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オイルショックと米不足騒動 どっちが深刻でした?

オイルショックと米不足問題 どっちが深刻だったか知りたいです。 1993年の米不足騒動は当時中学生で体験しました。それまで100パーセント自給していた米を、やむなく輸入に踏み切ったタイ米が食卓に出て、鮮明に記憶にあります。 しかし、これは一時的な騒動という見方もしていた記憶があります。 オイルショックは、過去のニュース映像でトイレットペーパー買占め行列しか知りません。あれは、戦後間もない時代の、あたかも闇市場の映像のように思ってしまいます。・・・そんなにひどかったのですかね? ともに経験された方、主観的・客観的にぜひ教えてください!

みんなの回答

回答No.4

 圧倒的にオイルショックの方が深刻だったと感じました。というか、米不足問題などはほとんど忘れていました。 米不足問題???? 大正時代の米騒動の事かと思ったくらい、何のことかもサッパリ忘れていました。米不足の時はタイ産米だけでなく中国産の米などが店頭に並んだため、「2キロ 580円」と表示されていた安い中国米を買った思い出があります。深刻どころか一般消費者はかえって米のバリエーションが増えて家計が助かった場合もあったのではないでしょうか。私の周囲でも米の不足で苦労していた人など一人もいませんでしたね。  オイルショックも当時のテレビ映像などを見ると多くの女性がスーパーみたいな店内でごったがえしてトイレットペーパーを買うシーンがありますが、東京の真ん中で暮らしていたからかもしれませんが当時私の周囲でそのような人はいませんでした。 戦中戦後の食糧難に比べればヘでもないと多くの人は思っていたはずです。うちの母もテレビ見ながら「みんな、ちり紙買いに走って、バカじゃないの!」と言っていた、そんな人のほうが多かったと思います。実際、1970年代前半にちり紙なんて不足しなかったですから。

noname#24488
noname#24488
回答No.3

 間違いなく「オイルショックです」。物価がドンドン上がり、給料のが上がるのは、物価の後追いになりますので、サラリーマンの家計は一時的に逼迫しました。  そのとき私は高いオーディオ装置を値上がり前に月賦で買って、少し儲けました。もし、お金を貯めてから買っていたら、エラク高いものを買うことになります。→インフレ時の知恵  水洗便所のお家の人は、トイレットペーパーがなくなると、用が足せなくなるので困りました。  汲み取り便所のお家は、いざとなれば新聞紙でも代用できますので、割合と平気でした(笑)。  米不足騒動のときはタイ米を少し食べましたが、全然こたえませんでした。このご質問があるまで忘れていたほどです。  でもですね、一番困るのは食料不足です。戦後すぐのときは、深刻でした。私は子供でしたから、食べるものは少ないということを感じるだけでした。  今振り返ってみますと、随分とヘンなものを食べていました。でも子供でしたから、そういうもんだと思っていて気にならなかったですが、親は食料を確保するのに大変であったろうと思います。  このときのことを考えると、オイルショックなんぞ屁でもありません。本当の食料不足が長期に続くと大変です。餓死します。  

  • Massy57
  • ベストアンサー率39% (242/615)
回答No.2

オイルショック 実体験です オイルショック 注文が多すぎて、生産が追いつかず、営業担当者はお客様にお断りすることによる、会社への顧客の不満の蓄積が問題という判断で、毎日喫茶店に出勤し、会社には行かなかった。その後オイルショックの反動によるその後の受注不振で、週休4日が半年続きました。米不足、お米を購入する際タイ米を一緒に購入させられたぐらい。タイ米がおいしいもので、ある用途では別にコシヒカリは必要がないことを(チャーハン)知りました。国際価格で販売されたなら日本米は大打撃をうけたでしょうに。

  • totovc
  • ベストアンサー率44% (217/489)
回答No.1

やはりオイルショックの方が深刻だったのではないでしょうか。 ○「米不足」と言っても昔の飢饉や戦中戦後の食糧不足の時のように、食べるものが手に入らない、飢え死に寸前などという状況とはほど遠い。それこそ「米がなければパンをお食べ」で十分しのげるレベル。 米不足と言っても「どこの店に行ってもお米が売ってない!明日炊くお米が無い!」などという状態とは程遠かったのでは? つまりさほど深刻ではなかったのではと思われます。 ○「オイルショック」の方は、次のサイトにもあるように、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF >トイレットペーパーや洗剤など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動 も起き、また、石油価格の上昇で >便乗値上げが相次ぎ、急速にインフレが加速。国内の消費者物価指数で1974年は23%上昇し、「狂乱物価」という造語まで生まれた。 などのように社会生活に広範で大きな影響を与えたようです。 米は主に「ご飯の元」なだけだが、石油はいろいろな製品の原料になったり、動力やエネルギー源としても使われるため、交通、運輸、石油とは直接関係の無いものの製造など様々なものにも関係し、とにかく影響が広範囲に甚大に及ぶため、「オイルショック」の方が深刻度が高くなります。 また当時いろいろなものの「買占め騒動」が起こった原因は、人々がこういった状況に慣れてなかったせいもあるでしょうね。 1993年の時も、実際にはそれほど米が不足していなくてももしも人々がオイルショックの時のようなパニック的な買占めに走れば、あちこちで本当に「明日炊く米が無い!」という状況が生まれたかもしれません。そうならなかったのは、社会も人々もオイルショックで学習した結果なのかも。

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