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和歌山市の紀国造家代々の墓地?
うら覚えで恐縮なのですが、ずっと以前に何かの本で「和歌山市の 郊外に紀国造家代々の墓地があり、墓碑が林立している」といった 内容のものを見た記憶があるのですが、出典は分かりません。 最近になって行ってみようと思い調べているのですが、いっこうに 分かりません。ただ、「紀伊風土紀の丘」に位置する岩瀬千塚も 紀国造家の墓地だろうと言われているらしく、私が岩瀬千塚と他の 何かの墓地とを混同している可能性もあります。 和歌山市の郊外に墓碑が林立している紀国造家代々の墓地というの があるのか、あるならばその所在地の目印となるものなどを教えて 下さい。
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土地勘は全くありませんが、面白そうなのでチョッと調べて見ました。下のURLに和歌山の古い墓群のことが若干出ていますので、参考になるかも知れません。 http://kamnavi.jp/kinokuni/historykodai.htm なお、紀国造家といえば大族紀氏の大元だと思います。日前宮という大きいお宮さんに聞いて見たら、なにかわかるかも知れません。 墓碑というものはどんな恰好をしているんでしょうかねえ。紀国造家代々の墓地というのであれば、いわゆる石塔のようなものではなく、祠のようなものが沢山あるという風に想像しますが。
- onbase koubou(@onbase)
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国造の時代は7世紀以前と言われています。 この時期は古墳時代ですのでまだ「墓碑」はありません。 従って「林立する墓碑」は国造のものではなくもっと後世のものです。 「墓碑」がどのような形状であったかにもよりますが、少なくとも中世以降であろうと思われますので「国造家代々の墓」ではなく別の時代のものでしょう。 それが「国造家代々の墓という伝承がある墓碑」ということはあるかもしれません。
お礼
返答ありがとうございます。 もともとの記憶があいまいなので、あいまいなことを書き連ねるの はどうかと思い控えていたのですが‥ 紀国造家は日前宮の神官を世襲する家として、その名乗りとともに 少なくとも江戸末期まで続いています。家系が続いているというだ けではなく、戦国時代には小大名のような勢力を持っていたようで すが没落し、紀州藩以後は神官の家として存続したようです。 私の関心は、戦国時代の「林立する墓碑」があるとすれば、是非見 てみたいということです。
お礼
返答ありがとう御座います。 日前宮の神官の家ですので、あるとすれば神葬だと思いますが、神葬 といっても一律ではないようで。明治になって上流階級に神葬が一時 流行しますが、ものの本で見ると古墳のような土盛の前や横に石碑付 きといった形態が多いようです。ちなみに、儒葬では土盛の上に石碑 が乗っかっているようですね。 「墓碑が林立」という記憶と整合させようとすると、上記のようなお 墓が隙間無く密集していて墓碑だけが目立つのかな、と思ってもみた り‥ 京都の吉田神葬墓地にも行ってみたのですが、墓地の崖下の入 口が施錠されており、中をのぞくことすら出来ませんでした。 まあ、気長に現地の方の情報を待とうと思います。