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怒ってもむだなのに怒るのはなぜ?
何か怒られた時、素直に言うことを聞くのって、難しいですよね。 「それくらいのことなら怒らないで注意してくれればいいのに」と思うこともあります。怒られたせいで余計に素直になれなかったり。 それから、常習犯的な約束破り、例えば「どうして書類を期限内に提出できないんだ」とか「門限は6時のはずでしょ」など、こういう事は言われる人はいつでも、いつまでも言われるというか…、怒ることに効果がないように思うんです。 でも、自分も怒ってしまう。 弊害が多くて効き目がないのに、どうして怒ってしまうのでしょうか?
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#10です。ご返事ありがとうございました。 おっしゃるような『意図』が怒りに含まれている間は本物の怒りとは言えません。 意図せずして生じる怒りだからこそ価値があるわけです。 (これを意図するとすれば、いずれ偽善者としての烙印を押されることになるでしょう。) 無論、お互いの関係性によっては効果などとは無縁の場合があるのも当然です。 Kururira00さんが最初におっしゃっていたように、 あくまで論理的に思考して怒りを押さえることが基本である、という点は動かないだろうと思います。 それでもなお出てしまう怒りは、やはり一方的な主張であるという事に変わりはないでしょう。 その効果云々をあらかじめ考慮できるような性質の感情ではないのではないか、ということです。
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怒る理由があるからですね(単純過ぎ!?) 何か善いことをしてあげような場合は理由を付けたりもしないもので 理由があるのはやはり 「悪いや辛い方向に向かうけどよろしいか?」と 自分も一緒に後ろめたく寂しくなってしまいますね。
お礼
回答ありがとうございました。
怒りをぶつけることには、ぶつけられた相手の心を萎縮させる効果があります。 これが健康な心の動きです。 心全体が萎縮するのではなく、悪さに思い当たる部分があって萎縮する心、まったくの濡れ衣に思えて反発する心の葛藤が怒られた相手に生じます。 起こられたらひとまず謙虚に受け止めて見ることが心を健康に保つコツです。
お礼
回答ありがとうございました。 心を健康に保てるよう、心がけます。
- ao-b
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No.3,5の者です。 ご自身の「怒る」ということについて冷静に見つめなおすためのアドバイスになっていたようで。自分もほっとしております。 あとは、旦那様との信頼関係をいかに築いていくか、という観点ですね。 ご自身がどのような思いをもって「怒る」のかをNo.10様へのお礼のように考え、まとめることができたのは大事な事です。しかし、旦那様がやってしまう「そのこと」に対する見方がお二人の間でずれていては、やっぱり自分の気持ちをうまく伝えられなくなって、「怒る」状態から進まないと思います。 No.5でのお礼でも書いておられますが、実は旦那様には「そのこと」をやめられない、とてつもない理由があるのかもしれませんよね。その点をはっきりさせなくてはならないでしょう。逆に、文字通り「意味も無く」やってしまうのであれば、そのときは責任能力の無さに対して叱ってあげましょう。 が、やはりKururira00様には「そのこと」を嫌う理由があるのですよね。それも十分理解してもらいましょう。その際、「僕または俺(つまり旦那様)にとっては小さい事だから」と言われてしまうと、自分の人生全てを否定されたような気分になってしまいがちです。そう言われたとしても冷静に、自分がそのことを嫌がっている理由が分かるように説明しましょう。具体的に話せばイメージが掴みやすくなり、共感してもらいやすくなるでしょう。 で、「怒ってもむだなのに怒るのはなぜ?」に対する答えに ☆中身のよく分からない、でも形だけははっきりと分かる受け皿だから、「怒る」という欲求は満たせても具体的な欲求を満たす気にはなれない。なので、「そのことをやめてほしいから怒る」ことから「怒りたいから怒る」というコミュニケーションに変えないとコミュニケーションとして成立しないと考えた。だから怒り続ける。 というのを加えさせてください。 深い話し合いが出来ますよう。
お礼
回答そして親身なアドバイス、ありがとうございます。 >「怒りたいから怒る」というコミュニケーションに変えないとコミュニケーションとして成立しないと考えた。 とは、逆にいえば、 「怒りたいから怒る」というコミュニケーションが成立すると考えた。 ということでしょうか。 門限を守らない子に、怒るのをやめてしまう(諦めてしまう)と、そこで接点が切れてしまう。だから怒ることで門限を守るようになることは期待できなくても、接点を持ち続けるために、怒り続ける。という感じでしょうか。何だか悲しいけれど、納得です。 (うちはまだココまではきていない…と思いますが。) でもこの場合も、接点を保つための必死の「怒り」は、やはり逆効果のほうが多いのではないでしょうか。 普通はだれも、帰ればガミガミ言われるような所へ帰りたくはならないでしょう。門限どころではなく家に帰りたくなくなりますよね。 そこです! 私が心理学のカテで質問したかったのは、その部分です。 上記の場合は無駄どころか、自分ののぞみの反対側に向かっていますよね。怒って相手を説得しようとしても、内容の正当性に関わらず、相手の心は離れていく。そしてうすうすそれに感づいているのに(感づかない?)それでも何故まだ怒るのか。 それは、No.10の方へのお礼に書いたしたような状況で、いつか分かってくれる事への期待からなのかなと思いました。 私自身の怒りもao-b様のアドバイスから自己分析してみて、気づくことが沢山ありました。どう、とは具体的になりすぎるので書けませんが。ありがとうございました。
- hakobulu
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#6です。ご返事ありがとうございました。 >本当に部下を、子どもをしつけようと思って怒っている人もたくさんいそうな気がするんです。それがしつけと信じて。 :確かにそうでしょうね。 そして、そのような「誤った思い込み」によって「思いもかけない結果」が招来されるわけです。 ただ、しつけにはなりませんが、結果論的に自分の気持ちをわかってもらえる最善の手段になり得る場合もあります。 「>結果は関係なくストレスのはけ口」ということに変わりはありませんが、それを相手がどのように解釈するかということです。 信頼関係が築かれていれば、「飾らぬ素顔をぶつけてくれた」「全ての内面を隠さずに知らせてくれた」という解釈を後からする相手も案外多いのではないかと思います。 この場合、怒りは相手に対する信頼の証としての価値を持つでしょう。 無論、信頼関係が築かれているためには、普段どうでもいいようなことで怒鳴り散らしていない、という前提が必要になりますが。 「>コミュニケーション術・育児理論」が必要な場面も多いでしょうが、それまでに信頼関係が築かれている場合は、怒りこそが本質的な信頼を示す唯一の手段になる局面も相当あるような気がします。 この場合、【理論】に基づく言動が、相手に距離感を感じていることを証明するものとして逆効果的印象を与えてしまう危険性を考慮しておく必要があるように思われます。
お礼
重ねての回答、ありがとうございます。 >怒りは相手に対する信頼の証としての価値を持つ >怒りこそが本質的な信頼を示す唯一の手段になる おぉっ、なるほど。 そういう局面があるから「怒ること」が抹殺も淘汰もされないという事ですね。 今回の私の「怒ってもむだなのに怒るのはなぜ?」に対する答は、 ☆怒る事はストレス発散になる。 ☆その上怒る事が、時としてすばらしい効果を生み出すために、弊害が多くて効き目がないかもしれなくても、使わないではいられない。 ☆怒ることを「自分は相手の為に怒っている」と正当化・言い訳出来る。そしてそれが本心からか、言い訳かには関係なく良い結果を生むことがあるので、やめられない。 ということになるでしょうか。
- tabibito34
- ベストアンサー率29% (31/105)
相手の行為によって、良い結果が出るかでないかは別として、考えてみます。 自分の思い通りに行かないので、納得ができずに腹を立ててしまうのです。 これをした結果がこうなるのはわかっている、何回言っても同じ失敗を繰り返すなど、 自分を中心にして自分以外を見ていると、腹の立つことが多くなります。 思い通りに行かなくても、腹が立たない人がいると思います。 そのような人たちは、自分を中心にしないように素早く切り替えができる人たちだと思います。 苦労を感謝に切り替えることができる人たちっていますよね。 わたしは、いたらない者です。
お礼
回答ありがとうございます。 私も >自分を中心にしないように素早く切り替えができる人 になりたいです。
- kobarero
- ベストアンサー率29% (106/361)
>弊害が多くて効き目がないのに、どうして怒ってしまうのでしょうか? 弊害が多くて効き目がないから、怒ってしまうのだと思います。もし、弊害がなく効き目があるなら、余裕を持って、心静かに対処すると思います。 「怒り」は、「ふとどきである」にもかかわらず、「そのふとどきを解消できないんじゃないか」という「不安」が引き起こす感情です。従って、これを解決するには、実際的・効果的な解決法を考え出すしかありません。それが考え出せないときは、「まぁ、些細なことでいちいち腹を立ててもしょうがないか」と自分を諌めるのも消極的ではありますが、ひとつの解決法でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 怒る=弊害が多くて効き目がない、しかしストレスが発散できる 話し合う=弊害がなく効き目がある、しかし難しい かなと思ったのですが…。
- hamakkotarou
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人を自分の思い通りにできると思っているからです。 その手っ取り早い方法が、自分が怒ることを利用して相手を自分の 思い通りにコントロール(支配)することです。 過去に怒ることを利用して功を奏した体験があればいつでも使いたくなるはずです。 もし怒りを使わないようにしたいならば、人が自分の思い通りにならないことは普通に あることだと思うことです。 だからといって思い通りにしたいことを諦めなさいということではありません。 約束は守れるような約束に互いに話し合い納得して決めましょう。 そして守れないなら、守れる約束に変え続けることです。 また何故それがしたいのかを理解することも大切だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >過去に怒ることを利用して功を奏した体験 これって、怒って(泣き叫んで)親に言うことを聞いてもらう(聞かせる)っというのが原体験になっている可能性、大きいですよねぇ。 それとも、怒る事で母を支配する父を見て(逆も)? 怒る事で自分を支配する親を見て? >約束は守れるような約束に互いに話し合い納得して決めましょう。 これが難しいですよね。話し合うという事が。 でもそれで、避けていこうとすると怒ることになってしまう…。 やっぱり義務教育のうちに討論する授業、もっと必要じゃないですか。親が教えるべきだと言ってもまずその親が学ばなければならないもの…。先生にも学んで欲しいなぁ。 私は…、子どもとは結構話し合えるんですけど、夫には「言わなくても分かってよ!」という気持ちがあると気づきました。甘えていますねー。 何だか恥ずかしくなってきました;
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#4です。ご返事ありがとうございました。 >怒ることは嫌なことなのに、なぜ相手にも効き目のない「怒る」事をやめられないのでしょう。 :怒りは感情ですからね。 「後で嫌な気持ちになる」などと考えているゆとりはないということでしょう。 そして怒りにとっては、相手に効き目があるかどうかはあまり重要なことではないわけです。 溜まっているものを吐き出してすっきりする、ということが第一義です。 なぜ溜まるかというと内部で停滞しているからですが、なぜ停滞するかというと相手の心理構造が理解できないからです。 特に約束を破るような場合は、相手を軽視しているからだと誤解されて怒りを倍増させます。 破ってしまった場合はまずニッコリと微笑んで(これができれば精神的にも進歩したことになります)、その誤解を解くことが非常に重要です。 #1さんがおっしゃっているのは「>強権で怒る」場合ですが、一般的な怒りと幼児体験の関連性は薄いでしょう。
お礼
再びの回答、ありがとうございます。 ということは感情的に「なぜ提出できないんだ」と言われ続ける部下や「門限は」といわれ続ける子どもは、結果は関係なくストレスのはけ口…。 御回答を読みながら考えたのですが、でも本当に部下を、子どもをしつけようと思って怒っている人もたくさんいそうな気がするんです。それがしつけと信じて。私自身は、読書が好きで、良い育児書に出会い、怒鳴り散らす親にはならずに済んだ(今の所)のですが、そうでない人もいる。 成人する前後に、父が、「大人になったら何事も、自分で学ばなければ誰も教えてくれない。」といっていたのを思い出しました。 いつもガミガミ怒る人は上司として、親としての学習が足りないのではないか。でも大人だから自ら学ばなければならない。でもそれってとても大変だし、必要性も特に認識されていないような気が。 んー、中学とかで道徳だけじゃなく、コミュニケーション術・育児理論を教える授業をする…、ていうのはどうでしょう(してるのかしら)。 無駄に怒る人、減らないでしょうか?
- ao-b
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No.3の者です、お礼ありがとうございます。って早い! >無駄におこらなくてすむはずなのに、しばしば怒ってしまうのは、なぜでしょう。 「怒る事が本当に嫌で、とにかく現状を打破したい」という信念をストレートにお持ちであれば、すぐに行動に移すだろうと思うのです。しかし何らかの理由でそれができないんですよね。しかもそれは「怒る事が嫌になる」というご自身の価値観をも吹っ飛ばしてしまうような理由。その理由が何かについてはKururira00様と旦那様の人生を紐解かないと分からないように思うのですが、少なくとも「旦那様のやってしまうことを受け入れなければならない何らかの理由」は、ご自身でお持ちのようです。 私はそのように考えます。 別の考え方ですが、「怒る」には不安があって、「叱る」には不安がない、という違いがあるとも思います。その点については、旦那様への対応とお子さんへの対応の区別をつけていらっしゃるようなので分かっているのかな、と思いつつ、「怒る」対象である旦那様に対する不安(ここで言う「不安」とは、「旦那様についての、よく分からない事」を言います。)があるとも言えるでしょう。 (No.4様へのお礼より) >怒ることは嫌な気分になる疲れることではありませんか?怒ることは嫌なことなのに、なぜ相手にも効き目のない「怒る」事をやめられないのでしょう。 そういう認識があるのだったら、私だったら降参します。怒る気になれません。でもあなたは「怒る」というコミュニケーションの仕方を選んだ。何故でしょう?
お礼
再びの回答、ありがとうございます。 >「旦那様のやってしまうことを受け入れなければならない何らかの理由」は、ご自身でお持ちのようです。 うっ、グサッときました。そうですね。考えてみると私は夫に無理なことを頼んでいると思ってるんです。だから夫がそうしても私は許さなければいけないのではないか、許すべきなのではないか、そもそもやめてくれという事が間違いではないのか、とよく逡巡します。 >「怒る」というコミュニケーションの仕方を選んだ。何故でしょう? うーん、負い目→理解されないだろうという不安→怒り…という感じがしてきました。
- hakobulu
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相手を納得させることが目的ではないからでしょうね。 人が怒るのは、自分が理解できない理不尽と感ずる事柄に接した時です。 厳密に言えば、「私にとっては理解できない」というのが怒りの意味でしょう。 理不尽と感じる理解できないこと、を内側に溜めておくのは生体にとってストレスで悪影響を及ぼします。 「相手の非を問う」ことによってその原因を解明しようとする作業が怒りなのでしょう。 しかし、どんな場合でも相手には相手なりの理由があります(盗人にも三分の理、などと言われるように)から、 いくら建前上は正しいことを言われても、「私にとっては(約束を破る、などの)正当性がある」というのが本音だと思います。 たとえば常習的とはいっても、そもそも6時という門限自体に無理があるのだから時折遅れたとしても、特別非難されるような事柄ではないはずだ、などという無意識的な論理が存在する場合もあるでしょう。 約束は約束だということもありますし、こういったことの是非についてここで論じるつもりはありませんが、 いずれにしても、怒りは一方的な主張にすぎないということになります。 ただ、相手にとっての効果よりも自分の感情を吐き出すほうが優先される場合もある、ということでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >怒りは一方的な主張にすぎない >自分の感情を吐き出すほうが優先される これはやはりストレスの発散場合という事ですよね。 でも「どうして書類を期限内に提出できないんだ」と怒ってばかりの上司とか「門限は6時のはずでしょ」と毎日怒る親がいて、そういう人も「コレだけ怒っているのに言うことを聞かない、まったく疲れる、いい加減にして」と怒ることを嫌がる発言をしますよね。怒ることは嫌な気分になる疲れることではありませんか? 怒ることは嫌なことなのに、なぜ相手にも効き目のない「怒る」事をやめられないのでしょう。No.1様のおっしゃる幼児体験の連鎖でしょうか。
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お礼
回答ありがとうございます。 >『意図』が怒りに含まれている間は本物の怒りとは言えません。 意図せずして生じる怒りだからこそ価値があるわけです。 この「本物の怒り」の「価値」とは「相手の心を動かすちから」、ということでしょうか。 「本物の怒り」の反対は「偽物の怒り」「偽善の怒り」もしくは「デモンストレーション」?これらの怒りを混ぜて考えようとするから混乱するのだと思えてきました。 怒りは本能的な感情なのだから、あとから理屈をつけて説明しようとすることに無理がある、ということですね。この場合の怒りは心底から湧き出てくる怒りですね。納得します。