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国鉄時代製造の車両はなぜクモハが多いの?
国鉄時代に製造された72・73系や101・103系などの車両はなぜクモハが多いのでしょうか。たとえば4両でも 「クハ+モハ+モハ+クハ」とできるのに 「クハ+サハ+モハ+クモハ」にしたり、6両でも 「クハ+モハ+モハ+モハ+モハ+クハ」とすればいいのに 「クハ+モハ+モハ+サハ+モハ+クモハ」だったり。 なんででしょう。 現在の京急みたいに、先頭車は電動車でいくというような伝統(?)があったのでしょうか。
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- B-rapid
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#4さんも書かれていますが、ご質問者に多少の事実誤認があるように感じます。 80系電車が登場するまでは、中間電動車自体が特殊な存在でして、当時の国鉄の称号規定でも「モ・ク・ハ」だけで、「クモ」は存在しませんでした。(63系に別の意味で「クモ」「サモ」が登場したことはある) 私鉄では現在でも制御電動車と中間電動車の称号を区別していないところが少なくありません。 80系で中間電動車が一般的になり、101系(当初はモハ90系)の登場後に、新たに「クモ」が制定されています。 国鉄末期には短編成化の一環で、改造「クモ」が大量に登場しています。 新造車でしたら、むしろJR発足後のほうが「クモ」が増加しているように感じます。JR東海311系は4両編成ですが、国鉄時代でしたらク+モ+モ+クになるところ、クモ+モ+サ+クで登場し、313系にも引き継がれています。JR西日本221系も2両ユニット車はクモ+モのユニットが基本です。いずれも短編成に対応しやすいことから採用されているようです。
- cubics
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単純に制御技術が進歩したから、制御車と電動車が独立できるようになったのでしょう。昔は自動空気ブレーキとかだし(これが直接の理由の一つということじゃなく、そういう技術の上で建造されたということです)。 もちろん大昔は、1両でしたから、区分上は全部クモハ。 2両編成ではクモハ同士か、クハが登場したのかな。 中間車が出てきてから、中間付随車と中間電動車が出来た。 でもやっぱり、制御兼電動車があった方がいいですよね。 何かの時に1両だけで動けそうだし。(集電装置がないとだめですが。笑) 鉄道ピクトリアルとか電気車の科学とかを調べればわかるでしょうかね。
京急以外で制御電動車を多くしているのは、阪急が挙がりますが、踏切事故対策が主な理由です。先頭車輌を重ければ、踏切事故の際に車輌が自動車の上に乗り上げ難いので事故の規模が大きくならない、といった理由です。 以前川越線用だった、103系3000番台車は、仙石線用の72系を国鉄末期に下回りを101系の廃車発生品流用で103系に改造されました。編成はクハ+モハ+クモハでしたが、4両編成に組み替えてしまったのでクハ+サハ+モハ+クモハという編成になりました。モハ→サハ、クハ→クモハといった改造になったので大改造になり、このようなことになる位だったら、最初からクハ+モハ+モハ+クハの編成にしておけば良かったなどということが言われていました。しかし、当時の川越線西部の利用状況を見誤ったので止むを得なかったといった状況です。 113・115系は、短編成化が主な理由です。国鉄末期にモハのクモハ化改造が多くなされました。113系は、福知山線電化に際して初の2両編成(クモハ+クモハ)が登場しました。 105・119系は、元々駅間距離が短いローカル線で使用する為に製造されました。長大編成を組む列車が無い路線(宇部・小野田線、可部線、福塩線/飯田線)で使用されています。
- travelKENKEN
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う~ん、多少の事実誤認がありませんか? まず73系では、その前身である63系は、原則としてモハ=運転台付きという時代の製造だったので、中間電動車が異端児だったのが原因。 101系は、全電動車編成という設計思想で作りましたので、サハというのは設計概念にありませんでした。後に予算が足りなくなって、後に電動車化する予定でクハやサハを登場させたのですが、実現しませんでした。 103系はクモハが異端児です。これは、京浜東北線や中央線において、検修線の有効長が7両しかなかったために、7連+3連という単位で製造したために生まれた鬼っ子がクモハ103。のちにこの制限が無くなったので10両貫通編成が投入できるようになりましたが、作ってしまった車両は仕方がないので使い続けてます。 あえていえば、国鉄時代には、今のJRや私鉄のように編成単位で車両を管理するという発想が無く、ある車両を適宜組み合わせて編成するという考え方でしたから、今の時代から見れば?????という編成が残ったのでしょう。
- ceeda34
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クモハを作る理由は短編成しか思いつきません。 701系がそうですよね。 仙台で4両編成が登場して初めてモハが誕生しました。 72系や103系は3両編成や、2両編成で使うことを想定してたんじゃないでしょうか? 実際にそう使われたことがあったかは不明ですが。 京浜急行は伝統と言うより、脱線対策のようです。重い車両だと脱線しにくいからだとか・・。本当かどうかは詳しくないので。 高速運転を行う鉄道会社ならではの発想でしょう。
- alpha123
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電車の車両の配置は例えばトイレ併設車は続けて運行するより飛び飛びがいい、座席が少なく通路多い車両は中央部など利用者にも都合いい理由ありそうですけど。(詳しいわけじゃなく思いついただけです) 古い車両も中間にはさむだけなら壊れるまで使いまわしできるから質問のようにきれいに並ぶ形にはならないでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8442%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
- aran62
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お礼
ありがとうございます。 どうやら旧型国電は電動車に運転台が付いていても「ク」はつけていないようですね。