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イスラエルの建国
第二次世界大戦後シオニズム運動などによりイスラエルが建国されましたよね。 その建国の経緯についてかかれた本などがあれば教えて下さい。実際どのように人々が入国し家などを建てていったのか。ユダヤ人からとパレスチナ人側からのそれぞれの視点をしりたいので、それぞれで教えていただけるとありがたいです。
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- kigurumi
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No.1,2です。 たびたびすいません。 これもネットからですが http://tanakanews.com/f0705israel.htm 建国に関するものは http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw/503-9517106-8947906?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%83p%83%8C%83X%83%60%83i%96%E2%91%E8 で、レビューに読者の感想が書いてありますので、それを参考にして購入を検討してみてはどうでしょうか。 私はいつもここで古本を買っています。
- kigurumi
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No.1です。 随分前に、「イスラエルはイギリスとどこかによって強引に(勝手に)決めて作られた」みたいなことを聞いた(読んだ)ことがあります。 国際的に国として認められているのか いないのか。。。と不可思議に思っていたのですが、 ↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C ここの【イギリスの三枚舌外交】あたり。 こんな風かんじで、イラクとクエートが分断されたように、イスラエルも西側の利得がらみでできたとなんとなく記憶していました。 >もしそのながれが本でかかれているのをご存知でしたら教えていただきたいです。 本 あるかな?と調べてみたのですが、建国に至るまでのことが書かれている本はありそうなのですが、建国後 どんな人たちが帰還したのかについて書いてある本は見つけることはできませんでした。 先にリンクしたミルトス。 本も出版しているので、調べてみましたが、これという本は見つけることができませんでした。 ですが、そこに記事が書いてある以上、書いた人はどこからか参考にしているはずです。 メールアドレスがサイトに記載されていますので、そこに問い合わせてみてはどうでしょうか。 尚、ミルトス側の情報から出る情報は、あくまでミルトス側から見たものです。 それと、ネットだと情報が書いてあってもサイトの閉鎖などで消えてしまい、情報元の提示を求められた時、既にサイトが無い、ページが無い という事態にもなりますよね。 ですが、<赤い盾>を書いた人は、全てネットでロスチャイルドの系図を調べたそうです。 見えなかった糸が見えると、世界の本当の歴史が見えてきたという。 http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E3%81%84%E6%A5%AF%E2%80%95%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%AE%E8%AC%8E%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E5%BA%83%E7%80%AC-%E9%9A%86/dp/4087728161 歴史の教科書には絶対載らないものですが。 今回張った最初の方のリンク先にロスチャイドが出てきたいます。 やはりこの一家がからんでいた。 ということで、がんばって真実を調べてみてください。
- kigurumi
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建国の経緯は ざっとした流れは http://www.myrtos.co.jp/topics/israel/table.html もうちょっと詳しくなると http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB 近代から現代のところ。 ユダヤ人とアラブ人の衝突に関しては 『「パレスチナ「難民」」の多くは避難先のアラブ社会には吸収されず、アラブ過激派の煽動や活動(「抵抗運動」)などの結果、アラブ過激派(抵抗組織)の意図した反イスラエルの象徴とする作戦に包含されていたと考える場合もある。 また逆にイスラム世界に住んでいた多くのユダヤ系住民(セファルディム、ミズラヒム)が土地を追われて難民化し、イスラエルに逃げ込んだ。この時イスラエルは世界各地のディアスポラ住民を極力救おうとした(→イスラエルの作戦一覧)と主張する。それによるとアラブ人とユダヤ教徒の「住民交換」が起きたとする見方をとる。 「ユダヤ人とアラブ人は長期間に渡り血で血を洗う抗争を繰り広げてきた、従って譲歩はありえない」と言うような現在罷り通っている見解は、宗教や歴史・政治に無関心な者による大きな誤りの一つである。歴史的に見ても、イスラエルの地に住まうイスラム教徒・キリスト教徒とユダヤ人は共栄・共存を願ってきた。一言で単純に語ることができないほど長く複雑なバックボーンを持つことは明白である。』 建国後の人口の流入は http://www.myrtos.co.jp/topics/israel/today.html 『イスラエルは、無制限の移民を求めて苦闘してきた経緯から、すぺてのユダヤ人に市民権の取得権を認め、広く門戸を開放した。 独立後4カ月で、ホロコーストの生き残りを中心に5万人ほどが到着した。 1951年末までに合計68万7000人がイスラエルへやって来た。 そのうち30万人を超える人々はアラブ諸国から流出したユダヤ難民であった。 このようにユダヤ人口は3年間で2倍になった。 一方当地のアラプ人ロは、独立戦争時に60万人弱が流出したため減少し、残留した者と家族再桔合計画によって戻った者とを合わぜて、16万7000人となった。 その後数年の間に、さらに30万人のユダヤ人がアラブ諸国から到着した。 ユダヤ人とアラブ人の間には、文字通り人口交換が起きたのである。 中略 文化、芸術も大変盛んになった。 世界各地からユダヤ人が移住してきたが、その人々がそれぞれの出身地の文化や、それぞれのユダヤ人社会が守ってきた独特の伝統をもたらし、これが混然一体となってユニークな文化と芸術が生まれてきたのである。』
お礼
ありがとうございます。もしそのながれが本でかかれているのをご存知でしたら教えていただきたいです。
お礼
色々しらべていただきありがとうございます。 特に上のサイトは興味深く読ませていただきました。 何冊か本は読みましたか漠然としかつかめず、疑問ばかりがわいてしまって・・・。図書館もよく利用しているので、気になったものから手にとってみます。本当に何度もありがとうございました。