もちろん同じ意味ではありません。また、沢山のご回答が集まっていますが、当時を知らない若い方が多いのか、曖昧な回答も見受けられますし、中には明らかに間違った回答も見られます。
戦争があればかならず「戦前・戦時中・戦後」があります。この日本でも日清戦争、日露戦争、それぞれにもやはり「戦前・戦時中・戦後」はあったわけです。ですが、今日よく耳にする「戦前・戦時中・戦後」という表現は一般的に「太平洋戦争に於ける戦前・戦時中・戦後」といった区切りで語られるものです。
それでは「戦時中」とは何時から何時までか・・・といえば、事実上太平洋戦争に突入した日から終戦を迎えた日まで、つまり、真珠湾攻撃が行われた昭和16年(1941)12月8日から「戦時」が始まり、終戦を迎えた昭和20年(1945)の8月15日をもって「戦時」が終わった。この間が「戦時中」であり、当然のことながら、それ以前が「戦前」であり、それ以降が「戦後」であるということになります。
ただし、ここでひとつ気をつけなくてはならない点があります。それは、日頃中高年層が口にしたり、経済や社会情勢などの比較としての視点で語られる「戦時中」という言葉のイメージは、こうした「何時から何時まで」といった歴史的な日付とはかなり隔たりがある場合もまた多いからです。
まず、この日本で戦時体制が敷かれたのはなにも太平洋戦争が勃発した日からのことではないということ。真珠湾攻撃の前にも支那事変をはじめとして、この日本はある意味で戦時体制下にあったのです。しかし、当時はさほど戦時といった緊迫した感覚がありませんでした。
しかし、傀儡政権を擁した満州国の行き詰まりや、資源の生命線とも言われた東南アジアルートの圧迫、こうした事態に至って、やむなくアメリカと、そして連合国を相手に戦争を強いられることになった日本。事実上の太平洋戦争に至っても、まだまだこの時点では、強い先行きの不安感はあったものの、一般社会や民間の日常生活に於いては、「戦時中」といったさほどの緊迫感も逼迫感もなかったように思います。
つまり、「戦時中」とは、ある意味で具体的に「歴史的な日時」をさして言うよりも、むしろかなりイメージ的な表現であることもまた多いということを知っておいて欲しいのです。
それは昭和18年(1943)ぐらいからだったでしょうか、戦況は次第に悪化し、誰の目にもそれが明らかになり始め、出征兵士の数も戦死者の数も膨大なものになり、夫や息子を失った家族が町に目立ち始め、物資と言えばなにもかもが不足し、食料から思想に至るまですべてに統制が行われと、日常生活にも極度の我慢を強いられ始めた、こうした何につけても苦しく辛かった時代のこと。この時代を「戦時中」と表現し、「戦時中はこんな美味いものは手に入らなかった」といった言い回しとして使われることが多いのです。
事実の上からは政治や国策、そして経済までもが次第に窮地に追い込まれ、世界規模の不況の波も避けられず、いずれはこうした諸問題の打開のために戦争もやむなしといった空気が漂い始めたにもかかわらず、当時はまだ世界の列強として名を連ね、戦勝を疑うこともなく、西欧の文化の交流や流入も盛んで、表面的には高揚した空気に支配されていた「戦前」・・・、そして「戦時中」を経て・・・、終戦に至って何もかもすべてを失い、文字通りのゼロポイントから立ち上がった日本、「もはや戦後ではない・・・」と言われた昭和29年(1954)頃までの「戦後」の時代・・・、この日本は三つの大きな時代の区切りを経たのです。