような気がします。 この場合、「既知語/未知語」という分類が有効であるかどうかという点について、個人的にはやや疑問に思われます。 確かに、心情的予測外の雨が降ってきたのだから雨を「未知語」と考えれば良い、という説明が可能な場合もあるでしょうが、 心情的に予測されている場合であっても「雨が降ってきた」と表現すべき状況はあるでしょう。 「朝からどんよりした曇り空で、いつ降り出しても不思議ではない雨空だった。午前中は持ちこたえていたが、昼の一時を過ぎた頃外に出ようとするとやはり雨が降ってきた。」 などという文において、雨を既知(雨が降ることは予測していた)として「雨は」と表現してしまう可能性があるような気もします。 また、この#6さんのご見解に関連して#8さん(=#7さん)は、 「象が鼻は長い」を不自然な表現とされていますが、そうとは限らないでしょう。 「鼻の長い動物は何か? 」という問いに対しての答えとして自然な表現だと思います。 この意味でも「既知/未知」論だけでは網羅できない局面があるように思うわけです。 ただ、#9さんが挙げておられる 花子:「犬のジョンは元気? 」の場合、 ジョンが会話の中では新情報ですが、太郎にジョンという犬がいるということ自体は花子にとっても「既知の事実」ですから、この例を以って「既知/未知」論に疑問を投げかけることはできないでしょう。 #11(=#7さん)では、 「は」→「総括的、全般的」 「が」→「個別的」 ともおっしゃっておられますが、 #11で例に挙げておられる事故の例で、はねられたのが児童全員であっても保母さんは「子供が・・・」と叫んだのではないでしょうか。 先に私が#2で述べたように、 園長さんは、「けが人」ということに関する主題(話題)についての内容を聞きたかったので「けが人【は】」と発話したのであり、 保母さんは、「怪我にあったのは子供である」ことを強調する心理で「子供【が】」と「が」を使った、と考えると良いと思うのです。 だめでしょうか。(^^;) #5さん(=#15さん)は、 「助詞「が」は時には何かを強調する機能を持つ。」は真ではない、とおっしゃっておられます。 「>文法ではなく意味論と運用論の領域ですね。」とのことですが、 しかし、#15でおっしゃっておられる外国の方の立場を慮れば、 意味論、運用論からのほうがずっと理解しやすいように思うのですが、そうでもないでしょうか。 私は一素人に過ぎませんから学者の説がどういうものなのかは良く知りませんが、 「学習者のために、人の直感を明るみに出し、なるべく単純な説明を追求するべきです。」 というのは少し合点がいきません。 文法としては、 『すべての助詞「が」は、その前提として助詞「は」が意識されている。』(この見解はよく理解できませんが) あるいは、 『「は」は主題提示、「が」は強調・特定』 などのようにシンプルに述べることは良いとしても、 なぜそのようなシンプルな結論に至るのか、という点に関しては微に入り細を穿ち説明すべきではないでしょうか。 「>それだけ記述がシンプルになり、その分だけ学習者に対する負担が軽減するわけです」 とおっしゃるのは理屈に合っていますが、そのために正確性を欠いては本末転倒になるような気がします。 ところで、 「仮説H:すべての助詞「が」は、その前提として助詞「は」が意識されている。」によると、 「所沢では雨は降りましたか」 「所沢では雨が降りましたか」 が、どちらも自然な文である、という結論を述べているに過ぎず、 『なぜ「は」と「が」を使い分けているのか』という根本的答えになっていないような気がしますが、いかがでしょう。  

mopmop
質問者

お礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。 2の 「は」は、【主題提示】。 「が」は、【強調・特定】。 は確かにユニバーサルに「は/が」を説明できそうな気がします。「雨」に関しては「総括(ジャンル)/個別」と基本ラインが同じように思いました。 ただ、 「先生が来た」 「先生は来た」 などでは確かに「総括(ジャンル)/個別」説明はむりが生じますけど。 強調・特定は個々の例できっと強調か特定になる、ということですよね? 「先生が来た」「雨が降った」で強調されるのは主語だけなのでしょうか。この場合は文全体な気もしますがどう思われますか。それにしても、「が」のほうがなにか臨場感がある感じがしますね。これも強調効果でしょうか。 ところで、「主題」というのは実はかなりわかりにくい概念な気がします。特に「先生は来た/先生が来た」だと、文章が短い分、外国人にはかなり説明しにくいな、と思いました。 ちょっと脈絡のないお礼になってしまってすみません。

  • eqrus
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.16

No.12です。 主語につく主な助詞は「は」、「が」、「も」しかないので、どうしても原則にそぐわない例も出てきます。そういった場合よりどちらがよいか比較され、より適した方が選ばれます。 また、どちらにも言いにくい場合には助詞が消滅します。 これがいいですね。(ほかよりも) これはいいですね。(ほかはよくない) →これ、いいですね。(言及せず)

  • nawata
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.15

質問者の方の質問に対する直接の私の回答は#3ですでに示したわけですが、ここでは「が」と「は」の根本的な使い分けの疑問を追求することが許されてるだろうと思ったので議論を続けさせてもらっています。国語学においても完成されたとは到底いいがたく、JSL(Japanese as a second language) 学習者にとってわりやすい説明ではないうえ、われわれネイティブの日本人にとっても学者の解説は極めて分かりにくいものが多いです。だからこうしてみなで探求し議論しあうのも有意義ではないかと思います。 さて、究極の目標は日本語を外国語とする人にいかに短い言葉で、説得力でもって説明し納得してもらえるかです。個別的、総括的という用語を説明に導入ことで、それだけ少しでも説明力を向上させることができるのならいいんですが、かえってことをややこしくさせているようです。有効でない余分な情報はその分だけ学習者への負担が増すので、避けたほうがよいと思います。 具体的に言うと、この文でどうして「雪が降っていてあわてたよ」の文で「が」が使われているのはなぜなの、という質問に「個別的」「総括的」という言葉を使って説明することがはたして得策なのか、それともかえって学習者を混乱させるだけなのかは、自問してみることも必要かもしれません。

回答No.14

 うーん、私の回答(説明)がまだ不十分な点があるために、用語についてもう少し説明したいと思います。他にいい用語があったら、その用語を使いたいと思います。  私にとっては、「東京」には、いろいろな土地(有楽町、渋谷、原宿・・・)を一個の概念にまとめたのが、「総括的な、全般的な」という用語を使って言い表したものです。たぶん、「総括的な」という用語に「他のものを含むもの」というニュアンスがある故に、「ちょっと違うんじゃないか」と思われたかも知れません。  なお、回答者No.12様の説明を借りると、「"は"→ ほかに同じものはない、または知らない。」という定義は、それが、「独立したもの、他にはない、独自的な」意味をあらわす意味で、「複数の土地を一個にまとめた」概念が「東京」であるという意味で、「総括的な」という言い方を使ったわけすが、もし、まずいようなら他の適切な言い方があれば教えていただきたいという気持ちです。  また、質問者の「昨日、雨は降りませんでした。」という例文をみると、 他の例文と異なる点は、「否定語が使われている点」でしょう。  つまり、現実には、「同じ雨」でも、じとじとと降る、ざーざーと降る、激しく降るといった区別(属性)があるはずです。ですが、話し手にしてみれば、どんな雨でも、「すべて同じ雨」として扱う立場(つまり、様々な事態を一個の名詞として使うこと)から、また、「否定語」を使うときには、対象を「他にはない、そのもの」として使うことが多いから、「"は"→ ほかに同じものはない、または知らない(存在しない)。」という定義に従って、「ほんの少しの雨でさえ降らなかった!」というのが自然であるように思えるのです。  もし、これが「否定的表現」でなかったら、「昨日の天気予報では、『明日は晴れになるでしょう』と言っていたのに、朝になってみたら、「雪が降っていてあわてたよ」というように、「雨どころか、雪という異なった天候になった」という言い方を、「個別的」という用語を使って説明したわけですが、もし、質問者および他の回答者にとってわかりにくかったようなら、もう少し説明方法(用語の選定)を考えたいと思います。  質問者にとって思いも寄らなかった方向へそれてしまったようなら、ここを借りてお詫びしたいと思います。

mopmop
質問者

お礼

たびたびありがとうございます。 >質問者にとって思いも寄らなかった方向へそれてしまったようなら、ここを借りてお詫びしたいと思います。 ちっともそんなことありません。とても勉強になります。 さて、「新しい事態」は「雨」に関してはわかりにくいですが、「総括的、全般的」/「個別的」の使い分けは「雨が降る」の例に関してしっくりくる気がします。 私は 「総括的、全般的」=概念・ジャンル 「個別的」=具体的な存在 という風な理解でよろしいでしょうか。 1.「雨は降ったか」 2.「雨が降ったか」 では、1だと雨というジャンルを、2は2番さんがおっしゃったように道端の水滴という具体的な「モノ」を指している感じを受けます。 疑問文と否定文では「実際の雨」は存在しないわけですから概念としての「雨」になりがちなのだと思いました。

  • nawata
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.13

議論していて非常に有意義に感じるので続けて参加させてください。 「は」が総括的・全般的、「が」が個別的とのことですが、これは少し違うと思います。次の例文のように、助詞「は」が(全般的かどうかに関わらず)トピックを導入し、あとはあらゆる助詞が(個別的かどうかに関わらず)扱います。 (5)東京は渋谷に (6)東京は渋谷も (7)東京は渋谷が (8)東京は渋谷しか (9) 花子:太郎さん、元気? 太郎:あ、花子さん、また会ったね! 花子:これからジムへ行くの。 太郎:あ、そう!がんばってね。でも、やっぱり、足が太い! 花子:もー、ほっといてよ! (9)の例文からわかるように、「が」は未知語か既知語に関係なく使われます。

mopmop
質問者

お礼

たびたびありがとうございます。ちょっと難しいですが、nawataさんのおっしゃりたいことが少しわかった気がします。 「が」は「~は~が」文が基本形としてある、という風に理解しました。(違ってましたらご指摘ください。) これは「(花子は)足が太い」「(私は)体が弱い」など、 全体(は)-部分(が) で説明できそうですね。 でも、17番さんのご指摘のように、 A「所沢では雨が降りましたか」 B「所沢では雨はふりましたか」 の違いがわからないです。

  • eqrus
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.12

"は"→ ほかに同じものはない、または知らない。 "が"→ ほかにも同じものがあるがもっとも~である。 象の話 象の鼻は(ほかにこれほど長い鼻はない) 象の鼻が(ほかにも長いものがあるがそのなかでもっとも象の鼻が長い) 事故の話 けが人は? (事故に関係ない人は怪我をしていないが事故に巻き込まれた人について聞いている。) けが人が? (ほかにも怪我をしている人がいる、そしてまたけが人がでた。) 子供は・・ (ほかに怪我人は出てないがその子供だけが怪我した) 子供が・・ (ほかに怪我をしている人がいるが、その子供の怪我が最もひどい)

mopmop
質問者

お礼

>"は"→ ほかに同じものはない、または知らない。 >"が"→ ほかにも同じものがあるがもっとも~である。 雨に関しては、ちょっとわからないです。すいません・・・。

回答No.11

 質問者の感想(判断)がまだ来ていない以上、もう少し私の説明を加えたい気もします。以前、埼玉県の川口に「幼児の行列に脇見運転衝突」という事件がありました。  そのとき、園長は「けが人は?」と聞いたと思います。一緒に誘導していた保母は、おそらく、「子供が・・・」と叫んだ可能性があります。つまり、園長にしてみれば、「事故にはけががつきもの」という想定(これも想像できる意味で、既知語のカテゴリーに入ると思うのですが)があったからこそ、保母も含めて全員の園児の全般的な状況を知りたかった筈です。  つまり、「は」は「総括的な、全般的な」主題を取り上げるときに使われ、行列の内の子供だけ「個別的」に考えたいときに、「が」が使われると考えるのです。「象」の例にしても、象という動物は、「長い鼻、大きな耳、ずんとした胴体、太い足」といった「属性」をもつ生き物であると考えるから、その内の一つだけ取り上げるために、「象は足が太い」と「個別的な」言い方をするわけです。  象をあまり知らない人なら、「足が太い」というのは「初めて聞くこと(未知語)」だと思うのです。もちろん、回答者No.10の投稿に反対するためでなく、質問者の知識が増えてくれば、と言う気持ちから投稿させていただくものです。自分は中国語には明るくないので、参考になりました。

  • nawata
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.10

再び#9です。 仮説H2:助詞「は」はトピックを導入する(直前の語がトピック)。 これは誰しも認める点でしょう。 仮説H3:助詞「は」は新情報を導入することができる(直前の語が新情報)。しかし新事態を導入することはできない。 (4)太郎:どうしたんだい、暗い顔をして。 次郎:おっかあが病気だ。(「は」は不可)

  • nawata
  • ベストアンサー率10% (2/19)
回答No.9

再び#5です。 「雨は2時ごろ降ってきた」(既知語を要する「は」) 「昨日は、2時ごろ雨が降ってきた」(未知語を要する「が」) これはおそらく中国語からヒントを得て日本語文法論に応用したんでしょう。したり顔の学者さんが目に浮かぶようです。 前者は雨下了、後者は下雨了に相当します。中国語では例外もありますが、全般に、文の後ろに新情報がくる傾向があります。この点英語も似ていますね(Here comes Mike)。 日本語ではどうなんでしょうか。これは当てはまりません。なぜなら新情報も助詞「は」で問題なく表現できるからです。 (1)太郎:あ、花子さんじゃありませんか!    花子:あ、太郎さん、こんちは。おかわりない?    太郎:元気ですよ!花子さんはどうですか?    花子:元気です、ありがとう!ところで、犬のジョンは元気?    太郎:うん、とっても元気だよ。 例文(1)では「犬のジョン」は会話のなかでは新情報です(未知語)。「ところで」以降の部分を「ところで、雨は昨日降らなかった」に変えても同様のことが言えます。「雨」は新情報なのです。ここで「は」は新情報も担えることが示されました。 次に06miyachan さんが引き合いに出された例文を、番号に変えて引用します。 (2) ああ、おっか(母)は達者だよ。(聞き手も話し手の母がまだ生きていることを知っている。) (3)てへんだ(大変だ!)おっかが倒れた。どうも脳梗塞のようだ。(聞き手にとっては、聞かされた時点での「新しい事態」であるのです。) これを見ていますと、どうも「が」は中国語の新事態の発生を示す語気助詞「了」の意味をもつのかなと思いましたが、違うかもしれません。ともかくmiyachan さんが書かれたように、とにかく「は」は「が」より前に来ます。理由は本当に未知語・既知語という理由でしょうか? 助詞「は」と「が」の選択は、それが新情報か否かはもう少し吟味する必要があるようです。

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