話し言葉の乱れというのは、常に存在していると思います。
その場の状況で、聴くほうにも補正能力があるから、
文法的におかしくったって、意思の疎通はできるのです。
「かばんが売っているところ…」言いたいことはわかります。
でも、文字通り解釈しようとすると「かばんが何を売っているって?」
話し言葉での間違いは、一過性のものであって、残らない。
意味が通じれば、それで済んでしまいます。
ところが現代では、生まれては消えていくはずの「言いまつがい」が、
録音され、録画され、話し言葉がそのままメールの文字になり、掲示板に投稿され、
といった具合にさまざまな形で残ってしまうことになり、間違いを見聞きする機会が増えているのです。
そのせいで、「最近~多いですよね」になるような気がします。
それがまた、間違いを間違いと思わせなくしていくのではないか、と思います。
今、私がこうして言葉を文字にしていくときに、脳の言葉がそのまま文字になっていきます。
で、私の脳は、ひとたび文字になった言葉を再び眼を通して読み、
自分の知識の中で間違いをしでかしていないかを識別し、
あれば文字を修正していきます。
ところが、明らかにこの推敲という作業をしていないと思われる文章に多々出会います。
携帯メールにどっぷりと依存しているような人たちは、
感情がそのまま指を動かしてしまうのではないかと思えたりします。
すごいような、恐ろしいようなことですね。
コミニュケーションの速度が速くなると、人はものを考えなくなる。
動物のように、利己的に行動し、利己的に発想する。
質問する前に調べろよ、といってみても、質問してはいけないのか、と。
データ量は増えても、情報量はたいして増えてはいない、まして知識は。
お礼
たしかに、Eメールやインターネットの普及に伴い人の文章を読む機会が増えましたよね。 >それがまた、間違いを間違いと思わせなくしていくのではないか その通りだと思います。2ちゃん用語なんてものもありますしね。集団への帰属意識も働くのでしょうか。 >推敲という作業をしていないと思われる文章に多々出会います 自分は今大学生なんですが、他の人が書いた小レポートを読むことがあって、そのときにすごくそう感じます。まさに「感情がそのまま指を動かして」書かれたような文章です。的確な意見をありがとうございました。