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鉄道博物館の車両
先日、大宮の鉄道博物館に行ってきました。 なつかしい列車たちが数多く展示されていて非常に興味深かったのですが ひとつ違和感を覚えた車両がありました。 特急「とき」に使われていたクハ181-45です。 私の記憶では、181系の先頭車両はたしか断面の小さいトンネル対策と して、屋根上にはヘッドライトがついてなかったと思っていましたが、 展示されていた車両には485系と同じようなヘッドライトが付いて いました。 こっちが原型なのでしょうか?ヘッドライトが付いていない方が改造 というか、異端の姿だったのでしょうか? 実際に特急「とき」として使用されていた時代でもヘッドライト付きで 走っていたのでしょうか? なんとなく自分の記憶の中のイメージと違う車両だったので違和感を 持ってしまいました。 詳しい経緯を知ってる方がおられましたら、回答よろしくお願いします。
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161系として製造、落成時に181系として登場。とあります。 営業時には181系として配属されました。 そして山用改造においては「田町電車区所属の0・40番台車にも施行された。」とあり、 ページ下部の保存車の項目に「廃車時には取り外されていた運転台上の前灯が復元されている。」とあります。 新津に展示する際に前照灯を登場時の姿に復元したのですね。 新幹線開業直前まで使用されてはいませんが、山用改造を施され、前照灯を外された姿で営業運転していたのは確かなようです。
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- syu181
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この車両はずっと新津に保存されていたものですね。 ウィキに少し記述があります。 山用改造の所で、田町区所属の40番台にも改造が施されたと記述がありますね。
お礼
少なくとも上越新幹線開通直前まで使用されていたわけではなく、 中央線「あずさ」用に改造される前に引退した車両のようですね。 そういう意味ではオリジナルを保っている車両ということみたいですね。 (455系は色のみ原色で、車内はセミロング近郊改造のままでしたね…)
- hiroki0527
- ベストアンサー率22% (1101/4910)
>確か3往復の181系が残っていた ように記憶しますが、45号機はこの中の一員でしょうか? 資料によると「181系100番台」となっていますので、161系よりの改造車である181系40番台はそれ以前に引退してると思われます。
お礼
なるほど。初期の頃に引退した車両には前照灯が付いていたのですね。
- hiroki0527
- ベストアンサー率22% (1101/4910)
No1です。 クハ181-45だと元は161系だと思います。 前の回答で一つ修正 151系は山陽特急、161系は上越特急に使用されました。 161系は前照灯が付いて落成して上越線に投入されています。 ディアゴスティーニの「鉄道データファイル」31号に161系として上越線「とき」に投入された時の写真が解説とともに載っています。 (ちゃんと屋根上前照灯付きで) 上越線特急と中央線特急の共通化は昭和41年12月12日(この日から「あずさ」が運行開始)ですので、161系の上越特急投入の昭和37年6月10日より中央特急あずさとの共通化の昭和41年12月頃までは屋根上前照灯はあったと思われます。(上越線には低断面対策をする必要はないので) 外された理由は中央線の低断面トンネル対策です。 161系の181系化は昭和40年から始まっています。
お礼
元161系先頭車の屋根上前照灯は、あずさとの共通運転によって 全列車が取り払われたのでしょうか? それとも45号機はそのような改造をする前に引退したので、展示物でも そのまま屋根上前照灯付きなのでしょうか? 上越新幹線が開通する直前までは確か3往復の181系が残っていた ように記憶しますが、45号機はこの中の一員でしょうか?
- hiroki0527
- ベストアンサー率22% (1101/4910)
181系は当初ちゃんと屋根上前照灯が付いていました。 このときの181系は151系、161系からの改造車です。 山陽線特急として使われています。 昭和41年10月および12月の信越線、中央線特急へ投入の際、中央線高尾以西の低断面トンネル対策として屋根上前照灯が外されたのです。 これにより181系100番台となりました。 この番台は最初から181系として制作されたグループです。 その後山陽特急から転身した元151、161系も屋根上前照灯を外されています。
お礼
前照灯付きが原形であって、狭トンネル対策で取ってしまった姿が 改造形だったのですね。展示車両の方が原形なのですね。