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国鉄キハ55車両についての質問
- 国鉄キハ55車両についての疑問と、キハ55車両の特徴について調査しました。
- キハ55車両は冷房がなく、普通列車にも急行列車にも使用されていたため、色が異なることが多かったようです。
- キハ55車両は何故冷房がなく、急行列車にあまり使用されていなかったのかについて、関係者のコメントは得られませんでした。
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まあ、他の方も言っておられましたが、本州でも会津線から 仙台に抜けていた定期の急行「いなわしろ」は、キハ20だった はず。同じく急行「かいじ/かわぐち」も115系だったはずで、 一般型を使用した急行ってのはけっこうありました。関西では そういうのが無かったので不満を聞いたことはないのですが。 ・・・キハ55も自由席や増結車でしたからねぇ。 関西のキハ55でいえば、南海から直通していたキハ5500は 有名ですが(本体の急行紀州が全車冷房になっても、非冷房 で頑張っていました。話のタネに乗ったことがありますが、 ガラガラでむしろ快適でした(笑))、他にも「みまさか・ みささ」など、鳥取から因美線を通ってくる急行は、強力型 気動車が必要なので、キハ65が入ってからも、冬場は非冷房 のキハ55が堂々と大阪まで走ってきていました。 キハ55はエンジンがDMH17Cという縦型で、車内に点検蓋が あっただけじゃなく、排気管も堂々と車内をブチ抜いてました から、車内はうるさかったですねぇ。山陽本線を全力で飛んで 行く「みまさか・みささ」の迫力は大したものでした。
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- kuni-chan
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昭和50年代後半になっても非冷房車が急行に使われていました。 急行用気動車も非冷房車がありましたし、冷房車でも電源の都合で動かせない場合がありました。 多客時で車両が足りない時は非冷房のキハ55も動員される事がありました。 キハ55はエンジンが2台ですから、通常の線区では走行に問題がありません。 急行に動員される可能性があるために急行塗色のままだったと思います。 急行で使われない車両は朱色になったものもあります。 北海道では一般用のキハ22が急行に使われていましたから、その状況ではキハ55の急行もアリだったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >多客時で車両が足りない時は非冷房のキハ55も動員される事がありました。 幼いときの記憶なのですが、そう言われてみれば、行楽シーズンは 普段5~6両の急行列車でも、増結されて8両ぐらいになっていて、 その編成の中間にキハ55が挟まるような形でつながっていたようだったことを思い出しました。 遠くから見てもキハ58と比べてキハ55は比べて巾が狭いので、識別できました。 つまり多客時に急行として使うことがあったので、急行色だったのでしょうね。 >北海道では一般用のキハ22が急行 キハ22の急行は北海道へ行った時、乗ったことがありますよ。 キハ22だけの2両編成(1両は朱色、もう1両はツートンカラー)で、たしか「天売」という名前の急行だったと思います。 ホームでキハ22をみたときはがっかりしましたが、いざ走り出すと、ものすごいスピードを出し、どんどん駅を通過して、「急行らしい走り方」でした。 今となっては懐かしい思い出です。
補足
キハ55やキハ22を使った急行は、特別料金をとる急行としては設備が劣るので 「遜色急行」と呼ばれていたのですね。
- tzd78886
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キハ55は元々準急「日光」号用に造られた車両です。つまり急行より一段落ちる設備で造られたわけで、その後準急が急行に統合されたために色を塗り変えて急行に使われるようになっただけのことです。似たような設備の車両は小田急や南海でも使われていました。
お礼
>キハ55は元々準急「日光」号用に造られた車両です。 私もウィキで知りました。 色も当初は黄色に赤い帯だったのですね。
補足
ここにくわしく書いてありますね。 ただなぜ晩年まで急行と同じ色だったかについては、あいまいな表現で書かれているだけで、それでこちらで質問したのです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%AD%E3%83%8F55%E7%B3%BB%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7991/21371)
工場での塗装工程は、特段の指示がなければ、入場時の色 を再現して出場します。国鉄時代は特にそうで、本社から 「特段の指示」が無い限り、色を変えたりしません。 で、この時の「本社の指示」ですが、一色化(タラコ色化) は「一般形気動車のみ」指定されていたはずで、キハ55や キハ26は、まがりなりにも「急行型(正確には準急型)」で あったために、一色化の対象から漏れてしまったんですね。 で、入場時の色をそのまま再現した・・・と。 非冷房の急行型は、山岳区間のキハ58がかなり後年まで 残っていましたし(急行赤倉とか)、北海道のキハ27/56は 冷房化せず廃車になった車両も数多く存在します。なので 「冷房の付いてない急行」って全国にかなり多かったん ですよ。 だいたい、12系客車が出るまで、客車急行の普通車は 非冷房だったんですから・・・。
お礼
わかりやすく丁寧なご回答をありがとうございます。 >キハ55や >キハ26は、まがりなりにも「急行型(正確には準急型)」で >あったために、一色化の対象から漏れてしまったんですね。 >で、入場時の色をそのまま再現した・・・と。 キハ55は「急行型」とみなされていたのですね。 逆に朱色一色になったキハ55はなんらかの事情で一般型扱いになったのでしょうね。 >「冷房の付いてない急行」って全国にかなり多かったん >ですよ。 幼いときの記憶ですが、急行なのに冷房無しというのがまれにありました。 ある夏の日、家族旅行で臨時急行に乗ることになりました。 乗る前はわくわくしていましたが、駅で車両を見て唖然としました。 猛暑だというのに冷房無しの113系か115系だったのです。 車内で検察のとき、急行券なしで乗車券だけで乗った乗客たちと車掌とで あちこちで口論になってました。 車掌「急行料金を払ってください。」 乗客「こんな暑い日に冷房なしで急行料金をとるとは何事だ!」 車掌(きつい口調で)「規則だから急行料金を払ってください!!!」 乗客(怒った口調で)「急行料金をとるのなら冷房車を使うか、冷房車が 用意できないのなら、はじめから【冷房なし】と時刻表に書いておけ!」 とかで・・・車内のあちこちでそんな感じになりました。 国鉄時代の車掌って威張ってました。 今、動画で撮ってアップしたら面白いかもしれません。
補足
書き忘れました。 その臨時急行にはロングシートの部分があったので、そこに座る羽目になり 急行料金を払わされたお客たちの怒りがものすごく激しくて、はじめは威圧的だった車掌も乗客たちの怒りに疲れたはてたようで、途中で検札をやめたような記憶があります。
お礼
ふたたびお答えありがとうございます、また興味深い話です。 >関西ではそういうのが無かったので不満を聞いたことはないのですが。 すみません、115系の急行の話は関東での話でした。 急行「うち房」だったと思います。 ですので113系ですね。 ヘッドマークがついていました 西日本でのキハ55の話をしていたとき、説明不足ですみません。 千葉の遜色急行は今となってはファンのあいだでは懐かしいもののようですね。 >他にも「みまさか・ > みささ」など、鳥取から因美線を通ってくる急行は、強力型 >気動車が必要なので、キハ65が入ってからも、冬場は非冷房 >のキハ55が堂々と大阪まで走ってきていました。 キハ55が堂々と大阪まで急行で走ってたのですね。 >関西のキハ55でいえば、南海から直通していたキハ5500は >有名ですが(本体の急行紀州が全車冷房になっても、非冷房 >で頑張っていました。話のタネに乗ったことがありますが、 乗ったことがあるのですね、あれは南海線内では特急扱いだった そうですね。 >仙台に抜けていた定期の急行「いなわしろ」は、キハ20だった > はず。 いなわしろは1両で走る急行として知られてたとおもいます。 キハ20系列どころか、すごく地味な存在だったキハ53のグループにとって 晴れ舞台だったとかいって昔、雑誌で紹介されてました。 >キハ55はエンジンがDMH17Cという縦型で、車内に点検蓋が >あっただけじゃなく、排気管も堂々と車内をブチ抜いてました >から、車内はうるさかったですねぇ このディーゼルカーの音に関して質問サイトなどで、 「時代は変わったんだな」と思ったことがあります。 キハ40だけが走ってる路線での質問をみたときです。 「〇〇線の電車←(ディーゼルカーでなく電車です)はどうして 音がうるさいのですか?」という質問を見たとき、 ディーセルカー特有の音も今は過去のものになりつつあるんだなと おもいました。 最近のディーゼルカーは音も静かになったり、電車としても走れるように なったものも走っていますね。