戦前は日本にソ連のコミンテルンの工作員を侵入させないため治安維持法で取り締まり共産党員の摘発を行っていました。一方アメリカはコミンテルンは単なる民族運動ぐらいに軽く考えていました。日米開戦の決定的な文書であるハルノートは戦後ハル自身があのような文書を私が書いたなどと思われたら心外だと言ったそうです。ルーズベルトの側近の工作員の一人が作成したものでないかと言われている。勿論ルーズベルトは日本と戦争したくて仕方の無い人間であり、全くソ連には何の警戒もしていません。結果はソ連のコミンテルンの思惑どうり日本はアメリカに破れ、中国はアメリカからの援助に頼っていた国民党はコミンテルンの援助の共産党と内戦になり、追い出されて台湾に逃れます。その後昭和25年にコミンテルンの援助により北朝鮮は韓国に攻め込みます。北朝鮮軍は怒涛の勢いで釜山まで南下してきます。その時米軍は仁川に上陸して反抗に転じますが、そこで中国軍が参戦して米軍は苦戦したためマッカーサーは原爆の使用を本国に許可申請しますが反対されて結果解任されます。朝鮮戦争で初めて日本の中国での戦争の意味が判り日本の再軍備が必要ときずきますが、憲法を破棄しないかぎり軍隊にできないため警察予備隊、保安隊、を経て自衛隊になっています。日本を早く独立国にして日本人の手で防衛させないと米軍の負担がおおきすぎるため昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約を西側諸国と締結して独立国になりました。アメリカは朝鮮戦争が起るまで自国の政府内に200人以上もコミンテルンの工作員がいることにきずかずにいましたがマッカーシー旋風により赤狩りが行われて彼等の摘発と日本の独立が平行して行われました。日本の左翼系の若者はこの講和条約を単独講和だと言って反対運動をしていました。
アメリカは味方であるべき日本を潰したため、アメリカ一国で共産勢力と戦わざるをえなくなり日本は平和憲法をアメリカから押し付けられたことを逆手にとって、アメリカに日本の防衛をしなければ共産勢力側に
付くぞと冷戦時代は高みの見物で過ごせたが、はたしてこのまま自国の
防衛をアメリカに任せてよいでしょうか、貴方達若者が決めることです。
お礼
なるほど!最後に考えさせられる質問をありがとうございます。助かりました。